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四十八、香の記憶、夜を焦がして

張嬪が後宮にばらまいた“香”の正体を探る中、煌星はひとつずつ丁寧に反応を確かめていた。

それぞれによくない兆候が出てきている、との報告が届いている。


(……やっぱり、合歓に青梅皮、それに微量だけど龍脳。心を鎮めて、判断力を鈍らせる……けど、思ってたより弱い。これ、強める香材がなきゃ作用しない)


なぜこんな中途半端な香を張嬪に渡したのか。

そして、なぜ全妃に。


その思考が行き詰まる前に、外で気配がした。


「……貴妃様、あの、お話が……」


その表情はどこか蒼ざめ、手には握りしめられた香包があった。


「韓才人。どうされましたか?」

「昨日いただいた香……なんだか夜に、頭が熱くなって、寝つけなかったんです。夢も変に甘くて……目が覚めたとき、涙が出ていて……」


その言葉に、煌星は眉をひそめ、そっと椅子を勧めた。


「それは……怖かったでしょう?」


韓才人がこくりと頷く。


「……張嬪様に悪気はないと信じたいけれど、少し不安で……」


煌星は香棚から自分が調合した香を一包取り出し、そっと韓才人の手に持たせる。


「これを枕元に置いて眠ってみて。私が調えたもの。心を鎮めて、穏やかな夢を見られる香です」

「ありがとうございます、貴妃様……璃月様……」


韓才人の手を、煌星はそっと撫でる。


「私は貴妃です。あなた方を守るのも私の役目。誰かを惑わすような真似はしない。……だから、信じて使ってみてください」


韓才人が深く頭を下げ、静かに退室したあと。

煌星は息を吐き、天井を仰いだ。


(あれは“発情”を誘導する配合だった。もしかしたら、僕を……いや、“璃月”を誘い込むための)


胸の奥に、うっすらと焦燥が湧いていた。


(……それでも、逃げない。僕はもう決めたんだ)


その夜。

景翊はいつものように煌星のもとを訪れた。

静かに迎えた空間で、しばしの沈黙のあと、煌星は口を開く。


「……ねえ、景翊。僕……今夜は、あなたに抱かれたい」


景翊の手が止まり、静かに顔を上げた。


「……どうして?」


煌星は、膝の上で手をぎゅっと組んだ。


「仮の契約……“番”としてのつながり。今はそれだけど、それでも……僕はあなたともっと強く、繋がっていたい。そう思ったから」


顔が熱くなるのがわかった。

自分からこんなことを言い出すなんて景翊はどう思うだろうか。

それを考えると、とてもじゃないが目を合わせられない。

けれど、煌星は浮ついた気持ちでそう言い出したのではない。


「明日、また後宮がざわつくかもしれない。張嬪のこと、香のこと……僕はその中に飛び込んで行こうと、思ってる。でもその前に……」


景翊がゆっくりと席を立ち、煌星の前に膝をついた。


「……俺は、いつでもお前の隣にいる。番として。伴侶として。今夜は、そうしてほしいというなら……」


そのまま、静かに抱き寄せた。

唇が重なり、指が頬をなぞる。


「……ありがとう。僕、ちゃんと生きてるって思える」

「当たり前だ……。末長く、俺の側にいてくれ」


そっと首元に景翊の指が落ちてくる。

衣の合わせが崩れ、肌が空気に触れた。

香の記憶が揺らぎ、夜が深まる中で、ふたりの影が静かに重なっていった。


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