蘭台宮の灯は、夜更けにもかかわらず静かに灯っていた。
その中心で、景耀が枕元に身を起こし、迎えたのは景翊。
璃月が手燭を手に、静かに案内してきたのだ。
「兄上、具合は……」
「少し歩いたが、まだ足元が頼りないな。だが、意識ははっきりしている」
景耀は柔らかく笑みを見せ、景翊の方へ目を細めた。
「今日は煌星殿は一緒じゃないのか?」
景翊もまたわずかに笑う。
「ずっと連れて歩くわけにもいかないでしょう。そうしたいのは山々ですがね」
「お前ならやると思っていたのだが」
短いやりとりの後、璃月は空気を読んで静かに下がった。
部屋に二人きりになると、表情から穏やかさが抜け、緊張が走る。
「錦麟衛が動いたと聞いた」
景耀の一言に、景翊は頷いた。
「南部、豊凌県の張源。景恒と繋がりがありました。魏嬪が内通の線を突き止め、密書を押さえました」
「やはり後宮にも“目”がいるか」
「はい。張嬪の侍女筋に、怪しい動きが……。奇妙な香が、いくつかの部屋に撒かれていたとの報せです」
「香……」
景耀は目を伏せ、静かに息を吐く。
「最も静かに、だが最も深く入り込む毒。それに気づいたのは誰だ?」
「煌星です。……香を知る者でなければ、見過ごしていたでしょう」
景耀はふっと微笑んだ。
「流石だな……璃月も誇らしく思うだろう」
景翊は黙って頷いた。
「錦麟衛は張嬪の周囲からさらに探りを進めています。香に反応したのは、一部の妃たち……明らかに精神が不安定になった者も」
「ならば、その香が仕込まれた意図を見抜かねばなるまい。……後宮も閉じる頃合いかもしれないな」
景耀は枕元の箱から、小さな封を取り出した。
「これは、私からの密勅だ。そろそろ、“影”のままではいられまい。景翊、皇弟としての立場を、徐々に整えよ」
景翊は深く頭を垂れ、封を受け取った。
「承知いたしました」
※
煌星はその夜、後宮の庭を静かに歩いていた。
香炉に使う草木を見に来た帰り道、通路の角で誰かと出くわす。
「……あ、貴妃様」
そこにいたのは韓才人だった。
手に、薄い絹で包まれた香包を抱えている。
「夜分にすみません。これ、張嬪様から配られたものです。“春蘭香”だそうで……皆さんに回すようにと」
煌星はふと立ち止まり、香包を受け取る。
その瞬間、鼻先にかすかな甘さが流れ込む。が――
(……甘すぎる? それに、何か……引っ張られるような)
「ありがとう。……でも、韓才人は使わないで。できればしばらく、身につけずに……」
「はい?」
「ちょっと、気になって……韓才人には私が調合したものをお分けしましょうね」
煌星は微笑みながら香包を懐に収めた。
(香は人を癒す。でも、それを利用する人間がいるなら――僕は、それを許さない)
夜の風が、衣の裾を優しく揺らした。