橡様とのんびり過ごしているとき、寝殿の外から賑やかな声が響いてきた。
「橡!いるかー!俺だぞ!父上様がお越しだぞ!入るぞー!」
俺が驚いて目を見開くと、橡様は、
「ええ、なんで……僕はまだ……汀か!ああ、もう来ちゃったよ……」
とため息をつきながら肩を落とした。
「つ、橡様……?」
「あーと……父と母が来たんだと……来たね、うん」
やはり溜息と共にそう俺へと告げた──直後、勢いよく寝殿の扉が開いた。
「橡!お前、こんなに大事なことがあって、どうして俺に最初に知らせないんだ!」
扉を開け放ったのは、橡様と同じように金色の瞳を持ち、長い白髪をたなびかせた信じられないほど美しい男性だった。
その美しさに見とれる間もなく、彼は俺の方に目を向け、大きく歩み寄る。
「これが長くん!いやぁ、初めましてだな!」
満面の笑みで近づいてきた彼は、俺の手をがっしりと掴んだ。
「……え、えっと、初めまして……」
圧倒されて挨拶を返すと、彼はにこやかに笑いながら俺の手を振り回す。
「おお!可愛いな!こんな子が橡の伴侶だなんて、俺も鼻が高い!」
「父上、落ち着いてください」
橡様が苦笑しながら口を挟むと、その男性――橡様の父親らしい――は振り返って眉をひそめる。
「橡、これは落ち着いていられる話か?お前、初孫ができたんだぞ!ま!ご!」
その声に続いて、扉の奥からもう一人の人物が現れた。
白装束を纏い、しっとりとした雰囲気を纏った黒髪の美しい神だった。
「煩いったら……
その声は静かで落ち着いていたが、言葉に込められた優しさに思わず緊張が解ける。
橡様の父親――雄黄様が「わかってるって、
「初めまして、私は薊と申します。橡の母です。以後、よろしくお願いしますね」
その落ち着いた物腰は俺の手を握る人物とはまるで真逆だ。俺も自然と頭を下げた。
「初めまして……長といいます」
「まあまあ、挨拶はそれくらいにして!さっそくお祝いしようじゃないか!」
雄黄様が俺の手を離すと、今度は手を叩いて提案するが、薊様がその袖を軽く引いて窘める。
「……雄黄、煩いです。せっかく訪ねてきたのですから、まずは長くんの体調を確認するべきでは?」
「ああ、そうだな!長くん、どうだ?体調は万全か?何かあったら、すぐに俺に言えよ!薊もいるしな!」
随分と大雑把な体調確認に俺は圧倒されたままで、薊様と橡様は二人で同時に溜息を吐く。
俺がどう答えればいいか迷っている間に、雄黄様は次々と質問を投げかける。
「つわりはどうだ?気持ち悪くないか?橡、ちゃんと食事は用意してるか?」
「……父上、それはすべてちゃんと管理してます」
「お前、何故俺に聞かない?先達者だぞ、俺は父として!」
「父上……静かにしてもらえると……」
「なんだなんだ⁈あ、あれか!反抗期と言うやつか!いいぞ!どんとこい!」
「いやだからですね、声が煩い……この年齢で反抗期はないですよ……」
雄黄様の勢いに押されていると、薊様が静かに俺に目を向けた。
「大丈夫です。雄黄は言葉ばかり多く煩いですが、根は優しいので……ただ少々疲れますね。いやだいぶん疲れますね。申し訳ない。これでも偉い人なんですけどね……少し静かにしたらどうですか」
「おいおい、薊!そんなこと言うなよ!俺だって静かに――」
「ああ、まあ確かに。お静かにしている時もありますよね、寝ている時とか」
「ぐっ……」
雄黄様が反論しようと口を開いたが、橡様が小さく肩をすくめて笑った。
俺もつい笑ってしまった。
※
雄黄様が寝殿を見回しながら、思い切りくつろぎ始めるのを、橡様が冷ややかな目で見つめていた。
