「……ん?」
朝、私は目を覚ます。
いつも通りの朝……だと思いたいが背中が寝汗でびっしょりであることに気づく。恐らく、妙な夢を見ていたせいだなと結論付ける。
「確かに年寄りではあるが、突然死んでみんなに挨拶もできないなどあり得ないだろう」
病気ではあったが、息子達に別れも告げずにあっさり亡くなるなんて私らしくない。
昨晩は調子も良かったし胸も痛みが無かった。肩を借りたものの、足腰はしっかりしていたのだから。
しかし妙な夢だった。自分の葬式を別の視点で見るとは。
「ま、いいか。さて、何時かな? 今日はシュナの商談の日か、さすが起きないと――」
私はそこで違和感を覚えた。手にした懐中時計がキレイになっていたからだ。
「おや? 寝ている間に磨いてくれたのか?」
たまにそういうことをしてくれるのが義理の息子、オクタである。孤児なのに優しくいい子だった。
親は病気で亡くしてしまい、一人で野菜を売るなどして暮らしていた。十歳の子供が、腐らずに、だ。
私はそれを知った時、すぐに引き取った。この子なら自分の財産を継がせても後悔はしないだろうと。そしてそれは裏切られることなく、結婚して孫まで見せてくれた。
「相変わらず黙ってサプライズをするのが好きだな。礼を言っておこう……というかなんかベッドが硬いな……?」
いつも寝ているベッドがやけに硬く感じた。そこで周囲を見てみると――
「……!? ど、どこだ、ここは……!」
――そこは見知らぬベッドの上だった。いや、なんとなく見覚えがあるような気がする……?
私は懐中時計を懐に入れて立ち上がり、外を見てみる。よく晴れた空に太陽の光が眩しい。
そして風景は既視感を覚えていた。やはりどこかで見たことがある……気がする。
「一体ここは……?」
見覚えがあっても判断はできない。これもサプライズだろうか? そう思っていると、部屋の扉がノックされた。
「ジング、起きてるー? そろそろ朝食よ」
「……!!?」
その声で私は心臓の鼓動が速くなる。起こしに来たのは息子の嫁……ではなかった。
もし義娘ならお義父さんと呼ぶからだ。親し気に『ジング』とだけ呼んでくれていたゲイリーさんはもう居ない……
そして私はこの声に、覚えが、あった――
「あ、起きているじゃない。みんなご飯を待っているわよ?」
「なん……で……!?」
驚愕した私が絞り出すようにそれだけ言うことが出来た。何故なら入って来たのは私を裏切った女であるクィンティだったからだ。
眼を見開いて驚いている私に、クィンティが眉を顰めて口を尖らせる。
「なんでもなにも、あんたが最後だからに決まっているじゃない。ほら、顔を洗って!」
「っと……」
腕を引かれて私はよろける。そういえばこういう性格だったかと思いながら洗面所へと向かう。
そこで鏡を見ると――
「うおぁぁぁぁ!?」
「うるさいわね!?」
――鏡の向こうに写る姿は若いころの私だった!? 思わず大声をあげてしまい、クインティに叩かれる。
いや、鏡に映るのは私なのだからそれはそうなのだ……自分で言っていて、なにがなんだかわからない……
「ほら、早く。ゼーロがしかめっ面で待っているわよ」
「あ、ああ……」
私はクィンティに促されて顔を洗い、タオルを受け取って拭いた後、もう一度だけ鏡を見た。
……やはり若い頃の自分で間違いない。
まだ、夢を見ているのか? それにしては意識がハッキリしている気がする。そうでなければ過去に戻ったということになる。
考えても仕方がないか。ひとまず『今』がどういう状況なのか確認しよう。
「……? どうしたんだ?」
「へ!? な、なんでもないわよ! 早くしないかなって! はい、行くわよ」
「そう引っ張るなって」
鏡に見えるクィンティが私の後ろでじっと見ていたので声をかけると、慌てて手を引いて移動を始めた。私は当時の喋り方を思い出しつつ反応する。
