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12 化け物

この世に存在として成り立った時、彼女の内側にあったのは、誰でもいいから滅茶苦茶に破壊し、踏みにじってやりたいという激しく暗い衝動だけだった。


それはどんな生き物にも生まれつき備わっている食欲のようなもので、その欲求と真正面から向き合うことを余儀なくされた彼女は、身悶えするような葛藤にその身を苛まれることとなった。


しかし、冷酷な獣は辛抱強く知恵をつける。

そして、それはモウジャや怪異も同じだ。


彼女は己の奥底にある、人間だった頃のいくつかの記憶を拾い上げ、独自の狩猟法を編み出した。


それはネットを駆使して獲物を見繕い、精神的・肉体的に対する緩やかだが確実な拷問を行って支配する。大抵の場合、獲物は自ら命を絶ち、その際、飛び散った血肉を啜ることだけが彼女の絶え間ない飢えを満たすのだった。……ほんの少し。


だけど、今回は邪魔が入った。


アキ子とかいうくだらない女をイイ感じに洗脳し、いよいよクライマックスだという時、あの二人組――小学生のような小娘と筋肉だるまのような大男が現われ、こともあろうに獲物を彼女の鼻先で掠め取ろうとしたのだ。


もちろん、黙って見逃すつもりはなかった。

それにここまで来れば獲物が高所から飛び降りて死のうと彼女の爪や牙で殺そうと同じことだった。


しかも、獲物は三人に増えている……。


だが、驚いたことに直接攻撃に向かった彼女に獲物達は抵抗してきた。特に大男は小娘二人を逃がすために殴りかかって来たのだ。


彼女は信じられなかった。

一目で猛獣と分かる相手に徒手空拳で正面切って立ち向かう馬鹿がいることに。


大男が常人離れした怪力の持ち主であったこともあり、少々てこずったが、やはり態勢を立て直してしまえば彼女の敵ではなかった。


喉笛に牙を突き立て、首を引き千切ってやった。


そうこうしている間に小娘二人には逃げられてしまったが、恐怖に駆られた生者は独特な臭いを放つ。それを辿り、あっと言う間に追いつくことができた。

戯れに持って来た大男の生首を二人が身を潜める廃屋に投げ込んでやると、その臭いはますます濃くなった。


後は小娘どもを文字通り、血祭りにあげるだけだったが――少し思うところがあり、順番を変更することにした。


大男からキミカと呼ばれた小娘……。


あいつは一目見た時から気に入らなかった。何となくだが、わかる。

あいつ自身は見すぼらしいだけのただのメスガキのくせに様々な人間、人間じゃないものにも守られていると。


彼女が人間だった頃――、最期の最期まで一人ぼっちだったにもかかわらず、だ。


だから、彼女はキミカを、いつも以上にジワジワ痛ぶってから殺すことに決めた。


幸い今の彼女の身体機能は生者を苦しめることに関して特化している。

舌から猛毒の液体を滲ませて彼女はキミカの両目を腐らせ、鼻を潰し、唇を削いでやった。


アキ子――今回のメインターゲット――が何やらブツブツ、念仏のようなものを唱えていたが、取り敢えず放置することにした。


こんなボンクラ、いつでも殺せる……。


だけど、それが間違いだったと彼女が思い知ることになるのは、それからほんの数秒後だった。


顔の皮をほぼ全て剥ぎ取り、虫の息となったキミカの喉に喰らいつき、そのまま噛み千切ろうとしたした、正にその時だった。


彼女の背中、正者で言えば肩甲骨のあたりが内側から――、爆ぜた。


紫色の鮮血が飛沫をあげて飛び、肌色の鱗が数枚、破けながら舞い散る。


彼女は吠えた。突如、自らを襲った激痛に耐え兼ねて。

この時は驚きよりも、怒りの感情のほうが強かった。


大体、誰かに痛めつけられるのは彼女の役割ではなかったはずだ。

今や彼女は他者を狩り、蹂躙し、搾取する側だった、はず。

それなのに、こんな……。


ガラスボールのような眼球を蠢かせ、彼女は己に苦痛をもたらした者の正体を見極めようとする。


彼女の背中を突き破り、伸び出ていたのは白くたおやかな腕だった。

一目見れば、まだ幼い子どものものだと判別できる。


――きゃははは……。


