「ちょっと失礼」
不意に響いた私の声に、先ほどまで騒がしかった場が静まり返る。
「あん?」
「うん?」
「なんだい?」
すると、三人の視線が一斉に私へと集まった。
路地裏の空気が、一瞬にして変わる。
私の登場に驚いたのか、それとも得体の知れない何かを感じ取ったのか。
全員が動きを止めて、じっと私のことを見る。
「そこの地面に転がっている彼。私に譲ってくれないかしら」
「はあ?何いってんだテメェ」
「何って、そのままなのだけれど。もしかして、言葉の意味がわからないの?それとも、その耳はただの飾りなのかしら」
「おいおい。もしかしてテメェ、今俺のことを馬鹿にしたのか?」
「あら。ちゃんと聞こえているじゃない。それに、言葉の意味もちゃんと理解できている。なら、何をそんなに怒っているの?さっさとあなたの後ろにいる彼を、こちらに渡してちょうだい」
「はっ。随分とお上品な喋り方だか、もしかしてテメェ、お貴族様か何かか?なら、これはお貴族様の気まぐれか慈悲ってやつか。ふっ。悪いことは言わねぇ。さっさと帰るんだな。ここは、テメェのような世間知らずが来る場所じゃねぇぜ」
「ふむ。意外にも親切なのね。けれど、三回も同じことを言わせないでくれるかしら。私は、その青年をこちらに渡しなさいといってるのよ」
「チッ。俺はちゃんと警告したからな。ポヨン、シース、多少手荒でもいいから…あいつをこの場から追い返せ」
「あいさ!兄貴!」
「はいよ!」
大男のその言葉を合図に、小太りの男は短い腕を振って短剣を投擲し、ドレスを着た女は服装に似合わない速さでいつの間にか手に握っていた鞭を振り上げる。
「ふふ。思い返してみれば、この回帰後の人生でエルメルダ以外の誰かと戦うのは初めてね。ちょっと、心が躍ってしまうわ」
そんな危機的状況だというのに、私は口元が緩むのを止められなかった。
「おいで。アポクリス、アルティミア」
私がそう呟くと、左手の親指に付けていた指輪がわずかに光る。
すると次の瞬間、先ほどまで何も無かった私の手には、愛剣であるアポクリスとアルティミアが握られていた。
そして、右手に握ったアポクリスを横に一振りした瞬間。
私のアポクリスと投擲された短剣がぶつかり、カンッ!-という、小気味良い音と共に短剣が地面に落ちる。
「……はぇ?」
「ふん!少しは腕が立つようだね!けど、これは止められるかい?」
小太りの男の驚いた声を掻き消すようにそう声を上げたドレスを着た女性は、振り上げた腕を私に向かって振り下ろす。
「悪くない連携ね。でも、今回は相手が悪かったわね」
そうして目の前まで迫っていた鞭を、しかし私は右足を半歩分だけ左に引いて避ける。
すると、女性の振るった鞭は風を裂く音と共に、私の鼻先をかすめるようにすれ違った。
そのタイミングで私は左手のアルティミアを下から切り上げると、鞭は半ばあたりで切り裂かれる。
切れ端は空中で一瞬もがいたように見えたけれど、すぐに重力に引かれてずるりと地面に落ちた。
--なんだか、蛇みたいだったわね。
「はあ?」
すると、音速に迫るような速さの鞭を私が避け、さらには切り返したことがよほど意外だったのか、女性はその場で動きを止め、なんとも間抜けな顔でそう呟いた。
「なんで、あたしの鞭がこんな簡単に……」
「あら。そんなに驚くことかしら。鞭って、確かに威力と速さを併せ持った素晴らしい武器ではあるけれど、案外軌道が読みやすいのよ?」
「そんなことできるわけ……」
「そうでもないわよ?腕の振り方や肘の曲げ具合、それに体の向きと手首の角度。この4つを見れば、避けることも容易いわ」
小太りの男もドレスを着た女も、私の言っていることが理解できないのかぽかんとした顔をしているが、これはそんなに驚くようなことでもない。
これは、私が何度もエルメルダと手合わせをして得た一つの悟りで、武術や武器術というものは、結局のところ一つに集約される。