「……若いな」
「え? なんか言った?」
「いや、何でもない。行こうぜ」
そのまま食堂まで一緒に歩いていく。なんとなくだが、やはり覚えがあるなと感じていた。
私から話しかけることは無いため会話が無いまま食堂へ。
「お、来たか。相変わらず朝が弱いな、ジング!」
「ふふ、ジングさんはその分、戦闘で活躍してくれますから♪」
「……!」
食堂には、喧嘩別れに近い形で二度と会うことが無かったゼーロが昔のままの笑顔で迎えてくれた。そしてクィンティの代わりになろうとしてくれたセクスタも最後に見たきりの姿、だった。
「どうして……」
「どうしてって、俺とお前で前衛を張ってるからだろ? ほら、早く座れって。腹減ったぜ」
「どうしたの? 凄い汗よ? ……具合悪い?」
「い、いや、私は……」
困惑するしかない。
ゼーロの顔も、セクスタの仕草も、心配するクィンティの様子も全てあの時のままだったからだ。
「私……って、本当にどうしたんですか?」
「いや、なんでもない。ちょっと変な夢を見ていたんだ。飯にしようぜ」
「もう、しっかりしてよ? 今日はゴブリン討伐の依頼なんだから」
「おう!」
「このソーセージ美味いぞ、ジング!」
「まったく、騒がしいわね……」
「いいじゃないですか、元気がないよりずっと」
……ひとまず昔を思い出して取り繕う。
あれが夢じゃ無ければ流石に五十年近く生きて来たんだから性格などは少しずつ変わっている。合っているか不安だったが周りは気にしていないようなので大丈夫らしい。
さて、驚きはしたけどみんなの顔を見て少し落ち着いてきた。
しかし、落ち着いてきたらそれはそれでびっくりする。私はどうやら過去に戻って来たらしい。
こういうのは商人をやっていたころでも聞いたことがない。とある大魔術師と話をしたことがあるのだけど、その人が言うには――
『川が山から海へ向かって流れるように、時間というのも遡ることはできない。それは世界の摂理に反する。神でもなければ無理だろうし、もしそんな技を見つけた場合、神の怒りに触れるかもしれない』
――と、笑っていた。現実、そんなことは出来ない。それくらい時を遡ったりするのはおかしいのだと。
……だけど、どうやらその時間を戻るということがあったようだ。
「――グ、ジング。一応、攻撃魔法は危なくなった時だけでいい?」
「え? あ、ああ、なんだ?」
「もー、今日は本当に大丈夫? セクスタの言う通り体調、悪いとか?」
「だ、大丈夫だ! ほら、食欲もしっかりあるし! ……げほっげほっ!?」
「あらー、ジングさん本当に大丈夫ですか……?」
「元気だって! で、ゴブリン討伐の打ち合わせだけど――」
私はひとまず飯を食いながら打ち合わせを再開する。ゴブリン討伐ってことはパーティを組んで二年くらいの時期だな。
すっかり忘れていたけど、この段階で身体に馴染むように記憶が蘇って来た。
不思議な感覚だ……年老いた記憶もあるが、若い記憶も段々思い出してきた。しかし、こういうのは人生に未練がありそうな人間がなるような気もするのだが。
私はそう思いながらチラリとクィンティに視線を向けた。元気にゼーロ達と話す彼女は付き合っていたころのまま。
死ぬ直前どころか別れて数年で割り切っていた……はずだ。実はそうじゃなかったのだろうか。
それはもはや分からないけど、彼女が急に心変わりした理由を今度は聞けるかもしれない。
「またボーっとしてる! 私の顔になにかついている?」
「ソースがついているぞ」
「~っ!」
「こりゃジングが一本とったな」
「隙が多いですからねえ、クィンティさんは」
「う、うるさいわね!」
……懐かしい。そういうやり取りだ。これが夢かどうかわからないが、目の前のことを片付けるとしようか。