「お、お願いします。どうかこのお金で、妹を返してください……」
「しつけぇなぁ。だから、そんな端金じゃ返せねぇって言ったんだろ!!」
最初に声が聞こえた方に近づいていくと、男の怒鳴り声とは別に、さっきはか細く聞こえていたもう一つの声も鮮明に聞こえ始める。
その声を頼りに角を曲がって少し進んでいくと、そこにいたのは廃れた路地裏には似合わない綺麗な服を着た、首筋や肩に斧を持ったミノタウロスのタトゥーが入っている三人組がいた。
真ん中には、後ろ姿からでも分かるほど筋肉が盛り上がった大男。
そして、その両脇には目が細く閉じられた小太りな男と、昼間なのに深くスリットの入った色気のあるドレスを着た女。
そんな見るからに善良とは呼べない人たちが、誰かを取り囲むように立っていた。
「ですが、以前は金貨5枚で返してくれるって……」
「それは去年の話だろうが!!こっちはな!テメェが金を稼いでる間も妹のことを養ってやってたんだよ!だから、食事代や衣食住に利子も含めて、今は金貨12枚だ!!!」
「そ、そんな。一年間頑張って貯めたのに、そんなの無理で……かはっ!?」
「うるせぇ!!」
大男はそう言ってその場にしゃがむと、下がっていた青年の髪を掴んで無理やり頭を上げさせ、そして覗き込む。
「こっちだってな、慈善事業じゃなく商売でやってんだ。それとも--妹がどうなってもいいのかぁ?お前の妹は顔がいいからな。買い手を探せばすぐに見つかるんだぞ」
「そ、それだけはやめてくださ……」
「だったら金を返しやがれ!!」
「くっ!!」
青年の言葉を遮るように怒鳴った大男は、掴んでいた青年の頭を地面に叩きつけると、青年からまたしても苦しそうな声が漏れ出る。
「ひぃ~。兄貴の蹴りは相変わらずすげぇなぁ!てか、俺だったらとっくに妹のことなんか見捨てて逃げるってのに、あいつは健気だなぁ」
「あんたは馬鹿だね。ああいうのは健気って言うんじゃないよ。ただの馬鹿っていうのさ」
「あっはは!違いねぇ!ありゃあ、現実の見えてない馬鹿だなぁ!うん?今俺っちのこと、馬鹿って言った?」
「聞き間違いだろうさ」
「だよなぁ!あっははは!」
そんな大して愉快でもない会話をしているのは、小太りの男とドレスを着た女。
その向こうで買い手がどうのと怒鳴っているのは、さっき兄貴と呼ばれていた大きな男だった。
--さっきから聞こえていた怒声は、あの男のものね。
そして、その三人に囲まれているのは、顔こそ見えなかったが、体や手足がかなり痩せて見える青年で、彼はさっき蹴られたお腹を押さえながら呻いていた。
私は、そんな彼らのやり取りを角を曲がった陰に身を潜めて--気配を殺しながら、その光景をまるで他人事のように冷ややかに見つめた。
『あれは何をしてるのぉ?』
『徴収…お金を取り立てているんじゃないかしら』
『お金の徴収?何でそんなことしてるのぉ?』
『きっと、それがここのルールなんでしょうね』
私も、ここにどんなルールがあるのかはよく知らない。
けれど、ここのような裏路地や貧民街には決まって独自のルールや掟があって、そんなルールや掟に縛られながら生きている人たちが確かに存在している。
縄張り、立ち入り禁止の道、時間帯ごとの通行権、そして、誰が誰に頭を下げるべきか--そんな細かいルールが、息をするようにごく当然のものとして存在している。
それは貴族の間にも似たようなものがあるけれど、あちらが『建前』と『格式』で成り立っているとすれば、こちらは『暴力』と『恐怖』でルールが根付いている。
なのに--不思議よね。
身分も生活も違うのに、貴族も貧民街のリーダーたちも、そのルールの根本にあるのはお金なんだもの。
暗黙のルールは、結局のところお金をどれだけ払えるか、それで立場も身分もその後の未来も、簡単に変わってしまうのだから。
『でも、彼の場合は普通のお金の徴収じゃないみたいね。おそらくだけど、彼はあの三人からお金を借りたんじゃないかしら。そして、その際に妹さんが担保として連れて行かれた』
『なるほどねぇ』
『ただ、その時に借りたお金は金貨5枚だったけれど、今は金貨12枚になったみたいね』
『金貨5枚が12枚?ってことは、利子だけで140パーセントってこと?!』
『その通りよ。平民ならまだしも、こんなところに住んでいる貧民じゃ、金貨5枚を貯めるのも大変だったでしょうに』
『うわぁ~。じゃあ、それを知ってて貸したってことぉ?それって、最初から妹ちゃんを返す気なかったってことじゃ~ん』
『その通りよ。ほんと、ずる賢い商売よね』
ここは貧民街にも似た場所だから、まともな仕事もなければ収入も少ないはずで、彼のような貧民は金貨1枚でも貯めるのはかなり大変なはずだ。
そんな状況で金貨を5枚も貯めた彼は頑張った方だと思うけれど、考えが甘すぎるわ。
こういう場所では、たとえ不当だろうと、無茶苦茶だろうと関係ない。
その場所を治める人こそがリーダーであり、法なのだ。
だから、どんなことであろうともそれがルールとしてまかり通ってしまうし、担保として妹さんを連れて行き、奴隷として売ることさえもまかり通ってしまう。
『そうなんだねぇ。それで、カルナはどうするのぉ?』
『そうね……』
私は別に善人ってわけじゃないわ。
だって、困ってる人を全員助けたいなんて崇高な考えは持っていないもの。
それに、いっときの気持ちで助けたとしても、私がいなくなればまた同じ状況に戻ってしまうことも分かっている。
だから、こういうのは自分の力でどうにかしなければならないのだけれど……
『助けるわ』
『助けるの?』
『えぇ。どうやら、運が私の味方をしたみたいなのよね』
『っていうことは、彼がぁ……』
『そう。彼が、私の探していた駒よ』
真ん中の大男が蹲った青年を蹴った時。
チラッと見えた青年の青い髪と、大男の話を聞いて私は確信した。
--間違いない。私が回帰前に調べた情報通りだわ。
私の知っている彼とは違い、髪は汚れて霞んではいるものの、あの特徴的な髪色や立たされている状況から察するに、彼は間違いなく私が探していた駒だ。
それならもう、助けるしか選択肢はない。
だって、こんなところまで来た目的がまさに、彼を私の駒にすることなのだから。
--そうと決まれば……
打算的な理由ではあるけれど、青年を助けることに決めた私は、静かに一歩を踏み出した。