喫茶モアは、昔と変わらぬ姿のままその場所に
大学時代の旧友三郷は長い髪を切り、現在は大手不動産会社に勤めている真面目なサラリーマンになっていた。
「なるほど。これが美紅さんの形見に混ざっていたラブレターか」
三郷が古びた封筒を手に取って、眼鏡をずらして子細に観察している。どうやら親友も老眼が進んでいるようだ。
「卒業アルバムを確認したが、これらのイニシャルに該当する人物は特定できなかったんだ」
「ふうん・・・・・・」しばらく手紙に眼を通していた三郷が顔を上げた。「懐かしいな」
「え・・・・・・?」
「これはおれが書いたラブレターだよ」
「なんだって!」
「美紅さんに頼まれたのさ。筆跡を変えて三通も書もかされたよ」
「なんだってそんなことを」
「なんで?おまえを射止めるために決まってるじゃないか。だいたい慎は昔から鈍感だったからな。美紅さんはなかなか気づいてくれない慎に、このラブレターをちらつかせてお前の嫉妬心を煽ろうとしてたんだ。文面だってほとんど彼女が考えたのさ」
「そういえばそんなこともあったような・・・・・・」
「あ、これ昨年美紅さんから送られてきた手紙」三郷が内ポケットから封筒を取り出してテーブルの上に置いた。「おれ、仕事があるからこれで失礼するわ。コーヒー代ぐらいは
そう言って三郷は、店のドア鈴を鳴らして出て行ってしまった。
「おい、ちょっと・・・・・・」
あとに残されたのは二杯のコーヒーカップと数通の封書、それにわたしひとりだった。
静かな時とともに音楽が流れている。マイルスのトランペットは鳴りをひそめ、いつの間にかビル・エヴァンスのたおやかなピアノ曲に変わっていた。
わたしは三郷が置いていった妻の手紙を開いた。そこには懐かしい妻の柔らかな文字がならんでいた。
『前略 三郷さま
お元気ですか。正直言ってわたしは元気ではありません。もうすぐ天に召されることになるでしょう。
その前に、お礼だけでも言っておかなければと、ペンを取った次第です。
主人と結婚できたのも、あなたの代筆の手紙が功を奏したからです。女子大生の憧れの
あなたは相変わらずモテないのに、本当にごめんなさい。
わたし・・・・・・本当はあなたの気持ちを知っていたのです。それなのに、あんな手紙を書かせたわたしは、なんて残酷な女だったのでしょうね。本当にごめんなさい。反省しています(わたしは天国にはいけないかも)。
主人はぶっきらぼうで世渡り下手で、結局最後まで出世できませんでした。だからずっと貧乏暮らしのままです。
でもちっとも不幸ではありませんでしたよ。お金があることだけが幸せではないのです。あの人といる時間が幸せだったのです。
主人との時間をありがとう。ほんとうにありがとうございました。
わたしはもうすぐいなくなりますがお身体だけは大切に。
よい人生でした。 草々
天使のような悪魔より』
了