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四十四、薫る席、揺れる想い

(……あの人の隣に立つと決めた以上、僕にもやれることがあるはずだ。いや、まだ本決まりじゃないけどな!あいつ次第だし!)


煌星は心の中で自分を叱咤しつつも、今朝から準備させていた席へと視線を送った。

後宮の妃たちを招いた茶会。

名目こそ「季節の香を楽しむ集い」だが、実際には“貴妃・璃月”としての立場を明確に示し、周囲の反応を見定めるための場だった。


魏嬪、張嬪、柳美人、沈才人、そして韓才人。

後宮のすべての妃が一堂に会するのは久しぶりだった。


「この香……とても柔らかくて、品がありますわね」


最初に声を上げたのは柳美人だった。

煌星は微笑み、香炉の横へと手を伸ばす。


「春蘭と白檀、それに少しだけ青梅の皮を混ぜてます。香りの重なりを楽しんでいただけたら」

「……まあ」


柳美人が目を丸くした。


「ご自身で?」

「ええ。もともと、香りを調えるのが好きだったので」


その一言に、張嬪の口角がゆっくりと上がった。


「ふふ……さすがですわ、貴妃様。香までお作りになるなんて。お家柄の影響でしょうか。確か、ご実家の弟君……市井で調香師をされているとか?」


沈才人がふっと眉を動かした。

柳美人は気まずそうに茶に目を落とす。


煌星は微笑を崩さず、ゆっくりと首を傾げる。


「……ええ、弟はそうですね。でも今日の香りは、私が調えたものですよ」


張嬪は杯を置き、あえて香炉の方に鼻を寄せた。


「なるほど。だからでしょうか、この香……どこか“市井の香り”がしますのね。皇帝陛下のお部屋には少々似つかわしくないかも?」


その言葉に、周囲が凍りつく。

煌星は、怒らなかった。

ただ、笑うこともなく、杯をそっと置いた。


(……そこまで、言うか。香は、僕が調合した。僕の手で、この空間を作った。市井の香りってなんだよ?焼き饅頭の匂いでも混ざってるか?)


胸の奥に、じわりと何かが滲む。

それが怒りなのか、哀しみなのか、自分でもわからなかった。


「張嬪!」


突然、鋭く張り詰めた声が響いた。


「……貴妃様を、馬鹿にするのはやめてください!」


声の主は、韓才人だった。

その声音には、普段の穏やかさが微塵もなかった。


「貴妃様は、いつも私たちに分け隔てなく接してくださいます。香を調える技も、言葉の選び方も、……どれも見習いたいと、ずっと思っていました」


張嬪は目を見開いた。


「韓才人……?」

「張嬪こそ、品位を欠いています」


茶器を持つ手が震えた。

だが、震えていたのは張嬪だけではなかった。

沈才人は視線を伏せ、魏嬪は冷ややかに場を見つめていた。


「……私は、ただ、少しだけ冗談を」

「冗談にしては度が過ぎますわ」


魏嬪の低く澄んだ声が重なった。


「貴妃様はこの後宮で、唯一陛下に寄り添える存在。その方に対しての言葉は、慎まれて然るべきではありませんか?」


張嬪の顔色が、徐々に青ざめていく。


(……魏嬪、韓才人、ありがとう。……でも、僕は)


煌星は、そっと立ち上がった。


「……張嬪」


張嬪がびくりと肩を震わせた。


「さっきの香の話、確かに少し未熟だったかもしれません。でも、私は、香で空間を整え、誰かの心を和らげたいと思っています」


それは、素直な気持ちだった。


「……だから、この席が、誰かを傷つける場にはしたくない」


静かな言葉に、部屋の空気が和らいでいく。

張嬪は伏し目がちに頷いた。


(“璃月”としてではなく、“煌星”として、できること……やっと少し、見えた気がする)


香の煙が、淡く流れ、空気を優しく包み込んでいた。


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