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第9話 どうしてそうなったのですか?

 のっぺらぼう――彼もまた、もとはただの一人の人間だった。


 あの日、交通事故に巻き込まれ、命を落とした。

 それだけなら、静かに成仏していただろう。だが、彼の魂には、事故の原因を作った”友人”への恨みが深く刻みつけられていた。


 許せなかった。

 裏切られたような痛みが、魂に澱のように溜まった。

 そしてそれは、死後も消えることなく、彼を地縛霊へと変えた。


 地上に囚われた彼は、やがて人間の形を失った。

 顔を失い、名前も忘れ、ただ怨念だけを握りしめた存在――のっぺらぼうとなった。


 憎しみは、ついに行動へと変わる。

 生き残った”友人”を、彼は妖怪の姿で襲った。

 それは復讐だった。


「娘も生まれたばかりで……幸せしかなかったのに。友人は……無謀な運転をして……事故を起こした。自分だけ助かって、私は死んだのです……」


 しぼり出すような声だった。

 佐奈子は胸が締めつけられるのを感じながら、静かに頷いた。


「そうだったのですね……」


 そっと寄り添うように声をかけたその時、隣にいた魅夜が首を横に振った。


「ここで同情してはいけない。情を挟めば、こちらの心が壊れる。話は聞く。ただそれだけだ。冷静に、適切に処理しなければならない」


「……はい」

 佐奈子は背筋を正した。


 だが、ひとつどうしても気になったことがあった。



「それで……なぜ、のっぺらぼうさんはタクシー運転手に?」


 魅夜は少しだけ表情を和らげると、静かに答えた。


「成仏せず、妖怪や幽霊となった者たちは、現代の人間を害してはならない。もし破れば……除霊士によって捕らえられ、閻魔様のもとへ送られる」


 閻魔様。

 漫画やアニメでしか見たことのない存在――それが現実に、と佐奈子は思わず目を見開いた。


 ちら、と視線をやるとのっぺらぼうは、汗を滲ませながら震えていた。


「……閻魔様は、怖いんでね……す、すみません」


 か細い声で謝る様子が、かえって現実感を引き立てる。閻魔様を見たものしかわからない恐怖。


「妖怪や幽霊が人を殺めた場合、閻魔様の前で裁きを受ける。そして二つの道が提示される」

 魅夜は指を二本、軽く立てた。


「地獄での永久懲罰か、あるいは――人間の姿に戻り、人間界で寿命が尽きるまでの永久就労か。君なら、どちらを選ぶ?」


 想像しただけで、背筋が凍った。

 禍々しい地獄の果てしない懲罰と、人間界での終わりなき労働。


 佐奈子はわずかに唇を震わせ、それでも即答した。


「……地獄より、人間界で働きます」


 魅夜はふっと笑みを浮かべた。

 どこか予想していたような顔で。


「やはりな。地獄の懲罰は想像以上に厳しい。だが……人間界での永久就労――これもまた、地獄に勝るとも劣らぬ苦しみだ。社畜だった君には……わかるだろう?」


「……あああ……」


 言葉に詰まる佐奈子。

 思い当たる節がありすぎて、否定できなかった。


 だが、それでも――


(それでも私が知ってる“地獄”よりは……マシだと思ってしまった……)


 そんな自分を、少し恥じた。


「でも……もし、タクシーの仕事が辛いなら、それを続けさせること自体が懲罰なのでは?」



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