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二十二、華豊楼の闇

妓楼の奥へと足を踏み入れると、外の賑わいとは一転して、静寂が支配していた。

赤い絨毯が敷かれた長い廊下には、壁際にぼんやりと灯る燭台が並ぶ。

奥へ進むほどに、空気は濃密になり、どこか閉ざされた空間に迷い込んだような錯覚を覚えた。

煌星は、妓楼の経営を取り仕切る女主人・香蘭を前に、慎重に言葉を選ぶ。


「"特別な客"にしか出さない酒があると聞いたのですが」


微笑みながら探りを入れると、香蘭の目がわずかに細まった。


「おや、そんな話をどこで?」

「……まあ、ちょっとした噂話です」


煌星がそんな風に返すと、香蘭はしばらく視線を泳がせた後、ゆっくりと盃を持ち上げた。


「確かに、特定の客にしか出さない酒はございますが……それが何か?」


隣に座る景翊が、盃を弄びながら何気なく言う。


「その酒……"南方の薔薇"と"番紅花"が使われているらしいな?」


瞬間、香蘭の指が僅かに硬直した。


(……図星か)


煌星は、微かな表情の揺らぎを見逃さなかった。


「その酒、誰が持ち込んだのですか?」

「……存じませんわ。仕入れは番頭が管理しておりますし、私どもは"客に出す酒"の中身までは気にしませんから」


「では、その番頭に話を聞けますか?」


煌星がさらに踏み込むと、香蘭は薄く微笑む。


「申し訳ございませんが、あいにく今は席を外しておりますの」


煌星は、ゆっくりと首を傾げた。


(しらばっくれる気か……)


妓楼の酒の仕入れを、主人が把握していないなどありえない。

ましてや、"後宮の毒"と同じ成分が使われていると知れば、無関係では済まされないはずだ。

そんな煌星の思考を察したのか、景翊がわずかに顎を動かす。


(……奥を探れ、ということか)


煌星は、さりげなく立ち上がると、涼しげに微笑んだ。


「若様。なんだか僕疲れちゃいました……少し休憩を頂いても?」

「ああ。先に戻っておいて構わない」


景翊の言葉に、香蘭は微笑を保ったまま小さく頷く。


(……さて、証拠はどこにある?)


煌星は妓楼の奥へと向かった。

妓楼の裏手に回ると、小さな倉庫のような建物が目に入る。

煌星は、静かに近づき、慎重に扉を押した。


(……鍵はかかっていない)


ほんのわずかに開いた隙間から、熟成された酒の香りが漂う。

中に足を踏み入れると、並べられた無数の酒壺が目に入った。

煌星は、慎重に空気を嗅ぐ。


(……ある。微かだけど、あの香りが)


慎重に棚の奥へと進み、一番小さな酒壺を手に取った。

封はされているが、鼻を近づけると確かに"南方の薔薇"の香りが混ざっている。


「やっぱり……これが、後宮に流れていた酒……」


煌星は、それを袂に隠し、ふと目に留まった書物を手に取る。


(これは……帳簿?)


開いたページには、"特別な酒"の取引記録が記されていた。

煌星は、それを胸元へと忍ばせ、慎重に倉庫を後にした。


部屋に戻ると、景翊が牀に横たわり、優雅に酒を傾けていた。


(……ほんと、遊び人の若様みたいなんだけど)


煌星は、ため息をつきながら、景翊の前に酒壺を差し出す。


「この成分、後宮の事件と同じものだよ」


景翊は、瓶を手に取り、僅かに目を細めた。


「となると……ここが供給元の一つというわけか」

「でも、妓楼が独自に調合したとは思えない。配合が専門的すぎる」


煌星は、慎重に酒壺を封じ直しながら言う。


「つまり、これを作ったのは別の"専門家"……後宮の誰か、あるいはそれに近い者だ」


景翊は腕を組み、ふと煌星の手元にある帳簿へ目をやる。


「それは?」

「倉庫で見つけた。"特別な酒"の取引記録みたい」


煌星は、帳簿を開き、慎重に文字を追う。

そして――


「……あった」


煌星の指先が、ある名前で止まる。


「……この名前……」


煌星は、景翊と視線を交わした。

帳簿には、後宮の関係者の名がはっきりと記されている。


「"あの人"が、やっぱり……」


景翊は、冷たく微笑む。


「さて……どうやって尻尾を掴むか、考えるか」


煌星は帳簿を閉じ、深く息を吐いた。


(これで、確実に繋がった……後宮の毒の真相に)

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