目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

三十八、目覚めの龍、継がれし絆

正殿での一件から半日。

沈建業は拘束され、王宮の北棟にある仮牢へと幽閉されていた。

そこは元々、重臣や高位の者が罪を問われた際、一時的に身柄を留めるための場所である。

寒々しい石壁と、揺れる灯だけが彼を迎えていた。


「……まさか、あんな印が……」


沈建業は独り言のように呟きながら、牢の中で静かに座していた。

彼の顔には、敗北の色は濃い。

しかしその目は、なお完全に諦めたものではなかった。



一方、宝華殿では煌星が牀の端に座っていた。

後ろには当たり前のように景翊が横になっている。

一旦、政務に戻った景翊ではあったが、夜になるとやはり煌星の元に現れた。

昨日の今日で気恥ずかしさもあるが、そばにいてくれるのが嬉しくもある。

けれど、そんな気持ちとはうらはらに煌星の心は静まることはなかった。

今日一日で背負ったものの重さを思い返せば、今さらになって肩へとそれらが圧し掛かってくる。


(まあ、でも……これで少しは相手側の力を削げたかな……?)


全容がわかってない以上、今回のことがどう作用するかはいまいち読みきれない。

けれど沈が軽々しい立場でないことは、その身分を見ても動きを見ても推測はできる。

だとすれば少しは、と煌星は息を吐いた。


そんな時だった。


「……陛下がお目覚めになられたと」


魏嬪が扉を叩くこともなく、そっと告げた。

煌星と景翊は、同時に顔を上げる。


「……景耀が?」

「はい。意識が戻られたとのこと。ご案内いたします」


ふたりはすぐに身を整え、長い廊下を抜けて蘭台宮へと向かった。

かつて景耀と景翊が幼いが日々を過ごした場所。

その奥の寝所に、ようやく眠りから覚めた“帝”がいた。


そこには、医官と数名の侍女が控えていたが、部屋は静かだった。


牀の上、景耀は枕元からこちらを見ていた。

意識は戻っていても、まだ顔色は浅く、けれどその眼差しには確かな理性が宿っている。


「……兄上……」


景翊が近づき、静かに名を呼ぶ。

景耀は微かに目を細め、次に視線を煌星へと向けた。


そして、小さく呟いた。


「……私の璃月と……似ているな」


その一言に、空気が止まったような気がした。

けれど次の瞬間――


「は? 私、こんな優柔不断じゃないわよ」


奥から現れた璃月が眉をしかめて声を上げる。

続けて、煌星も眉を寄せながら言った。


「僕はこんなじゃじゃ馬じゃないからね」


部屋の空気が一瞬にして柔らかくなった。


「……そうか」


景耀がわずかに笑い、瞼を伏せた。

景翊はその様子を見て、小さく息を吐く。

璃月がゆっくりと景耀に歩み寄り、その枕元に膝をつく。


「……ごめんなさい。私が、ちゃんとあちらに居られなくて」

「……いや……私のそばに居てくれて嬉しく思うよ、璃月……」


景耀の言葉は、淡く、けれど芯があった。

そして、再び煌星の方へ目を向ける。


「……君が、守ってくれたのだな」


煌星はきちんと姿勢を正して、膝をついた。


「僕はただ……璃月の代わりに立っていただけです」

「それでも、あの殿で、沈建業の言葉を正面から受け止めたのだろう?魏嬪から聞いているよ」


景耀の瞳が、景翊に向けられる。


「……弟よ。私の代わりに、よく国を守ってくれた。……そして、この者を番に選んだのだな」


景翊は頷いた。


「当たり前の事だ。生憎、まだ煌星は口説いている途中なんだ。でも俺が選んだ唯一だ」


その声には、迷いは一片もなかった。


「……ならば、私から言うことは何もないよ」


景耀は枕に頭を預け、静かに目を閉じる。


「……後は、私の役目を全うしないとな……それにお前のことも……」

「……兄上?」

「もう少しだけ眠らせてくれ……お前たちの顔が見られたことで、心が落ち着いた。宰相のことは、また話そう」


景翊と煌星が互いに目を見交わす。

煌星は寝所を出る間際、最後に一度だけ振り返った。

寝台の中で、景耀は眠っているようで、口元だけはかすかに微笑んでいた。

璃月もまた寄り添って微笑んでいた。



殿を出たあと、煌星は緊張の糸をほどくように、小さく息を吐いた。


「……少しだけ、片付いたよね?」

「そうだな。少しだけ」


景翊がそっと手を差し出す。

煌星はその手を取り、小さく笑った。


「でも、これは“始まり”でもあるんだよね?」

「沈がああなった以上、更に仕掛けてくるだろうな……大丈夫か?」

「もちろん」


その言葉に、煌星は頷いた。

柔らかい提灯の光が降り注ぐ中、ふたりの影が寄り添って、蘭台宮を後にした。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?