今から約十五年ほど前--
ナルタイル王国で最も名を知られた、王室に代々仕えてきた魔道具士一族が滅びた。
その一族によって生み出された魔道具は、機能美と芸術性を両立し、国境を越えて高い評価を受けていた。
しかし、永遠に存在する魔道具がないように、その一族もまた、突然の終わりを迎えることになる。
事の発端は、一人の男の裏切りだった。
一族の代表は、しきたりに従い、実力によって選ばれる。
しかし、すべての者がその結果を素直に受け入れるとは限らず、その時もまた、一人の男がその結果に異を唱えた。
その男は、自分より年下の弟が次期代表に選ばれたことが気に食わず、他にも同じ不満を抱く同志を集めると、一族秘伝の技術書を盗んだ。
その後、その兄は盗んだ技術書を使って同志たちと新たな魔道具店を作ると、一族に対抗するかのように格安で量産性に優れた魔道具を作るようになる。
そうなると、当然、世間は多少性能が落ちようとも安くて簡単に手に入る魔道具を求めるようになり、一族の魔道具は次第に売れなくなっていった。
さらには、技術書を盗んだ者たちが裏で手を回したことで、一族は人との繋がりも無くなり、ついには店を畳むことになったのだ。
それが、かつてナルタイル王国で一番とも呼ばれた、魔道具士一族モンテスの終わりであった。
ただ、家門が滅びても人が死んだというわけではなく、一族の後継者候補だった弟とその家族たちは住む場所を変え、それぞれの道を歩むことになった。
--それが、回帰前の私が公爵家の情報部を使って調べさせて分かった、情報の全てだった。
そして、今目の前にいるのがその後継者候補だった弟とその家族で、おそらくベッドに横になっているのが後継者候補だった人なのだろう。
「それで、あなたは一体どなたなのですか?それに、どうして僕の名前を知っているのかも教えてください」
「あら。これは失礼したわね。私のことは
「ヨルカさんですね。では、なぜ僕の一族について調べていたのですか?」
「それについては、後で説明してあげるわ。それよりも、お父様はいつ頃からご病気なの?」
「それは、五年ほど前から体調を崩し始めたんです。そして、数ヶ月前からは寝たきりの状態が続いています」
「ふむ。なら、借りたお金というのはお父様の薬代かしら」
「はい。妹が…メリルが自ら担保になると言って、お金を借りました」
「なるほどね」
……何ともまあ、家族愛に溢れた人たちね。
たとえどんな状況に陥ろうとも、諦めずに互いを見捨てず、助け合うなんて。
世の中には、食い扶持を減らすために子供を売る人たちですらいるというのに、この家族は自らを犠牲にしてまで助け合おうとしていたようだ。
「状況はわかったわ」
回帰前の人生で私が知っていたことは、聖女が学園に入学する前にリディアムとその家族を助けたことと、二人がどこで出会ったのか。
そして、リディアムと聖女が協力して画期的な魔道具を作り出すと、その魔道具を聖女の幼馴染の実家である商家が独占販売することで、莫大な富を築いた。
その後、リディアムは魔道具士一族という名声を取り戻し、さらには天才魔道具士とまで呼ばれるようになったということだけだった。
だから、こうして実際に何があったのかまでは話を聞くまで知らなかったし、聖女との間にどんなやり取りがあったのかも知らなかった。
「でも、この状況を見るに、多分あの父親を助けた後、妹さんも何らかの方法で助けたのでしょうね」
妹さんを助けた方法が何なのかまでは、残念ながら回帰前でも調べられなかったけれど、父親の方についてだけは何となく分かる。
私はそんな一つの可能性について考えながら、もう一度ベッドで眠る父親へと目を向ける。
呼吸は細く、まるで隙間風の音のように頼りない。
顔色も、人肌の温もりを忘れた鉛細工のようで、いつ死んでもおかしくないほどに血の気を感じなかった。
--でも、そんな彼を治したのならば……
「きっと、回復魔法を使ったんでしょう」
私の知っている回帰前の聖女は、確か治癒魔法を得意としていた。
だからきっと、そのお得意の治癒魔法によって、あの死んだように眠っている父親のことを治すことができたのだろう。
「……ふむ。おおよその構図は見えてきたわね」
私は口を閉じ、これからのことを考えながらコンコンッと机を指で弾く。
『カルナ、どうするのぉ?』
『そうね』
まるで、運命の分かれ道を問うかのようなリアの声に、私は静かに思考を深めていく。
--正直、私は回復系統の魔法を使うことはできないし、聖女レベルの治癒魔法ともなればそれこそ無理な話。
でも、ここで見捨ててリディアムという駒を手放すのはかなり惜しいし、彼をまた聖女に渡すのは釈然としない。
こういう時、あの聖女なら多分だけど善意で助けたりもするのだろう。
けれど、残念ながら私はそんな善人じゃない。
価値のない者は切り捨てる--それが私のやり方だ。
しかし、価値があると見込んだのなら……
--全てを賭けてでもそれを手に入れる。
「お父様の病気については、何が原因か私にもわからないわ」
「そうですよね。お医者様にも何度か診てもらいましたが、原因がわからないと。だから、もう……」
「だから、これを使ってちょうだい」
私はリディアムの言葉を遮るようにそう言いながら指輪に魔力を流し込むと、いつの間にか手に握られていた一つの瓶をテーブルへと置く。
「これは?」
「エリクサーよ」
「え、エリクサー?!」
--エリクサー。
それは、エルフ族のみに伝わる特殊な製法で作られた秘薬で、あらゆる怪我や病気を治すと言われている幻の薬だ。
そんな、一瓶で金貨数百枚はするエリクサーだが、エーデルシュタイン公爵家にはご先祖様が当時の皇帝から下賜されたものが三本もある。
