宴が再開された。
楽人が再び琴を奏で、華やかな話声が殿内を包んでいく。
だが、張り詰めた緊張の糸はまだ誰の胸にも残っていた。
そしてそれは、煌星にも――。
(……さっきの香と酒。あれは、試すためのものだった)
視線を逸らせば、あの銀盃が目に映る。
煌星はそっと喉元に指を当てた。微かに熱が残っている。
(もし……もしもあの時、景翊が触れてくれなかったら)
恐らく、自分は“反応”してしまっていた。
それがどんな証拠として扱われたか――考えるだけで、息が詰まりそうになる。
「ご気分が優れませんか、貴妃様」
不意に声がかかる。
目を向けると魏嬪が立っていた。
心配そうな表情を浮かべ、そっと近づいてくる。
「今宵の香りが、少しきつかったのかもしれませんわ。月も見頃でございます。少し、庭の散策などいかがでしょうか?私が付き添いますわ」
魏嬪は景翊にも目配せをする。
すると景翊が、ゆっくりと頷いた。
「見て来るといい。魏嬪と一緒ならば問題ないだろう」
煌星もそれに頷き立ち上がる。
そんな風に煌星が少し席を外したほんの僅かな隙だった。
「陛下、お一人のうちに……よろしければ、盃を」
控えめな声と共に近づいてきたのは、張嬪だった。
艶やかな衣装に妖艶な笑みを浮かべている。
その手には、小ぶりの銀盃が乗った盆があった。
「ささやかながら、私からの献酬でございます。……本当に、ささやかでございますけれど」
しおらしく見せてはいるが、その視線は景翊に縋るようでいて、どこか自信にも満ちていた。
張嬪の纏う香りも、わずかに甘く、刺激的だ。
(……香も合わせてあるな。張嬪は常血だったか……煌星のようにはならないというわけか)
景翊は盃を手に取りながら、その色と香りに微かな違和感を覚えていた。
果実酒のはずなのに、底に沈むような淀みがある。
こういうことがなければ気が付かずに口にしていたかもしれない。そんな小さな違和感。
「……ふむ」
景翊は盃を唇に近づけたふりだけして、横目で張嬪を見やった。
彼女は期待に満ちた顔で、わずかに身を乗り出している。
「なかなか手の込んだ酒だ。張嬪、お前が選んだのか?」
「はい。父上様から分けていただいたものでございます。陛下の……ご寵愛を賜れたらと思いまして」
そこで初めて、景翊の瞳が冷たく光る。
(父上、ね……――龍景恒の手回しの可能性が高いな)
「宴には華やかさも必要だが、私は薄香のほうが落ち着く」
にこやかにそう言って、景翊は盃を卓に戻す。
張嬪の顔が、ほんのわずかに引きつった。
――と、そこへ煌星が戻ってきた。
「……陛下?」
その声に、景翊の口元が緩む。
「ああ、ちょうどよかった。貴妃、そなたの香りのほうが、よほど心地良い」
張嬪が何かを言いかけたが、煌星が景翊の袖を取ったのを見て、悔しそうに身を引いた。
(……失敗だったと、気づいていればいいがな……この娘もどこまで理解してここにいるものか)
そう思いながら、景翊は再び煌星の手を取り、その熱を確かめるように包み込んだ。