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三十六、試練の文、揺らぐ誇り

景翊の寝息がすぐ隣にある。

その温もりが、確かに彼の中の何かを安堵させていた。

だが同時に、胸の奥には重く張り詰めた緊張が残っていた。


(これは、“仮の契約”……でも、これで少しは……)


心を落ち着かせようと、静かに息を吐いた。

だが、その時だった。


「……貴妃様宛に、沈建業殿より書簡が」


柳蘭の声。

煌星が寝台を離れ、帳の外に出ると、そこには魏嬪と柳蘭が立っていた。

魏嬪の顔には、いつも以上に険しい色が浮かんでいる。


「中身は……?」

「直接お読みいただいた方がよろしいかと」


手渡された文には、確かに宰相・沈建業の印。

筆跡は堂々としている。

だが、そこに記されていた内容は――


“貴妃が、皇帝陛下の正当なる番である証左として、紋の顕現を願う”


煌星は、息を止めた。

魏嬪が唇を引き結ぶ。


「……つまり、“番の証”を見せろと。官僚の前で、正殿にて」

「不敬にも程があります」


怒りを隠そうともしない魏嬪。

だが、その隣で、煌星は視線を文から外さず、黙っていた。


「……あいつ、そこまでやるんだ。宦官や女官に調べさせるわけではなく、官僚の前で、ね……昨日のが余程堪えたのかな?」

「貴妃様……これは明らかに挑発です。政治の名を借りた、名誉への冒涜です」


魏嬪の言葉は正しい。

高貴なる妃の肌を晒せと言うのは、それだけで尋常ではない。

ましてやそれが“璃月”への要請ともなればさらに事態は深刻だ。

“煌星”であれば、機能は違うと言っても同じ性ではある。

しかし、“璃月”は違う。

だが――


「……なら、応じてやればいい」


その一言に、魏嬪も柳蘭も言葉を失った。


「貴妃様……?」

「僕が逃げれば、“やはり偽物だ”ってなるんでしょ? だったら……証を見せて、黙らせる」

「しかし、それは……あまりにも……」

「……僕は、璃月じゃない。でも……“皇帝の番”ではある。なら、それを見せればいい。全員の前で見せてやるよ」


その目に、迷いはなかった。

魏嬪が静かに頭を垂れる。


「……正殿には、明日の辰の刻に重臣を集めると書かれております。貴妃様、ご準備を致しましょう。とびきり美しく、清楚に」


煌星は頷いた。

魏嬪が去った後、煌星は寝台に戻る。

景翊はすでに目を覚ましていた。


「聞いていたんだよね?」

「……ああ」


景翊はゆっくりと身を起こすと、煌星の肩を抱いた。


「……すまない。俺が怒るべきなのに、お前に決意させてしまった」

「ううん……これは僕の戦いだから。ま、璃月ならもっと酷いと思うよ。あんな顔して苛烈なところあるからね」


おどけたように煌星がいうと、景翊はその額に口付けを落とす。


「……俺も一緒に行く」

「当然だよ、陛下」


その時の煌星の微笑は、確かに“璃月”のそれだった。



朝陽が昇る頃、宝華殿を発った貴妃と皇帝の一行は、正殿へと向かっていた。


煌星は美しい絹の薄衣を羽織り、慎ましやかに景翊の隣を歩いた。

その姿は、いつもの可憐な“貴妃・璃月”そのものだった。


「……ここで全部、終わらせてやる」


胸の内で、静かにそう呟いた。


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