そして、そのうちの一本はお祖父様が剣を好む私を思って一本だけ私に下さり、それをずっと大事にとっていたのだ。
「そんな貴重なものをどうして僕に……」
「最初に言ったでしょう?私があなたを助けるのは、目的があるからだと。その目的のためなら、エリクサーを渡すくらい構わないわ」
「僕に、それほどの価値があると?」
「ふふ。それ以上の価値があると思っているわ」
実際、回帰前の人生で聖女とリディアムが協力して魔道具を作った時、その魔道具たちがもたらした富は計り知れないものだった。
だから、金貨数百枚もするエリクサーを一本渡したとしても、十分にお釣りが来るどころか、エリクサーを新しく数十本は買えてしまうだろう。
『でも、聖女ちゃんが協力してできた魔道具なら、リディアム一人じゃ作れないんじゃなぁい?』
『勘がいいわね、リア。でも、問題ないわ。だって、その魔道具の仕組みも作り方もすべて私が覚えているもの。何なら、その魔道具を基に考えた、私独自の案もあるから、以前よりもさらに富を得られるわよ』
『おぉ〜。聖女ちゃんの駒だけじゃなく、得られる利益まで手に入れちゃうなんて、カルナは悪女の鏡だねぇ』
『ふふ。お褒めの言葉、ありがとう』
--ただ、残念ながら実際にすごいのは私ではなく聖女の方なのよね。
だって、リディアムが作った魔道具の形や機能を考えたのは、他でもない彼女なのだから。
「あの……」
「何かしら?」
「その、先ほどからおっしゃっている目的というのは、一体何なんですか?どうして、それほど僕のことを買ってくれているのかわからないんです。だって僕たち、今日初めて会ったはずですよね」
「それもそうね。あなたの言いたいことはよくわかる。けれど、あなたは自分のことを過小評価しすぎよ。それと、私の目的というのはあなたの腕、正確には…あなたの魔道具を作る技術が欲しいの」
「魔道具を作る技術……」
リディアムは未だ私の言葉を信じられないのか、疑うように同じ言葉を繰り返す。
「さっき、あなたの手を少し見させてもらったわ。それで、すぐに分かったの。あなたの手は、魔道具職人の手よ」
リディアムがテーブルにお茶を置いてくれた時に見た彼の手は、長年魔道具を作ってきた職人の手をしており、その指には魔道具を作る際にできるペンダコもできていた。
きっと彼は、父親たちと一緒にここに流れ着いた後も、ずっと魔道具に触れてきたのだろう。
「ただ、壊れた魔道具を直して売りに出していただけです」
「でしょうね。この環境で一から新しい魔道具を作ることはできそうにないもの。それでも、壊れた魔道具を直してから売って、それで金貨5枚まで貯められたのなら、あなたの腕は間違いなく一級品よ」
多分、父親の意識がまだあった頃に、彼からモンテス家に伝わる技術を教えてもらったのだろう。
他人が作った魔道具を修理するというのは、かなり高度な技術を要する作業だと認識しているけれど、それができるということは--間違いなくリディアムが一流の魔道具職人だということだ。
「では、先ほど話していた僕の一族について調べていたというのも……」
「そう。あなたという優秀な魔道具士を手に入れるためよ」
「そうだったんですね」
「まあ、詳しい話はあとで話しましょう。あなたにも考える時間が必要でしょうし、私はその間に妹さんを助けに行ってくるわ」
「え?今からですか?」
「そうよ。なるべく早く動かないと、彼らのボスって人が部下たちが帰ってこないことを不審に思う可能性があるもの。こういうのは、相手より先に動いた方が有利なのよ」
「そうなんですね。すみません。僕は本当に役立たずで……」
「ふふ。人には向き不向きがあるもの。私も魔道具を作るセンスはないから、その点では役に立たない。だからこうして、わざわざあなたを手に入れるためにここまで来たのよ。だから、少しでも私の話を真剣に考えてくれると嬉しいわ」
「わかりました」
このまま無理やり手に入れるという手もあるけれど、私はそういうのはあまり好まない。
というのも、私自身がそうして自由を奪われて一度死んだ身だし、何より感情を無視した支配は長続きしないから。
--感謝って、人を盲目にさせるのに適している最高の感情なのよね。
「さて。それじゃあ、私はそろそろ妹さんを助けに行ってくるわね」
「一人で、大丈夫なのですか?」
「ふふ。逆に聞くけど、あなたがついてきて何か役に立てるの?私には、あなたが人質に取られて剣を捨てろって脅される私の未来が見えるのだけれど」
「それは…そうですね……」
「まあ、あまり気を落とさないでね。さっきも言った通り、これは向き不向きの問題なの。私は妹さんをちゃんと連れて帰るから、あなたはお父様の体を治して、帰ってきた妹さんを暖かく出迎えてあげなさい」
「わかりました。どうか妹のことを、よろしくお願いします」
「えぇ。任せなさいな」
私はそう言って座っていた椅子から立ち上がると、これまで黙って床に座っていたワトソンたちを縛る縄を強く引く。
「ほら、ここからはあなたたちの出番よ」
「チッ。わーったよ」
それから私は、縄に縛られたまま前を歩くワトソンたちに連れられ、彼らのアジトがある場所へと向かうのであった。
ちなみに、その光景を見ていたリアがワトソンたちを見て……
『なんかカルナ、ケルベロスの散歩をしてるみたぁい』
--と言ったことには、思わず声を出して笑ってしまったわ。
確かに、ワトソン、ポヨン、シースがまとまって歩いている姿は、頭が三つあるという、地獄の番犬ケルベロスに似ていたかもしれないわね。
本当に、リアの突拍子もない言葉には、いつも笑わされてしまうわね。