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第20話 週末デートの約束

 電話越し、ナナコの「え!?」という高い声がこだました。

 椅子から立ち上がったのか、ガタガタと大きな音がしている。


『王子様と付き合うことになったの!?』

「う、うん」

『よかったじゃない、杏南!』

『今度、お祝いしましょうよ』とナナコが興奮気味に言っている。


 それに「嬉しそうね」と返せば、『嬉しいに決まってるじゃない』とナナコは真面目なトーンで言った。


『ずーっと杏南の傍にいたんだもん。色々なことに苦しんでたのも知ってる。だから、杏南が本当に結ばれたい人と結ばれることができて良かったなって思ってるの』

「ナナコ……」


 優しい言葉に思わずジーンとしてしまう。

 視界がうるうると滲んだとき、ナナコが『今、良いこと言ったでしょ?』なんて冗談っぽく言うから、「台無し」と笑って返した。

 それさえもナナコの優しさだと分かっている。


『それで、どこまでいったの?』

「どこまでって?」

『手繋いだとか、キスしたとか、それ以上とか』


 今度は私のほうが「え!?」と大きな声を出してしまった。ナナコが『声大きいよ』と笑っている。

 でもそれは、ナナコが変なこと言うから。


「どこまでって、そんな……何も。だって、昨日から交際が始まったばかりなんだよ?」


 そう答えながらも頭の中では、資料室で王司さんに絡められた指だとか、抱きしめられたぬくもりとか、頬に当たった唇の感触を思い出して、頬が赤くなって自分の口がまごつくのを感じる。

 頭から煙が出そう。

 男性とこんな風に付き合ったことも、スキンシップを交わしたこともほとんどなくて、既にキャパオーバーだ。

 26歳にもなって、こんなに純粋だなんて笑われてしまいそう。

 忘れかけていた……というか、記憶にはないけれど、王司さんと一夜を共に明かしたことも思い出してしまって、顔からは火が出そうになる。

 ベッドで無防備な寝顔で眠る王司さん。その顔さえ美しい人だった。

 お酒の力って怖い、と思う。今、シラフの状態で彼の隣で眠ることができるかと言われたら、とても無理だ。


『ピュアなのね~、杏南たちって。まぁ、これから少しずつ距離を縮めていけばいいとは思うけど』

「そうよ。これから、少しずつ……!」


 そう食い気味に答えた私に、ナナコは一瞬驚いたような声を上げたあとに、くすくすと笑った。


『また幸せの報告待ってるから』

「う、うん。何も面白い話、ないかもしれないけど」

『なにいってんの?20年前の初恋の相手と再会して、交際スタートさせた時点で私からしたら、とっっても面白いんだから』


 ナナコはそう言うと、『じゃあね、おやすみ』とナナコは笑いながら通話を切った。

 面白いって……と、思わずそれには失笑してしまうけれど、それくらい軽く見守っていてもらえるほうがありがたいのかもしれない。

 短く息を吐き出して、テーブルの上にスマートフォンを置いて、ナナコに相談しようと思っていたことを話すのを忘れていたと思い出す。

 スマートフォンの裏。ふわぴょんのシールが私を見ている。


「可愛いものが好きだって、早く王司さんに言ったほうがいいよね……」


 いつかこの部屋に遊びに来る日があるかもしれない。

 それこそ、私がこんな趣味を持っているなんて知ったら、王司さんは私のことを好きじゃなくなるかも。

 嫌われることが怖くなってしまう前に、ちゃんと話しておかないと……。

 今度は深く溜息を吐いて、膝の間に顔を埋めた。



 翌日の夕方。

 夕飯の準備をしていると王司さんから着信があった。


『杏南、お疲れ』


 通話アイコンをスワイプすると、パッと画面に映し出されたのは王司さんの顔。

 まさかのビデオ通話に心臓がバクバクと鳴る。

 少し寝癖がついたままになっているのか、王司さんの跳ねた毛先。

 白いTシャツは部屋着なのだろう。いつもよりもかなりラフな印象だ。

 お付き合いを始めたら、こんな姿も見られるのか……と、少しだけ優越感に似た感情も湧いてくる。


『杏南はカメラつけてくれないの?』


 王司さんが可愛らしく、コテンと首を傾げる。

 えっと……と私の指は、ビデオカメラのアイコンの上で震えていた。

 これをつけてしまったら、私の部屋の中が映ってしまう。

 そうすれば、私はこういうものが好きですと自然に伝えることもできるだろう。

 でも……。


(まだ、全部をさらけ出すのは怖い……)


