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四十二、残火の罠、届かぬ矢

王宮の空は晴れていたが、その静けさの裏で、目に見えぬ罠が張り巡らされていた。

南苑の一画。景恒の居所では、密やかな策が進行していた。


「……蘇家は、皇帝の番を偽った娘を後宮に送り込み、皇帝の威を盾にしている。だが、それも長くはもつまい」


景恒は書簡を一つ捺印し、側仕えの宦官に手渡す。


「南部の県令に伝えろ。蘇家の土地で、過去十年分の税に不備があったという“噂”を流せ。百姓の不満が高まれば、それは証拠など不要の“火種”となる」


宦官が深く頭を下げ、影のように去っていく。


「……あの子の番であることが真実ならばなおのこと、その背景を断つ。蘇家が潰れれば、“貴妃”という存在も立場を失う」


景恒の目は、冷たい光を宿していた。



一方、王宮・宝華殿。

煌星は、魏嬪からの報告を受けていた。


「南苑から繋がる宦官の一人が、“定例の巡察以上に南部への文を運んでいた”と。錦麟衛の者が捕らえました」


「……つまり、まだ後宮と外が繋がってるってことだね」


煌星は卓に広げられた地図を見下ろす。


「その“外”って……蘇家の領地、か……よくやってくれるね」


魏嬪は表情を引き締めたまま、頷いた。


「はい。そして、錦麟衛が把握した地方報にて、蘇家領で“納税の不正”に関する噂が流れ始めています。明らかに、意図的なものです」


煌星は手を握りしめた。


「……父上に、何かあったら……」


そこへ、景翊が現れる。


「お前の父は、そう簡単に折れる男じゃない。だが、今のこれは“蘇家”ではなく、“お前”を潰すための攻撃だ。お前が心乱されれば、それだけで奴らの勝ちになる」


「……わかってる。でも、やっぱり怖いよ」


その正直な言葉に、景翊はそっと手を伸ばし、煌星の肩を抱いた。


「怖い時は、支え合えばいい。お前が番として、ここに立ってくれているように、俺もまた、お前の後ろにいる」


そのぬくもりに、煌星の緊張がわずかに緩んだ。



その夜、煌星は寝室の片隅で、父のことを思い返していた。


(ずっと、父の背中が重く見えていた。……家を守るって、あんなにも苦しいんだ)


景翊が静かに隣に座る。


「……背負うな、煌星。お前は、守られることを恥じるな」


煌星は首を振る。


「……歯痒いんだよ。何もできない自分が。それに僕は……家の重さも、責任も……何もかも、一度投げ出した」

「……でもそのおかげで、俺はお前に出会えた。お前が“罪”と思うことは“罪”ではないと、お前がここで証明している」


煌星は、じっと景翊の目を見つめた。


「……僕、まだ強くなれるかな」

「なるんだ。俺の番だろう?」

「……それ、まだだから」


その言葉に、煌星は少しだけ、泣き笑いのような顔で頷いた。



その翌朝、錦麟衛の中枢にて。

景翊が、自らの印を押した新たな指令文を封した。


「南苑、ならびに蘇家領の情報網を拡充せよ。必要があれば、地方官への直接監察も許す」


その令は、錦麟衛の“武装化”への第一歩となった。

王宮の中で、静かに刃が研がれ始めていた。


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