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第15話 昼時の嵐

『はぁ!? 王子に婚約者がいた!?』


 帰宅し、寝支度も済ませた23時。スマートフォンのスピーカーからナナコの大きな声が響いて、耳から離す。

 私から話を聞いて以来、ナナコは王司さんのことを『王子』や『指輪の王子様』なんて呼んでいた。


「声、大きいよ。隣の人に怒られるよ」

『あ、ごめん。……って、今の話、本当なの?』

「うん。……たぶん」

『たぶん!?』

「だって、王司さん、否定しなかったし」


『ええー……』と、ナナコは、信じられないと嘆く。


『だって、20年も杏南の指輪を肌身離さず持っていてくれたんでしょう? 何かの間違いじゃなくて?』

「単に約束は守るっていう律儀な人だとか」

『それだったら、杏南に運命の人だなんて言わないでしょ』

「それは……」


 言葉が詰まる。

 ベッドにうつ伏せで寝転んでいた体を起こして、クッションを抱えて座った。


「勝手に気分が盛り上がっちゃっただけなんじゃないかな」


 そういうのってあるでしょ? と私はぼやくようにナナコに言う。ナナコからは、唸るような困っている声が返ってきただけだった。

 信じられない、とナナコは言いた気だった。私だって、ナナコと同じ気持ちだ。佐々木くんや染野さんが言うことは信じたくなかった。

 けれど、あの日、退社するときに見た2人の仲睦まじい姿が忘れられない。「伊月」、「茜」と下の名前で呼び合う彼らからは、2人だけの特別な空気感が漂っていた。


「まぁ……そういうことだから。やっぱり、王子様なんていなかったんだよ」

「杏南……」

「私も、ちゃんと現実を受け止めて前を見る。夢を見るのは、これで終わり」


 また合コンしようね、とナナコに言えば、彼女は初め戸惑っているようだったけれど、最終的には吹っ切れたような明るい声で「分かった」と力強く言ってくれた。

 私は目を伏せる。

 諦めかけていたお祖父ちゃんの指輪が戻ってきてくれただけでも、とても幸せなことだ。幼いころに憧れた初恋の王子様のことは胸に仕舞おう。

 一瞬、王司さんの柔らかな笑顔が瞼の裏に浮かんだ。胸の奥がちくりと痛むのを、私はナナコに「次はどこにランチ行く?」と違う話題を振って、誤魔化した。

 きっといつか、何も感じなくなる日が来る。まだ引き戻ることができる。

 本気で彼に恋をしてしまう前で良かった。



 翌日。オフィスには、パソコンのキーボードを叩く音が響いている。


「野々山さん、この資料、部長に渡してきてもらってもいい?」

「はい、分かりました」

「佐々木くん。パッケージデザインの案、デザイン部のほうにメールで送っておいたから、もし返事が来たらすぐに私に教えて」

「えっ、あ! はい、了解っス!」

「勝山くん、この資料なんだけど――……」

「なんだか、久遠さん、いつもの3割増しくらいでキビキビしてない?」

「俺もそう思ってた」

「昨日も様子がおかしかったし……」


 百合川さんと佐々木くんが顔を寄せ合ってひそひそと話している声が聴こえてくる。

 可愛いものが好きで、本当は気弱な自分を隠すために、何でも完璧にできるかっこいい女性になりたかった。

 隠すための道具だった『武装』を、本当の私にしたい。御伽噺に憧れている自分を捨てて、現実を生きる人になりたい。

 目が覚めたとき、そう決意したおかげか、今日はいつも以上に仕事に力が入っていた。



 慌ただしく午前の仕事が終わり、時計は正午を指す。百合川さんと野々山さんに誘われて、ランチに出掛けることになった。

 それぞれ財布だけを持ち、エントランスへ下りるエレベーターを待ちながら、お互いに何が食べたいか考えをすり合わせる。


「ラーメンなんてどうですか?」


 百合川さんが言う。


「あ、それなら私、近くに美味しい中華料理屋さん見つけたの」


 野々山さんがそう言って、スマートフォンの画面をすいすいと操作する。ここなんですけど、と言って見せてくれたお店は、町の中華屋さんという趣ある雰囲気。


「年配のご夫婦が経営されているんですけど、とても美味しかったです」

「野々山さんらしくないチョイスだね、誰と行ったの?」


 百合川さんが画面を覗き込みながら言えば、野々山さんは「あっ、えっと、それは……」と頬を赤らめた。百合川さんはそれでピンと来たようで、「彼氏でしょ」と可愛らしく笑った。


