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今はきみだけ

「ひな、君を不安にさせてしまったのなら申し訳ない」

「……」


 ひなは涙を拭いながら、麟の胸の中でゆるゆると首を横に振った。


「私こそ、ごめんなさい……。今日の私、何か変……」

「……」


 僅かに顔を俯かせておとなしくなったひなの姿を見つめ、抱きしめていた手を解いて麟は彼女の頭にそっと手を置いた。そしてその手がゆっくりと頭を撫で、ひなの顔の横で髪を僅かに掬い上げる。


 ひなは頭を撫でられる動作はいつもされていると言うのに、今俯き加減の視界の端に映る麟の動作に心臓がバクバクと鳴り始める。頭を撫でた後のこの動作には何か特別な意味が込められているのを、言わずもがな感じ取ることができたから……。

 抱きしめられたり、頭を撫でられたり、いつもされているのに何とも言えないこの緊張感に顔を上げられそうにない。だが逸らすことも出来ずに膝の上に置かれた自分の手を見つめ、意識はそちらに向けられていた。

 今日の自分の情緒は本当にどうかしている。ジェットコースターのようだと思えば、今は回転するコーヒーカップに乗っているかのように、頭の中はぐるぐる高速回転を繰り返しヒートしてしまっていた。


 名残惜しそうに残っていた麟の手からするりと髪が落ちるのを感じ、真っ赤な顔で俯いたままだったひなは恐る恐る麟を上目遣いにチラ見する。が、視線が合うと途端に恥ずかしさが勝り顔を俯けてしまう。


(何だか、急に麟さんの顔を見れなくなっちゃった気がする……)


 どんなに冷静に違うことを考えようとしても、やはり頭の中には先ほどの事がぐるぐると駆け巡る。そのせいなのか、熱のせいなのか分からないがクラクラとめまいに似た感覚もあった。

 ひなは両手を頬に押し当てて熱を逃がそうと必死になっていると、あまりにもひなが恥ずかしがるものだから麟本人も気まずそうに軽く咳払いをした。


「……ひな?」

「う、は、はい!!」


 声を掛けられ、ビクッと肩を震わせ思わず声が裏返ってしまう。


「話をしても構わないだろうか」

「……っ」


 問いかけられれば頷き返すのが精いっぱいだ。

 意識し過ぎてしまって、しばらくは前のように普通に話を出来ないかもしれない。


 ひなの様子を見ていた麟の胸にはただただ愛しいという気持ちで埋め尽くされていた。

 雪那の時よりもその愛情を深く感じるのは、ひなと過ごした時間が長いせいなのか、それとも彼女にしか持ち合わせていない個性ある愛くるしさのせいなのか。

 彼女をこのままずっとそばに置いておきたいと願ってやまない。だがその為にも明かさなければならないこともやらなければならないこともある。これ以上黙っている事はしたくなかった。


「ひな……。まず、先ほどの騒動について話しておこうと思うんだが……」

「あ、は、はい」

「マオから話があったかもしれないが、私と八咫烏は、時折少々手荒な方法で話をする事がある。君は見慣れない光景だろうからとても驚いただろうが、あまり気にする必要はないよ」


 ヤタと交わした話の内容までは明かせないと、麟はただ言葉を濁してそう伝える。

 するとひなは心配そうに顔を上げて彼女らしい言葉で返してきた。


「でも、怪我するほど手荒な方法は良くないと思う……」

「そうだね。今後は気を付けるよ」

「そんなにヤタさんが怒っちゃうくらいの事って、何があったのか聞いてもいい?」


 心配そうに上目遣いになりながらそう訊ねてくるひなの発言は、凡そ予想はついていた。

 麟は逡巡すると、それらしい理由を口にする。


「私が大事な仕事の話をするの忘れてしまっていてね。八咫烏はとても生真面目で少し気難しいところがあるから、それゆえ自分は信用されていないと感じてしまったみたいだ」

「そう、なんだ……」


 嘘はあまり得意ではないが、それでも全てが嘘を言っているわけではない。

 案の定、ひなはその事に対しては納得をしたようだった。


「じゃあ、次は君の事を話そうか」

「う、うん」

「君に似ていると言った人物のことだが……。おそらく、君の母親に当たるだろう女性の事なんだ」

「え……」


 母親と聞いてひなは恥ずかしさは何処へやら、驚いたように顔を上げる。

 まさかここで自分の母親が出て来るとは、想像にも無かった。


「お母さんて……何で……?」

「私がそう思ったのには理由が二つある。まず、君の持つ慈愛の魂。その波長はその女性……雪那と全く同じものだと言う事。そしてひなは気付いていないかもしれないが、力を発動する前に右目に一瞬光る力は、私が彼女に最初に与えた庇護の妖術だ」