「ご……ごめん。今日、メイクしてなくて……」


 苦しい言い訳を紡いで、きゅっと唇を噛む。

 こんなの、ただ拒否をしているようにしか見えない。

 けれど、王司さんからは「あ、そっか」とこちらを全面的に受け入れてくれるような返事が返ってきた。


『そうだよな、今日休日だし。デリカシーがなかった、ごめん』


 眉を下げて、画面越しに頭を下げる王司さんに慌てて「いやいや!」と返す。彼には見えていないのに、慌てて身振りまでつけてしまった。


「王司さんが謝ることは、なにも」

『いや。女性のそういうところは大事にしなさいって母さんに小さい頃から言われててさ』


 大事なことだよ、と王司さんは言う。

 真剣な声で言うから、私の心はちくりと痛んだ。けれどそれと同時に、言い訳だったとしても私の考えを否定しないで受け入れてくれる王司さんの優しさに温かさも覚える。

 そうだ。この人は、とても優しい人だ。

 雷に怖がっていると気付けば、それが遠ざかるまで傍にいてくれるような人。

 きっと、本当の私を知っても受け入れてくれる。

 だから、いつか必ず――。


『杏南は今日、夕飯なに食べるの?』


 少しだけ真剣な空気になってしまった空気を変えるように王司さんから話題が振られる。


「えっと、昨日作って置いておいた肉じゃがとお味噌汁にしようかなって」

『わ、いいな。うまそう』


 想像しただけでお腹が空く、と画面の中で王司さんが目を閉じて微笑む。

 その姿が可愛らしくて、自然と私の口角も上がった。

 スマホスタンドにスマートフォンを立てかけて、料理の続きに取り掛かる。ねぎと豆腐を刻んで、鍋の中に入れていく。


「王司さんは? 今日の夕飯はなんですか?」

『俺? 俺はさっきコンビニで買ってきたおにぎりとサラダ』


 そう言って、コンビニの袋に入っているものを一つ一つ出して見せてくれる。


『いや、でもなんか杏南に言うの恥ずかしい。俺も自炊頑張ろうかな、でも料理苦手で……』


 王司さんが苦く笑う。


「それじゃあ、今度一緒に作りませんか?」


 自然とそう言葉に出た。

 自分で言って、自分で驚く。

 画面の中の王司さんも驚いたように目を微かに丸くさせた。


「あ、いや。もちろん、王司さんが良ければ……ですけど!」


 慌てて言葉を取り繕う。


『俺が嫌って言うと思うの?』


 けれど、王司さんは口元を緩ませながらそう言った。


『週末は空いてる? 次の金曜日』

「あ、空いてる……けど」

『じゃあ、仕事が終わったあとに俺の家で。良い?』

「うっ……うん」

『決まりね』


 楽しみだな、と王司さんがどこか噛みしめるように笑った。

 キュン、と心臓が高鳴る。私の前でこんな表情で笑うのかと思ったら、ドキドキしすぎて苦しいくらいだ。

 なぜあのとき、「一緒に作ろう」なんて言葉が自然と出て来てしまったのだろう。

 自炊が苦手だと苦笑する王司さんを見て、また一つ王司さんの内面に近付いたような気がしてしまったからだろうか。

 一緒に料理をするなんて言ったけれど、どんなものを作ったらいいのだろう。

 鍋の中で味噌を解き、お玉でかき混ぜながら悩む。

 けれど、週末に仕事以外で会えることに喜びを感じている私もいて……。


『明日からの一週間も頑張れそう』


 王司さんのその言葉に、それだけはどうしても素直に答えたくて、「そうですね」と勇気を出して頷いてみせた。

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