「野々山さんの彼氏って、どこに勤めてるんです?」

「ええっと……」

「百合川さん、そんな根掘り葉掘り聞かないの」

「えー、でも気になるじゃないですか。恋バナしましょうよ、恋バナ。私も最近片想いしてる人がいて……」


 自分の話がしたいだけじゃない、と言えば、百合川さんは「あ、バレました?」と愛嬌たっぷりで返してくるから、本当に彼女は憎めない。それは野々山さんも同じだったようで、「あとで話聞かせて」と優しく笑っていた。

 ようやくエレベーターがやって来て、扉が開く。乗り込もうとしたとき、不意に腕を掴まれ後ろに引っ張られた。


「きゃっ、なに」


 慌てて振り返れば、そこにいたのは滑らかな黒髪が肩から滑り落ちる西園寺さん。驚いて、自分の目が見開かれるのが分かる。

 どうして、西園寺さんが私の腕を掴んでいるのだろう。


「すみません。昼休み、久遠さんをお借りしますね」

「えっ、ちょっと。なに勝手なこと……」


 私の承諾もろくに待たず、西園寺さんは腕を引いて歩き出す。拒否は許されない雰囲気だ。

 私は、百合川さんと野々山さんに「ご飯食べに行っていて」とだけ何とか伝えて、西園寺さんに引っ張られるようにして、彼女の背中に着いていった。

 ずんずんとオフィスの廊下を進んでいく。

 彼女は、誰も使っていない会議室の扉を開くと、その中に入り、扉を閉めて鍵も掛けた。

 壁にあるスイッチを押すと、蛍光灯の明かりが灯る。


「ごめんなさいね、手荒な真似をして」

「いえ……」


 西園寺さんと向き合って話をするのは初めてだ。スラッとした高身長。グレイッシュなパンツスーツがとてもよく似合っている。

 長いロングヘアーも下ろしているのに決して汚らしくなく、上品さを感じる。

 彼女はその長い髪を耳にかけると、小粒のパールのピアスが可憐に光った。


「なにか、私に用事でしょうか」

「ええ」


 西園寺さんは頷くと、椅子に座るように促した。おずおずと腰を下ろせば、彼女もその隣に腰を下ろして、私のほうへ椅子を向ける。


「なにか飲み物でも買ってこれば良かったわね」

「大丈夫です。喉、乾いていないので」

「そういうことじゃなくて。久遠さんとゆっくり話がしたかったのよ」


 西園寺さんはそう言うと、ひとつ息をついた。


「伊月のことで」


 彼女の、ベリーのように綺麗に色づいた唇から、王司さんの名前が紡がれる。

 胃がずきりと痛んで、腿の上に置いていた手を握り込んだ。


「王司さんとは、何もありません。すみません、婚約者のあなたに誤解させるようなことをしてしまって」


 記憶にはないけれど、一夜を一緒に過ごしてしまったことが一瞬頭に過ってしまったけれど、あれは事故だろう。私は何をしたのかさえ覚えていないのだから。


「本当にごめんなさい」


 深く頭を下げる。王司さんには二度と関わらない、と続けようとした私の言葉を西園寺さんは遮った。


「そのことなんだけど……」


 続ける彼女の言葉に顔を上げる。


「伊月……やっぱり、あなたにちゃんと説明していないのね」


 目の前の西園寺さんは、私が予想していた反応とは違って、呆れたように深く深く溜息を吐いて、眉間に指を当てた。

 それから、姿勢を正して私に向き直る。それから、とても真っ直ぐな瞳で私を見つめた。


「私は、久遠さんには伊月の気持ちを受け止めてあげてほしいって思ってる」

「……え?」


 言われている意味がすぐに理解できず、聞き返す。


「伊月は、ずっとあなたのことが好きだったの。だから、もし久遠さんが少しでも伊月のことが好きなら、考えてあげて欲しい」


 西園寺さんの美しい黒い瞳の中に、困惑した表情の私が映っている。


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