 そんな現象が起きているなどと、ひな本人も気づいていない。思わず右目に触れながら、ひなはただただ困惑の表情を見せるばかりだった。


「もし、それがほんとだったら……私、人間じゃなかったってことになるよね?」

「……それはハッキリとはまだ言えない。雪那がいつ妊娠したかは私には分からないからね。でも、そう解釈することで君の力に関して説明がいくと思う」

「……」

「ひなは、前に母親の記憶がないと言っていただろう? もしかしたらそれもこれで説明がいかないか?」


 確かに元々人で無かったのだとしたら、あの謎の力に関しても母親の記憶がないことも納得が行くところはある。だがまだ不透明な部分は多い。何より強く気になったのは雪那が自分の母親なのだとしたら、麟との関係性やどうして今いないのかなども気になった。


「……その、雪那さんは?」

「雪那は……以前ここで一緒に暮らしていたんだ。彼女は極稀に見る徳の高い魂で、最初から極楽行きを約束されるほどここに来た時から洗礼された魂だった。彼女に与えた容姿は人型で、徳の高い魂にのみ与えられる狐の妖術を行使することも付与していた。だが、そんな彼女はある日突然、私の前からだけでなく幽世からも姿を消した……」


 麟はそう言い置いてから、何か心の中の感情を吐き出すように長い溜息を吐いた。その表情がとても辛そうに見えたひなは、ぎこちなく声をかける。


「麟さんは……その、雪那さんのこと好きだったの?」

「……あぁ。とても」


 嘘偽りなく、短くもしっかりと答えた麟の言葉にひなの胸が痛む。

 ズキズキとする痛みを胸に感じながらも、その雪那が自分の母親じゃないかと言う話につなげるためには聞かなければならないと思った。

 ぎゅっと手を握り締め、俯き気味に口を開く。


「……じゃあ、雪那さんもきっと……麟さんのこと好きだったよね」

「……どうかな。彼女は私に何も言わなかったからね。何も言うことなくいなくなってしまった」


 自分は大好きだったのに相手もそうだったかと問われると、途端に自信がなくなる口調になり弱弱しく笑う麟に、ひなは切なさが増す。

 雪那が麟に黙っていなくなった理由は幾つも考えられる。麟に愛想が尽きたのか、元々本当に好きでも何でもなかったか、もしくは何らかの理由で幽世にいる期限が早く来て転生したのか……。いずれにしても尽くしてくれた麟に黙っていなくなるような事は、ひなには理解できなかった。


「でも……どんな理由があったって、黙っていなくなるなんて……」


 悔しくて涙があふれて来る。

 そんな不義理があっていいのかと、何よりそんな人が自分の母親かもしれないなどと……認めたくない気持ちに包まれる。


「そんな人が私のお母さんかもしれないなんて……。そんなの……」

「ひな。雪那を恨まないで欲しい」

「なんで? だって、麟さんの優しさを裏切るような真似をしたんだよ? 私が夢で会ったお母さんは、そんな人じゃなかった」

「何か理由があったんだろう。私には言えない理由が」

「だからって……」

「ひな。私は、雪那が私と君を引き合わせてくれたような気がしているんだ。通常、現世での人間の望みを聞き取る事は私には出来ない。でも君の望みだけはハッキリと私に届いた。これまでの事を繋ぎ合わせると、それが私にはしっくりとくる。もしそうじゃなかったとしても、雪那には感謝しているんだ」


 麟は優しい笑みを浮かべひなの手を握ると、彼女はまだ涙に潤む瞳で見つめ返してきた。


「麟さん……」

「雪那は慈愛にあふれた女性だった。誰にも等しく優しく、誰からも愛され頼られる女性だった。最初にひなに出会った時、その慈愛の力に彼女を見ていた事は否定しない。君が選び紡ぐ言葉一つをとってもそうだ。だから、君と彼女を重ねてみていた時もあった」


 顔を上げたひなの頬の涙を拭い、麟はもう一度優しく彼女を抱きしめる。


「でも、今こうして私の為に涙を流すのは君だけだ。私の今の心の安寧は、ひな。君でないと守れそうにないんだ。だから……ずっと私の傍にいてほしい」


 そう言うと、ひなは力いっぱい麟を抱きしめ返した。

 麟自身が自分を必要としてくれているなら、断る理由などひとつもない。


「最初から、麟さんと出会ってから私はずっと一緒にいるって決めてたんだもん。私が帰って来る場所はここだったし、ずっと帰りたかった場所もここしかなかったんだから、嫌なんて絶対言わない。何が何でも麟さんの傍にいる」

「……ありがとう」


 麟はひなを抱きしめる手に力を込めた。

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