それが--体の動かし方だ。
例えば視線の動き、体の開き方、腕の振り方、肘や手首の角度、腰の捻り方、それから足の向きやつま先の角度など……
--そういうのを見ていれば、自ずと相手がどこを狙い、どのように攻撃してくるのか、それがまるで未来予知のように分かってしまう。
もちろん、そこに魔法などの別の要因が加わるとまた変わってくるのだけれど、今回のようなただの武器術による戦いであれば、この悟り一つで大抵はなんとかなる。
「ふふ。ちゃんと見えてるのよ、全部ね」
「は、反則だろ!そんなの!!?」
「冗談でしょ…なんなのさ、その能力。あり得ないわよ」
二人は私の説明を聞いても理解できないようだけれど、これは嘘じゃない。
私は実際、かなり目がいい方だ。
その上、一般の人よりも集中力が高い方だから、この二つが合わさるだけでまるで時間が少し遅くなったみたいに、世界がゆっくり見える。
つまり、私のこの特殊な能力は、私の才能とエルメルダとの手合わせによる経験が生み出した、私だけが見える特別な景色ということだ。
「さて。次は私の番。私、強い人としか戦ったことがないから力加減がわからないの……間違えてしまったら……ごめんなさいね?」
「ちょっ、ちょっとまっ……かはっ……」
「ひ、ひぃ!?くふぅ……」
私は予め力加減を間違えてしまった時のために謝罪をすると、女性の静止を求める声を無視して彼女のガラ空きになった懐へと入り込む。
そして、剣の柄で腹部に一発入れ、同じように小太りの男の首裏に一発を入れる。
「ふぅ…あなたはお腹の脂肪が邪魔そうだから首にしたけれど、骨が折れてたら歩けなくなるか、最悪、指先一つ動かせなくなるかもしれないわね。まあ、最初に仕掛けてきたのはあなたたちなのだし、死んでいないだけありがたいと思って許して欲しいわ」
彼らは私の明確な身分を知らないとはいえ、貴族であることを知りながらも手を出したのだから、普通なら死んでいても文句は言えない。
それでも生かしておいたのは、今は殺す必要がないと判断したから。
ただ、それだけの理由よ。
--なんなら、生かしておけばこの後で何かに使えるかもしれないしね。
「それはさておき」
足元に落ちた短剣に、私はちらりと視線を落とす。
微かに湿った刃先には、紫がかった液体がこびりついていた。
それが空気に触れ、じわじわと黒ずんでいくのを見て、私は口元をわずかに歪めた。
「毒…ね。ふふ…思ったよりやるじゃない」
鈍く光るその液体を靴先で払いながら、私は小さくため息をついた。
私には毒の耐性とかもないし、もしあれがかすっていたら、さすがの私でも大変なことになっていたわ。
「やっぱり、ここで殺すべきかしら」
まあ、実際にどうするかは後にして、それよりもまずは……
「次は、あなたの番よ」
「はっ。随分とやるじゃねぇか。ポヨンとシースを瞬殺するとは。伊達に一人で俺たちに絡んできたってわけじゃないようだな」
「御託はいいわ。あなたは、やるの?やらないの?」
「当然やるぜ」
「そう。なら、早く始めましょう?あなたのお仲間が手応えなかったから、かなり物足りなかったのよ」
「はっ。ほざきやがって。その鼻っ柱、すぐに折ってやるぜ!!」
そうして、大男は私の鼻っ柱を折るため、地面を強く踏み締めた。
その瞬間、肩に刻まれたタトゥーが盛り上がった筋肉と共に浮かび上がり、彼はミノタウロスにも負けないような迫力で笑いながら私へと迫ってくる。
--それにしても、あの小太りの男、さっきポヨンって呼ばれていたわよね。
何とも可愛らしい名前じゃない。
まあ、それはさておき……
「ふふ。なかなかの迫力ね。これなら、ちょっとは楽しめそうだわ」
そう呟いた瞬間、私の口元が自然と綻ぶ。
--今度は、もう少しだけ本気で相手をしてあげるわ。
「さぁ--楽しいダンスの始まりよ」