(……あの人の隣に立つと決めた以上、僕にもやれることがあるはずだ。いや、まだ本決まりじゃないけどな!あいつ次第だし!)
煌星は心の中で自分を叱咤しつつも、今朝から準備させていた席へと視線を送った。
後宮の妃たちを招いた茶会。
名目こそ「季節の香を楽しむ集い」だが、実際には“貴妃・璃月”としての立場を明確に示し、周囲の反応を見定めるための場だった。
魏嬪、張嬪、柳美人、沈才人、そして韓才人。
後宮のすべての妃が一堂に会するのは久しぶりだった。
「この香……とても柔らかくて、品がありますわね」
最初に声を上げたのは柳美人だった。
煌星は微笑み、香炉の横へと手を伸ばす。
「春蘭と白檀、それに少しだけ青梅の皮を混ぜてます。香りの重なりを楽しんでいただけたら」
「……まあ」
柳美人が目を丸くした。
「ご自身で?」
「ええ。もともと、香りを調えるのが好きだったので」
その一言に、張嬪の口角がゆっくりと上がった。
「ふふ……さすがですわ、貴妃様。香までお作りになるなんて。お家柄の影響でしょうか。確か、ご実家の弟君……市井で調香師をされているとか?」
沈才人がふっと眉を動かした。
柳美人は気まずそうに茶に目を落とす。
煌星は微笑を崩さず、ゆっくりと首を傾げる。
「……ええ、弟はそうですね。でも今日の香りは、私が調えたものですよ」
張嬪は杯を置き、あえて香炉の方に鼻を寄せた。
「なるほど。だからでしょうか、この香……どこか“市井の香り”がしますのね。皇帝陛下のお部屋には少々似つかわしくないかも?」
その言葉に、周囲が凍りつく。
煌星は、怒らなかった。
ただ、笑うこともなく、杯をそっと置いた。
(……そこまで、言うか。香は、僕が調合した。僕の手で、この空間を作った。市井の香りってなんだよ?焼き饅頭の匂いでも混ざってるか?)
胸の奥に、じわりと何かが滲む。
それが怒りなのか、哀しみなのか、自分でもわからなかった。
「張嬪!」
突然、鋭く張り詰めた声が響いた。
「……貴妃様を、馬鹿にするのはやめてください!」
声の主は、韓才人だった。
その声音には、普段の穏やかさが微塵もなかった。
「貴妃様は、いつも私たちに分け隔てなく接してくださいます。香を調える技も、言葉の選び方も、……どれも見習いたいと、ずっと思っていました」
張嬪は目を見開いた。
「韓才人……?」
「張嬪こそ、品位を欠いています」
茶器を持つ手が震えた。
だが、震えていたのは張嬪だけではなかった。
沈才人は視線を伏せ、魏嬪は冷ややかに場を見つめていた。
「……私は、ただ、少しだけ冗談を」
「冗談にしては度が過ぎますわ」
魏嬪の低く澄んだ声が重なった。
「貴妃様はこの後宮で、唯一陛下に寄り添える存在。その方に対しての言葉は、慎まれて然るべきではありませんか?」
張嬪の顔色が、徐々に青ざめていく。
(……魏嬪、韓才人、ありがとう。……でも、僕は)
煌星は、そっと立ち上がった。
「……張嬪」
張嬪がびくりと肩を震わせた。
「さっきの香の話、確かに少し未熟だったかもしれません。でも、私は、香で空間を整え、誰かの心を和らげたいと思っています」
それは、素直な気持ちだった。
「……だから、この席が、誰かを傷つける場にはしたくない」
静かな言葉に、部屋の空気が和らいでいく。
張嬪は伏し目がちに頷いた。
(“璃月”としてではなく、“煌星”として、できること……やっと少し、見えた気がする)
香の煙が、淡く流れ、空気を優しく包み込んでいた。