「父上、少し遠慮とかないんですかね…。長くんが落ち着きません」
「おいおい、橡、お前はもっと喜んでいいんだぞ?こういうのは賑やかにやらないと!」
雄黄様は構わず大きな声で笑い、寝殿の中央にどっしりと腰を下ろす。
「雄黄、本当にもう少し控えめに……長くんも戸惑っていますよ」
薊様が優しく声をかけると、雄黄様は「わかった、わかった」と手を振りながら、俺に向き直った。
「まあ、確かに俺は少し騒ぎすぎたかもしれない。許してくれ、長くん。何せ初孫だからな初孫!」
「い、いえ……全然……喜んでもらえると嬉しいです」
雄黄様が俺に向ける笑顔はあまりにも眩しく、その気迫に押されて言葉が続かない。
すると、薊様が俺の隣にそっと腰を下ろし、柔らかい声で問いかけた。
「長くん、最近の体調はいかがですか?無理はしていませんか?」
「あ、はい……少し眠い日が続きますが、それ以外は大丈夫です」
俺の答えに、薊様はゆっくりと頷いた。
「眠気は体が変化している証拠ですね。おそらく、これからもっと変わっていくと思います。戸惑うこともあるかもしれませんが……橡がきちんと支えてくれるでしょう。身体が楽になる茶を橡に渡してありますから、朝晩に飲むといい」
その言葉に、橡様が頷いた。そういえば、ここに来た時も出された茶を思い出す。
あの時に『母が煎じた』と言っていた。
その様子に、雄黄様が大げさに頷いた。
「薊の茶はいいぞぉ!ちなみにその知識を与えたのは俺だけどな!そして橡はそんな俺の息子だからな!お前がつらいときは、橡にどんどん頼るんだぞ!」
「……父上の自慢話は必要ないです」
橡様が苦笑しながら肩をすくめる。
「ところで、長くんに渡したいものがあるんだ」
そう言って、雄黄様は薊様と共に持ってきた包みを手渡してきた。
包みを開けると、中には小さな美しい鈴が入っていた。
俺が包み事揺らすと、それはきれいな音を立てる。
「これは……?」
「守りの鈴だよ。君と、これから生まれてくる子供を守るために作ったんだ」
雄黄様が胸を張って言う。
「この鈴の音が響いている間は、邪気を寄せ付けない。神域にいる間なら、なおさら効果が強いぞ」
「ありがとうございます……!」
俺が頭を下げると、薊様が柔らかい微笑みを浮かべた。
「雄黄が作るものは、見た目以上に効果があるんです。どうか安心してくださいね」
「見た目以上って何だよ、薊!俺だって心を込めて作ったんだ!」
「心を込めすぎて、余計な細工も加えるでしょう?」
二人のやり取りに、橡様と俺は思わず顔を見合わせて笑った。
その後、雄黄様と薊様は橡様の子供時代の話を楽しげに語り始めた。
「橡はな、小さいころはもっと素直で可愛かったんだ。今のように偉そうじゃなくてね」
「父上、余計なことを言わないでください」
「可愛い可愛い泣き虫龍ちゃんだったのになあ~」
「父上、余計なことを言わないでください……!」
「でも、君がこれから迎える子供も、きっと似たように可愛いはずだよ。楽しみにしてるよ、長くん」
雄黄様の言葉に、俺は少し顔を赤くしながら微笑んだ。
「はい……元気な子供を産めるよう、頑張ります」
どうやって産むかいまいちわからないが……。
それでも雄黄様と薊様が橡様の子供時代を話す姿を見ていると、自然と想像してしまう。
自分たちの子供が生まれ、橡様と同じように親たちが子供の成長を楽しそうに見守る光景を――。
それが何だか、とても温かく思えた。
橡様がそっと俺の手を握りしめる。
「僕たちも、きっと素敵な家族になれるよ。僕はああも煩い父親ではないしね」
その言葉に、俺は小さく笑い静かに頷いた。