黄色く無邪気な笑い声が響き、彼女の体内に突如、発生したそれが這い出して来る。

まるで、成長した昆虫が繭やサナギを壊し、現れるのと同じように。


それは子供だった。

祭りでよく見かける、稚児装束を着た男の子だった。

まだ小学校の低学年ぐらい……。小柄で華奢、どう見ても十歳より下にしか見えない。


闇の中でも青白く光って見えるその稚児の横顔は、あまりにも美しくかわいらしく、到底、この世のものとは思えなかった。


と、稚児が高下駄の踵を鳴らして床の上に降り立ち、ジロリと彼女を一瞥する。

稚児の幼い容姿からは想像もできない程、冷たく老成した眼差しだった。その鋭さに彼女が思わず身を竦ませた時だった。


――……下賤な化生ごときが。


唇を一切動かさないまま、稚児が彼女に話しかける。

それは空気の振動――、音としてではなく、彼女の頭の中で直接響いていた。


――よくも、我が氏子に手を出してくれたな……。あれは特に我のお気に入りだと言うに。


その口調はとても穏やかだったが、同時に底知れないほどの怒りも感じさせた。


ああ、そうか、と彼女は悟った。

歪み切った嗜虐心を満たすため、また恐怖心を煽るため、彼女はキミカの目の前でその血肉を喰らったがそれが間違いだった。


キミカは、とてもそうは見えなかいが外法の使い手らしい。


稚児が彼女と同じく、この世のものではない力が現世に現れて形を成した存在だがどうやらその元となるのはキミカの血肉であるようだ。


ということは彼女は自ら敵をその体内に取り込んでしまったことになる……。


甲高い声でギャアギャア喚きながら彼女は稚児から離れようとバタバタと足掻く。


ダメだ。この稚児はダメだ。


例え見た目が幼くても、成り立ってから数年程度しかたっていない自分などとは比べ物にならない。今の私が化け物だとしたら、この稚児は遥かに格上。化け物の中の化け物とも呼ぶべき存在だ。


と、稚児が右手の人差し指を伸ばし天井を指した。

ポッと空気が燃える音がして、その指先に赤々とした炎が灯る。ピンポン玉サイズの、小さな火の玉だ。


それは次第に質量を増幅させてゆき――、にっこりと稚児が天使のように微笑み、冷たく告げた。


――燃えよ……。


瞬間、彼女は、彼女だけが轟々と燃え盛る炎につつまれていた。あっという間にそれは全身に広がってゆき、彼女の鱗に覆われた肌を黒々と焼き焦がしてゆく。


全身を耐えがたい激痛に苛まれながら彼女は吠える。

だが、痛みをもたらしたのは稚児に投げつけられた炎だけではない。


二つ、三つのフラッシュバックする記憶。

それは彼女がライセサマなどというふざけた異形と化す以前の人間としての記憶だった。


ああ、そうか……。

あの日、私はあいつらにあの朽ち果てたラブホテルに無理やり連れ込まれ、いいように弄ばれて……。


それから何一つ自分ではできなくなり……それに耐え兼ねて自ら命を絶った……。


どこかで赤ん坊の泣く声が聞こえる。

一緒に幸せになるはずだった赤ん坊の声が。


ごめんなさい。

本当にごめんなさい。


あなたどころか、自分さえ守れなかった弱い私で……。


その時、炎の壁の向こうから腕が二本伸び、彼女の顔を――不気味な魚から人のそれへと戻った彼女の顔をそっと両手で挟んだ。


稚児だった。

さっきとは打って変わって稚児は優しく、静かな口調で言った。


――己が為したことを悔いているのか、ならば我とともに来い。


待って、と彼女は懇願した。

私は化け物じゃない。ライセサマなんかじゃない。私は人間なの。

私の本当の名前は……。


――なに、案ずるな。我が天狗道は地獄に非ず。仏はおらぬが、鬼もおらぬ。……気安いところぞ。


稚児に微笑みかけられ、彼女は心の底から安堵していた。

そして、炎に焼かれ、すっかり乾ききった眼球をゆっくりとまぶたで閉ざす。


――己が為した罪穢れはしばし忘れて眠れ。我の内にて。


諭すように稚児はそう告げた。そして、彼女の顔をつかんだ両手に力を込め、一気に引き抜いた。



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