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静かな夜。

橡様の寝息が隣で穏やかに聞こえる中、俺はどこか落ち着かない気持ちで横になっていた。

昼間に橡様と街を歩いたときのこと、組紐の屋台の狐、そして――俺の左目。


(どうして、俺の目は……)


今まであまり気にしてこなかった。

でも、組紐を結んでもらったとき、橡様の金色の瞳を見た瞬間に、ふと気になってしまった。

俺の目は、なぜ片方しかないのか。

昔からだったのか、どうなのか……。

何かが、違和感のように胸の奥に引っかかる。

そんなことを考えながら、俺の意識はゆっくりと眠りの淵へと沈んでいった。



暗闇の中、俺は誰かと向かい合っていた。

相手の顔は見えない。けれど、その気配だけは、はっきりと感じる。


「……やめろ……!」


自分の声が響く。

恐怖に震える自分の声。


何かが、俺の顔に近づいてくる――。

強い力で、顔を押さえつけられる。


「やめてくれ……!」


次の瞬間――


ズッ……


「……!!!」


灼熱の痛み。

頭の中が真っ白になり、世界がぐるりと歪む。

何かが引き剥がされる感覚。


熱い。熱い。熱い――。


左目が……無い。


「っ――が……ぁあ……!!」


全身を貫く、痛みと恐怖。

視界が赤く染まり、意識が遠のいていく――。



「――っ!!」


俺は息を詰まらせながら、はっと目を開いた。

荒い呼吸が部屋の静寂を破る。


……夢、か?


額にはびっしょりと汗が滲んでいた。

指先が震えている。


何を見たのか、完全には思い出せない。

けれど、確かに――俺は、左目を奪われた。

その瞬間の痛みだけが、今も鮮明に残っている。


(……目が……)


ふと、手を伸ばして自分の顔を触れる。

指先が左目の部分に触れると、そこには何もなかった。


「……っ」


改めて確認すると、胸の奥がじわりと痛む。

当たり前に思っていたことなのに、今になってそれが「異常なこと」だと強く感じる。


「芙蓉?」


静かな声が、耳元で響いた。

顔を上げると、橡様が俺の方を覗き込んでいた。


「……橡、様……」


言葉がうまく出ない。

息が乱れて、胸が苦しい。


「……大丈夫?」


そう言いながら、橡様の手がそっと俺の頬に触れる。

指先がひんやりとしていて、火照った肌に心地よかった。


「……大丈夫……です」


そう言おうとした。けれど――


「……っ……」


言葉よりも先に、涙が溢れた。


「……芙蓉」


橡様がゆっくりと俺の身体を引き寄せる。

汗ばんだ俺の身体を、その腕の中に包み込むようにして。


「あっ、その汗が……」

「気にしないよ、そんなこと。怖い夢を見たんだね」

「……わかりません……ただ、すごく痛くて……」


声が震えた。


俺は、何を思い出した?

どうして、左目を……?


橡様の胸に顔を埋めると、そこからほんのりと懐かしい香りがした。


「……大丈夫だよ」


橡様の手が、俺の髪をそっと撫でる。

その仕草があまりにも優しくて、俺は少しずつ落ち着きを取り戻していった。


けれど――


(……俺の左目……)


その疑問だけが、ずっと頭の中に残っていた。



翌朝、俺がまだぼんやりとしたまま身支度を整えていると、部屋の外から声がした。


「芙蓉くん、いるかい?」


聞き覚えのある、柔らかな声。


「……汀様?」


戸を開けると、そこにはやはり、湖面のような青い瞳をした汀様が立っていた。


「おはよう。調子はどうだい?あ、嫉妬深い龍神様はお帰りか」

「橡様なら先ほど……まあ、なんとか」


言葉を濁すと、汀様は俺の顔をじっと見つめた。


「……おや?」

「……?」

「まだ戻らないんだね」

「……え?」


俺は思わず眉を寄せた。


「何の話ですか?」


そう尋ねると、汀様は「さてね」と笑った。

だが、その瞳はどこか意味深だった。


「……」


汀様は、俺の左目をじっと見つめる。


「……君の記憶、もう少しだね」

「……何か知ってるんですか?」


思わず問い詰めそうになった。


「さあ?」


汀様はまた笑って誤魔化す。

けれど、確かに知っているのだろう。

俺の目がどうしてこうなったのか。

俺が何を失ったのか。


「まあ、それは置いといて」


汀様はふと視線を横にやった。


「今日は灯くんはいないのかい?」

「……え?」

「ちょっと気に入ってね、あの子。連れて帰りたいなぁ……」


汀様がくすっと笑う。


「……えぇ……」


灯のことを気に入ったって、どういう意味で……?


「その前に口説かないとね。また今度、一緒に飲みたいな」


汀様はそう言って、俺の肩を軽く叩いた。


「じゃあ、また来るよ」


そう言い残し、汀様はゆっくりと歩いていく。

その背中を見送りながら、俺はまだ少しだけ、昨夜の夢の余韻に囚われていた。

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