暖炉で静かに燃える炎。
その揺らぎは力強く、煌々と燃え盛っている。しかし薪が無くなればこの灯は消える。
それは人間の一生と同じく少しずつ消えていく。
「……」
「旦那様、起きていらっしゃったのですか」
「ああ。トッポか、どうにも寝付けなくてね」
暖炉の炎を眺めていると使用人のトッポがリビングに居る私に声をかけてきた。
「もうこんな時間か」
愛用の懐中時計は深夜を指しており、屋敷の警備も兼ねて徘徊していたトップが、リビングに灯りがあるのを見つけたというところだ。
「お体に障りますので、お休みになられてください……」
「はは、見つかってしまっては仕方がない。休むとしようか」
心底、困った顔をするトッポに申し訳ないと私は椅子から腰を上げる。
「っと……」
「旦那様……!」
「ああ、すまない」
立ち上がろうとしたところで眩暈を起こしてふらついた。それを見た彼は慌てて駆け付け支えになってくれた。
「冒険者だったころはこんなこと無かったものだが」
「いつの話をしているんですか。旦那様が冒険者だったのはもう五十年近く前じゃないですか」
「……そうだったな」
暖炉の火を消した後、私は肩を借りて寝室へ行くと、そのままベッドで横になった。
「なにかあれば遠慮なくベルを鳴らしてください。必ずですよ!」
「ああ、ありがとう」
ランタンの灯りだけが頼りの薄暗い部屋の中で返事をすると、トッポは静かに扉を閉めてその場を去った。
「ふう……ありがたいことだ」
私は目を閉じて一息ついた。そして先ほど、自分の口にした言葉を思い返してフッと口元が緩む。
「冒険者か……」
今でこそ世界でも有数な商人となった私、ジング・ヨデロイドは若い頃、剣を武器にした冒険者だったことがある。
なぜ辞めてしまったのか?
それは恋人だったクィンティにこっぴどく振られた……いや、裏切られたからだった。
初めてパーティを組み、信頼関係も築いて三年付き合っていたのだが、ある日突然、貴族のお坊ちゃんと結婚するからと告げられ数日後にはパーティの解散、結婚式となっていた。
中々、嫌味なことを言う貴族に結婚式へ来るよう招待されたがもちろん私は断った。
同じパーティを組んでいた男戦士のゼーロ、回復術を使う女神官だったセクスタも激怒の末ボイコット。
そのまま町を出て、さらに他国へと向かい、そこで冒険者生活をすることになった。
だが、当時の私は若かった。
ショックから立ち直れず、キレのあった剣技は鈍り二人に迷惑をかけることしかできなかったのだ。
『……すまない、俺はもう戦えそうにない』
『馬鹿な! 女に振られただけだぞ! しかも裏切ったのはクィンティだ! お前が気に病む必要はない!』
『そうですよ! ならわたしが代わりに……!』
『それは……君に失礼だ。今までありがとう――』
――その後、私は彼等の前から姿を消して各地を転々とした。適当なパーティに入り日銭を稼ぐという雑な生活をしていたのだ。
しかし、ある時に転機が訪れた。
とある商人の護衛を務めた際、誰もが価値の無いと思っていた調度品を見て『高く売れる』と口にした。
他国では珍しい石を使っていた物だったので、覚えていたのだ。何人かいた商人はもちろん笑って嘲笑して来た。
『ほう、興味深いことを言う小僧だ。高く売れるところへ行ってみよう』
その中でただ一人だけ、私の言うことが面白いと言ってくれた。その後、実際に高く売ることが出来た。
『何故これが分かった?』
そう問われた際に各地を回っていたからだと答えた。すると商人のゲイリーは私を常時護衛に雇うと言い出した。
「……楽しかったなあ」
私が選定して別の地域で売る。それが面白いように上手くいき、ゲイリーさんにはずっと褒められていたなと思い返す。
そんな私自身もいつしか剣を計算盤へ変えて商人として生活をすることになったのである。
今、この手にある懐中時計も商人になった記念にと私が選び、ゲイリーさんが買ってくれたものだった。
そんな、いつも一緒だった彼も数十年前に亡くなり、商家は息子さんが引き継いだ。
ゲイリーさんは出会った頃にはすでに娘さんも居たが、私は結局結婚しなかった。クィンティのことは完全に吹っ切れていたが、女性に対して本気になれなくなっていた。
それでも商家の跡継ぎは必要だったので、孤児の男の子を家族にして鍛え上げた。
義理の息子は賢く、優しかった。お父さんとついてきていたころが懐かしい。
今はもう私が商人を始めた歳よりも上になり、結婚して娘もいる。もう私が居なくても大丈夫……
「いかんな、身体が弱ると感傷的になってしまう」
最近、胸の痛みが酷くなってきたので医者に診てもらった。結果は黒。私の命は先ほど消した暖炉の火のように消えかかっているのだった。
後、数か月か数年か……幸いなことに妻より先に逝けることか。
「ゲイリーさんは私達に看取られて亡くなった。満足そうな表情だったな……」
彼よりも私は若くして病に倒れてしまったが、それでもこの人生は満足がいくものだったとハッキリ言える独り立ちした息子もいとおしい。
「しかし、何故今ごろになってあの時のことを思い出すのか……まさか……」
死の間際で過去のことを回想するというのを聞いたことがある。ということはもしかすると――
「そういえば別れた後、ゼーロもセクスタ、クィンティはどうなったのか……まあ、クィンティはいい暮らしを出来ただろうが……」
正直、あの時しっかり付き合っていて結婚していたらどうなっていたのか。ふと、そんなことが頭に浮かんだ。
「考えても仕方がない……寝よう……」
そこで眠気が訪れたため思考を停止し、意識を手放す。殆ど隠居生活だしゆっくり眠るとしようか――
◆ ◇ ◆
「ふふ、珍しくよく寝ているわね、お義父さん。そろそろ起きてくださいな、シュダの交渉に行く時間ですよ」
――翌朝、ジングの妻が彼を起こしにやってきた。先に起きており、しばらく待っていたが起きてこなかったので声をかけにきたのだ。
「お義父さん……? ああ、そんな――」
だが、ジングは二度と目を覚ますことは無かった。静かに息を引き取った彼は家族全員に看取られることは無かったが、その表情は穏やかだった。
享年七十八歳。
ジング・ヨデロイドはその生涯を閉じた。
悔いなく、一度挫折しかかったものの、途中からの人生は順風満帆で終わった彼はここで終わり。
終わった、はずだった――