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二十四、燃ゆる宴の前に

翌朝。

薄い朝の光が、妓楼の帳をうっすらと染めていた。

煌星はいつの間にか眠っていたらしく、ふと目を開けると、すぐ横で景翊が静かに座っていた。

膝の上には昨夜の帳簿が広げられ、手には盃ではなく茶碗。


「……起きたか」


静かな声が、寝起きの脳に柔らかく届いた。


「……朝……?」

「まだ早い。だが、そろそろ宮殿に戻らねばな」


景翊は茶を口に運びながら、帳簿に目を落としたまま答える。

煌星は起き上がりながら、しばらくその横顔を見つめた。

今までのような飄々とした姿ではない。

仮面のような笑みを捨てた、本来の彼。

――影武者でありながら、国を守ろうとしている男の横顔だった。


「……なんか、珍しく真面目だね」


思わずからかうように呟いた。

景翊はくすりと笑う。


「俺だって、いつもふざけているわけではない」

「へぇ、知らなかった」

「……知ってただろう、お前のことも?」


言われた瞬間、心臓が跳ねた。

煌星は誤魔化すように視線を逸らし、帳簿をひったくるように奪い取った。


「いいから、帰る準備だろ!!」

「はいはい、貴妃様」


からかうように笑う声を背に、煌星はぷいと顔を背ける。


(あーもう、ほんと……朝からこれだよ)


とはいえ、宴の計画は進めなければならない。

妓楼を後にした頃には、空の色が薄明に染まりはじめていた。

早朝の街道を進む馬車の中、煌星は窓の外に視線を投げたまま、無言だった。

あれだけの証拠を手に入れ、これでようやく一歩前進できる――そう分かっていても、胸の奥はざわついていた。

隣では、景翊が腕を組み、まるで何事もなかったかのように目を閉じていた。

けれど、彼の眉間にはわずかに緊張の名残があり、完全に気を抜いているわけではないのだと分かる。


「睨むなよ」


ふいに景翊が言った。


「別に……睨んでないよ」


煌星は反射的に返したが、自分がどんな表情をしていたのかまでは分からない。


「ふふ。ならいいが」


からかうような笑みを浮かべた景翊は、また静かに目を閉じた。

けれどその口元は、どこか安心したようにも見えた。

やがて、馬車が天璇宮の側門に滑り込む。

出迎えに現れたのは、柳蘭と柳香の侍女姉妹だった。


「貴妃様、お戻りをお待ちしておりました」

「貴妃様っ……ほんとに無事でよかったですぅ……!」


柳香が涙目で飛びつこうとしたのを、柳蘭が冷静に止める。


「柳香、ここは宮中ですよ」

「ひゃいっ……!」


そのやり取りを見た景翊が、小さく笑みを漏らす。


「ふ。いい侍女を持ったな」

「陛下。からかいすぎは禁物です」


柳蘭がすかさず釘を刺した。

煌星は、ため息混じりに頷きつつ、気を引き締める。

妓楼で得た情報と証拠、それをどう使うか。

もうすぐ、すべてが動き出す。


「まずは湯浴みを。その後、宴の段取りに移ります」


柳蘭の指示に従い、煌星が宮殿の奥へと歩き出すと、すぐ背後から景翊の足音がついてくる。


「……ちょっとさぁ……僕から離れる気はないの?」


振り返ることなく問うと、すぐに低い声が返った。


「気づくのが遅い」

「……っ」


言葉に詰まる煌星を横目に、景翊は軽く笑いながら歩を緩める。


「宴の準備、しっかり頼むぞ。貴妃様」

「……うっさい……!」


そう呟いた煌星の頬が、ほんのり赤く染まったのを、景翊は見逃していなかった。

その後、魏嬪と合流し、今回の「宴の主催」となる名目――"鳳華の気を慰めるための月見宴"を立てた。

後宮の動揺を鎮めるためにも、煌星が無事であることを示す意味がある。

そして、あの帳簿に名を連ねていた高官――"犯人の可能性が高い人物"も、宮廷内の重鎮として必ず招かれる立場だ。


「当然、奴は出てくるだろう。むしろ、来ざるを得ない」


景翊は確信を込めて言った。

煌星は、心を決めて小さく頷いた。


「宴は三日後。舞台は月花殿……そこに、餌と罠を仕掛けておく。あとは、奴がどう動くかだね」


景翊の指が、そっと煌星の手に触れる。


「……いいか。お前は俺のそばを絶対に離れるな」

「……はいはい」


軽く返しながらも、その言葉に微かな安心を感じた。

からかわれているようで、確かな想いがこもっている。

その真意に、煌星はまだ戸惑いながらも、次第に惹かれていく自分を自覚しつつあった。


(勘弁してほしいな……相手が景翊とかさ……)


自分自身に、煌星は溜息を吐いた。


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