妓楼で手に入れた帳簿には、ある"後宮の関係者"の名が記されていた。
その者がこの"催淫酒"を妓楼から仕入れていたのは間違いない。
あとは、どう関わっているのかを突き止めるだけ――。
(……とりあえず、一歩前進、か)
煌星が帳簿を見つめながらそう思った瞬間、ふっと耳元に低い声が落ちる。
「――よくやった」
「っ……!!?」
びくっと肩を跳ねさせると、気づけば景翊がさらに距離を詰めていた。
いつの間に起き上がったのか、息がかかるほど近い。
まるで逃がすつもりはないと言わんばかりに、肩が触れ合いそうな位置まで迫っていた。
「……何してんの……」
「褒めてやってるんだが?」
くすっと笑いながら、景翊の指が煌星の頬を軽く撫でた。
(っ……近い……!)
思わずのけぞりかけたが、景翊の手が顎を軽く掬い上げる。
「お前、本当に自覚がないのか?」
「な、何が……?」
「……俺のこと、どう思ってる?」
(はぁぁぁぁぁ!!?!?!?)
突然の問いに、煌星の脳内で警報が鳴り響く。
あまりに不意打ちすぎて、頭がついていかない。
「ど、どうって……そもそも景翊は、僕をからかってるだろ⁈」
「からかってる?」
景翊は、楽しげに目を細めた。
そのまま、じわじわとさらに距離を詰めてくる。
(やばい、これほんとにやばい!!!)
煌星は反射的に景翊を押し返そうとした。
だが――
「逃げるなよ」
囁くような声と同時に、腕が煌星の腰を引き寄せる。
「~~~~っっ!!?」
鼓動が跳ねる。
唇が触れるか触れないかの距離。
琥珀色の瞳が、煌星を真っ直ぐに捉えていた。
「……っ!!」
煌星が身を固くした瞬間――
「……まあ、今は帳簿の話が先か」
ふっと景翊は唇を引き、余裕たっぷりに笑みを浮かべた。
(~~~~~~!!!や、やりやがったなこいつ!!!!)
一気に顔が熱くなる。
煌星は、瞬間的に景翊の胸を思い切り突き返した。
「お前ほんとに何なの!!?!!?」
「さっき言っただろう、俺のことをどう思ってるか――」
「もういい!!!!」
煌星は耳まで赤く染めながら、乱暴に帳簿を開き直す。
「帳簿の話をする!!!」
景翊はくすくすと笑いながら、「随分と可愛い反応だな」と呟いた。
(こいつ……!!!絶対いつか後悔させてやる!!!!)
「で?」
「……何が?」
「どうやって、こいつを追い詰める?」
煌星は、帳簿に記された"ある高官"の名前を指で叩きながら、景翊に詰め寄った。
「この人物が、例の"催淫酒"を妓楼から仕入れていたのは確実。でも、それだけじゃ決定的な証拠にはならないよね?」
景翊は、盃を回しながら静かに頷く。
「"後宮の酒"に細工をした証拠がなければ、この者を直接罰するのは難しいな」
「……だから、罠を張るしかないんじゃない?」
煌星は、真剣な眼差しで帳簿を閉じた。
「宴に誘い出すか、もしくは後宮内で接触を仕掛けるか……どちらにせよ、この人物を泳がせて証拠を掴む必要がある」
景翊は、盃を傾けながら考え込む。
「……宴か」
「うん。何か適当な理由をつけて催せばいい。月でも花でもいいしね。宮中の宴なら、こいつも顔を出さざるを得ない」
「その場で例の酒を使わせる、か」
「そう。直接手を汚させるチャンスを作るんだよ」
煌星は言いながら、ふっと息をついた。
「ああ、そうか。……僕が餌になればいいんじゃない?」
その瞬間、景翊の雰囲気が変わった。
「……は?」
さっきまでの軽薄な表情が消え、低く鋭い声が響く。
「自分が餌になる? 馬鹿か?」
「……馬鹿って……いや、だって……!」
「お前、襲われたばかりだろうが」
景翊は苛立ちを滲ませながら、煌星の腕を掴んだ。
「それでも、自分を囮にすると?」
「……でも、証拠が――」
「証拠を掴む前に、お前が何かされる可能性は考えないのか?」
琥珀色の瞳が、強く煌星を射抜く。
「……大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない」
煌星が苦笑混じりに言うと、景翊はぐっと腕を引き寄せた。
「お前が平気だと言っても、俺が平気じゃない」
鼓動が跳ねる。
「……景翊……?」
「……わかってないなら、もっとわからせてやるが?」
景翊の顔が近づく。
(待っ……またこの流れ!!!??)
「っ!」
牀の端に追い詰められ、顎を持ち上げられる。
「お前を……俺は守りたい」
次の瞬間――
「ちょ、待った!!!今は作戦会議中!!!!!」
煌星が手を突っ張って押し返した。
「……惜しい」
「惜しい、じゃねぇぇぇぇぇ!!!!」
煌星は真っ赤な顔で睨みながら、帳簿を乱暴に開く。
「と、とにかく!!宴を催して、奴を引きずり出す!!それでいいよね!!?」
景翊は、しれっとした顔で答える。
「仕方ないな……。ただし――お前は俺の側から離れるな」
「……はぁ……もう、好きにして……」
煌星は肩を落とし、深いため息をついた。
(ほんと、心臓に悪い……!!)
しかし、作戦は決まった。
次の宴は、また波乱が起きるんだろうな、と煌星は遠い目で天井を見たのだった。