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二十一、華豊楼

夜の街は、昼間とはまるで違う表情を見せていた。

提灯が揺れ、妖艶な灯火が通りを染める。

胡琴の音が流れ、酔客の笑い声が絶えない。妓楼から漂う濃厚な香が、街の空気に甘く溶け込んでいた。

煌星は、その複雑に絡み合う香りの中から、微かな"番紅花"の気配を探していた。


(……やはり簡単には見つからないか)


妓楼の香りは強い。

薔薇、沈香、龍涎香、白檀――高級な香料が幾重にも折り重なり、男たちを惑わす甘美な空気を作り出している。

その中で"あの酒"に使われた香りを見つけ出すのは、まさに針の穴を通すような作業だった。


「……景翊」


隣を歩く"若様"へ、煌星は低く囁いた。


「妓楼の中を探るなら、少し派手に振る舞った方がいいかもな」


景翊は、意味深に唇の端を持ち上げる。


「なるほど……確かに」


次の瞬間、煌星の腰に強く腕が回された。


「っ!?!?」


耳元に、低い囁きが落ちる。


「寵愛される小姓役なら、それらしくしろ」


ぞくりと背筋が震えた。


(……なんで僕がそんな役を⁈)


景翊の余裕たっぷりな態度が、どうにも腹立たしい。

が、今は反論している暇はない。

二人はそのまま、華豊楼の中へと足を踏み入れた。



妓楼の内部は、外観以上に豪奢だった。

壁には繊細な刺繍が施された布が掛けられ、上質な絨毯が床を覆う。

部屋の隅々まで艶やかな香りが満ち、酔わせるような空気を作り出していた。


(……やはり、香りが強すぎる)


煌星は、意識を研ぎ澄ませながら、わずかに漂う"番紅花"の香りを探す。

妓楼では、客を引き込むために様々な香を焚く。沈香、白檀、龍涎香、花々の香気……それらが渦巻く中で、"あの香り"だけを拾い出すのは至難の業だった。


だが、確かにある。

ほんの僅かに――だが、確かに。

煌星は、奥の方へと目を向ける。


「……あの奥には何が……?」

「ああ、"上客"専用の部屋だ」


景翊が低く答える。


「高官や裕福な商人だけが通される場所。普通の客は入れない」


(なるほど……そこに、何かがあるかもしれない。あれ?なんかよく知ってないか、こいつ……まあいいけどさ)


煌星が思案していると、鮮やかな衣を纏った妓女が優雅な足取りで近づいてきた。


「まあ、お客様……今宵はどのような楽しみを?」


艶やかに微笑みながら、景翊の腕へと指を這わせる。


(……なんか、腹立つ)


自分でもよく分からない感情に戸惑いながら、煌星は無意識に眉を寄せた。

だが、景翊はまるで意に介さず、涼しい顔で笑う。


「今夜は、静かに酒を楽しみたいだけだ」

「まあ、それは素敵なこと……」


妓女は色っぽく笑いながら、ちらりと煌星へ視線を向ける。


「……しかし、こちらのお方は?」

「私の大切な者だ」


煌星の腰にあった手が、するりとわき腹を撫で上げた。。


「あっ……!!!」


(ちょ⁈……おい‼)


「今夜は"二人きり"で過ごしたい」


景翊が金の入った小袋を妓女に渡すと、彼女は目を瞬かせた。

だが、すぐに微笑み、しなやかに頷く。


「まあ……情熱的なお方」


("情熱的"とか言わないで……!!!)


煌星は、表情を崩さないように必死に耐えた。

妓女は、優雅に手を振り、二人を奥の特別室へと案内する。


二人が通された部屋は、まさに"上客専用"というべきものだった。

壁際には華やかな刺繍の屏風が並び、上質な絨毯が床を覆う。

卓の上には、すでに上等な酒と肴が用意されていた。

妓女が「ごゆっくり」と告げ、朱塗りの扉を閉じる。

煌星は、その瞬間、すぐに鼻をひくつかせた。


(……やっぱり、この部屋……香る)


この香り――間違いなく"あの酒"と同じものが使われている。

煌星の視線が、卓上の酒瓶へと向かう。


「景翊」

「わかっている」


景翊もまた、慎重に酒瓶を手に取った。


(……これ……!)


煌星は、注意深く瓶に鼻を近づける。


「後宮の酒と同じものかもしれない」


薔薇と番紅花の香り――甘く、しかしどこか違和感を覚える芳香。

煌星の脳裏に、昨夜の宴で飲んだ酒の記憶が鮮明に蘇る。


「……間違いないな」


景翊が低く呟く。

煌星は、じっと酒瓶を見つめながら、静かに息を吸った。


(この酒……誰が持ち込んだのか……)


妓楼と後宮の酒が繋がっている。

そこに隠された陰謀を暴くため、さらに深く踏み込むしかない。

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