「どうして、奴ら、早い!」
敵襲の知らせを受けて、ドーズはそう言葉を発しつつ、宿屋の外に飛び出した。
そのまま、ドーズは村でいちばん高い丘の上に駆け上がる。息が切れるが、それに構ってられる場合ではない。そして、頂きに辿り着いたドーズの目に入ったのは、見忘れもしない、ハエラ軍の軍装をした騎兵隊だった。だが、意外だったのは、その数である。
「少ない……百騎居るかどうか……?」
ドーズは呟いた。だが、安堵はできない。何しろこちらには純粋な武人はドーズひとりしか居ないのだから。そして、なによりも恐るべきことは、あの数の騎兵が、倍以上の人数を擁していた国境警備隊を全滅させた、という現実である。それも、荒地にある筈のない濁流によって。
「水……」
何が濁流を発生させる新兵器でも持っているのだろうか。ドーズは目を凝らした。だが、騎兵隊のなかにそれらしきものは見えない。至って、その数さえ除けば、それは通常の戦場と変わらぬ光景であった。
しかしながら、攻撃は急であった。
「うわっ!」
空に、一陣の風が渦巻いた次の瞬間、ドーズの目が捉えた光景は信じがたいものであった。水の壁が村を包囲していたのである。そして、その壁は瞬時に崩れると、濁流と化し、小高い丘の上にあるはずの村に向かって、恐ろしい勢いで遡上し始めた。
「なんだ……これは!」
それは齢二十七に達しようとするドーズの生涯においても、見たことのない風景であった。濁流が村の低地にある家を巻き込んで、跡形もなくそれを流し去る。それに飽き足らず濁流はますます勢いを増し、飛沫を高く上げつつ、村を席巻し、あらゆるものを飲み込み破壊していく。
ドーズはしばし呆然と、その様子を見ていることしか出来なかった。目の前で何が起きているのか、まったく理解できないのだ。
「水の画力の持ち主が居るのね」
突如後ろから聞こえてきた声に、ドーズは我に帰った。その声の主は、息を弾ませたザキナであった。ドーズを追って丘の上に、ようやくいま、たどり着いたところらしい。
「ザキナ……!」
思わずその名を呼んだものの、ドーズには、先ほどのザキナの台詞の意味がまったく分からない。そうこうするうちに、濁流の水飛沫が丘の上にも迫りつつあった。もう沢山の村人が、濁流に呑まれて命を落としているのは明白であり、この丘の上に辿り着くことのできた数少ない村人たちは、その光景を見て泣き叫んでいる。
その場に冷静に立っているのは、ザキナただひとりであった。そして、いきなりザキナは無言でドーズの前に出ると、水飛沫のなかに躍り出た。
ドーズが叫ぶ。
「ザキナ! 何を……!」
「ドーズ大尉、下がって!」
ザキナはそう言いながら、濁流の目前に立ち、右手を高らかに天に向かって振り上げた。その手には、ドーズが彼女に贈った銀筆が固く握られている。そして、ザキナはその銀筆で、空間に流線型の何かを描きつつ、叫んだ。
「風!」
一瞬の間を置いて、突風が巻き起こった。ドーズが視線を投げた先では、ザキナと濁流の間に、竜巻のような風の渦が立ちはだかっていた。水と風が互いにぶつかり合い、唸りを上げながら、その力を競いあっているのだ。
そして、どのくらいの時の後か、ドーズにはもうわからなかったが、突如、濁流が丘の下へと流れを変えた。風の力が水を凌駕したのだ。水が逆流して村の低地へと引いていく。そして、今度は草原に展開していた騎兵隊を飲み込んでいく。
「風よ! 仕上げ!」
ザキナの手にある銀筆が、その声とともに、再び空を躍った。またも突風が巻き起こる。先程の倍の大きさの竜巻が、草原に広がる濁流と騎兵隊を天空に吹き飛ばした。
静寂が訪れた。ドーズはザキナの側に駆け寄り、丘の下を見おろした。そこから見えるのは、村の低地を抉った濁流の跡、それのみである。壊され流された家屋や人、そして騎兵隊の残骸は、欠片すら残っていない。すべてザキナが起こした風の力で消し飛ばられたようである。
ザキナもそれを確かめると、ようやく、空にかざした銀筆を下ろし、大きく息を吐いた。
ザキナはドーズに向き直り、言った。
「これが、
「画力……?」
「空に描いた自然を実体化させる力のこと」
言葉もなく立ち尽くすドーズの耳に、静かなザキナの声が響く。
「私の一族は、その力の持ち主なの……」