「ねぇ、聞いた?」
「うん。まさかあの子がねぇ」
「暗殺者だってよ? 実はもう人殺しだったりして?」
「うそっ! こわーい」
周囲の視線が恐ろしく、痛い。
嘲笑う声がまとわりついてくるように耳朶を打つ。
自分が必死に積み上げて来たものが崩れ落ち、降りかかってくる。
私はこれからどうなるのだろう。
母の嘆く姿が脳裏を過ぎる、父の落胆する姿が目に浮かぶ、これから私はどうやって生きていくのか。
——身体を売るとか?
式典の前に聞いた心ない言葉が容赦無く私の胸を貫いて、かき回す。
——いやだ、いやだ……いやだ、いやだ、いやだ⁉︎
何かの間違いかもしれない、端末の誤作動だった可能性もある。
もしかしたら読み間違えただけかもしれない、もしかしたら。
惨めでもいい、なんでもいい、とにかく何かに縋ろうと必死で手にしたままの端末へと虚な視線を向けて何度も、何度も視線を巡らせ食い入るように読み返した。
《ルゥシフィル・リーベルシア》
《天職:暗殺者》
《スキル:未取得》
《スキル属性体質:闇》
私の人生は、終わった。
「——ルゥシィ」
そこには苦く切ないものを噛みしめるような表情で佇む親友の姿があった。
私は手を伸ばし唯一の友に追い縋る。
彼女は目を逸らし、その場から走りさっていった。
「はは、そっか——そうだよね、私、友達の価値すらなくなっちゃったんだ」
ふらふらとした足取りで教室へと辿り着いた私は、込み上げてきた涙を拭うことすら忘れ、室内に視線を巡らせた。
そこには同じく生気を失った男子生徒が数人席についていた。
未だ放心状態のアレックスくんの姿もあったが、最早そこへ痛みを感じ気遣う余力など私には残されていない。
私が最後だったのだろう、待ちくたびれたように先生が咳払いをして私を席へと誘導すると、仕切り直すように話し始めた。
「非常に残念な結果だと思いますが、あなた達の将来が閉ざされた訳ではありません」
気休めのつもりだろうか? だとしたらなんの意味もない、間違いなく私たちの将来は閉ざされている。
「あなた方には今から、この〈腕輪〉を配布します。
これはあなた方が危険分子とならないようにあなた方の『力の成長』を封じ、社会に適合して生きていけるようあなた方を守る腕輪です」
そう、私は今日から『腕輪組』。
社会から必要ないと判断された
弱者の象徴、社会に不必要と判断された者の証。
「それでは、順番に——」
一人一人、無気力に打ち拉がれる生徒達が、静かに立ち上がりその右手首に、これから生涯外すことの出来ない漆黒の腕輪を嵌められていく。
私の名前が呼ばれた。
だけど、その声は遠く、意識の中に消えていった。
——本当、最悪。私の人生、何もかも無駄。
可愛い? 何それ、なんの意味もないじゃない、暗殺者だよ?
人を殺す天職だよっ!? 全然……可愛くない。
こみ上げてくる感情がない混ぜになって私の心を引っ掻き回す。
自分の天職を思い返すだけで吐きそうだった。
「ルゥシフィル・リーベルシアさん、早く前へ!」
いつまでも返事のない私に苛立った先生の大きな声に私は虚な意識を無理やり起こして静かに前を向いた。
「——はい」
無気力に返事を返すと、ゆっくり席から立ち上がり先生のもとへ重い足を進めた。
「あなたの様に可憐な子が……残念です、右手を前に」
心にもない言葉だ。
きっと、いや絶対にこんな人に私の気持ちなんてわからない、わかるはずがない。
「……」
先生はそっと私の手を取り、漆黒の腕輪を嵌めようとした。
瞬間、その手にしていた腕輪が鈍い音を立てて床に転がった。
「リーベルシアさん⁉︎ 一体何を」
それは、ほとんど無意識だった。
気がついたら私は先生の手から腕輪を床へとはたき落として、
「ありえない——」
一瞬、氷のように冷たく低い声で告げた私の声と表情に驚愕した先生の手を払い除け教室を飛び出し、その場を駆け出した。
背後から叫び声が響く。
だけどすぐにその声は遠くなっていった。
私がこんなに早く走れたなんて知らなかった。
私、どこへ行くんだろう。
□■
どのくらい走っただろうか。
私は学園を飛び出し、追いかけてくる大人達を振り切ったあとで小川に掛かる橋の下へと身を潜めていた。
「学園から戦闘系の天職を持つものが腕輪の装着を拒み脱走した! まだ遠くへは行っていないはずだ、探せ!」
どうやら私はとんでもない事をしでかしたらしい。
頭上を走る大人たちの足音、今まで見たこともないような騒ぎ方で私を探している。
まるで教科書に出てくる『犯罪』を犯した逃亡者だ。
私は小さな橋の下で身を屈めるように膝を抱き、無気力に冷たい石壁へともたれて騒ぎ立てる大人達をやり過ごす。
川縁の砂利はゴツゴツしていて、水浸しになった下半身からは徐々に体温が抜け落ちていった。
「お母さん、お父さん」
二人とも、馬鹿な事をした娘を哀れみ、心配して探している頃だろうか。
そして、私を見つければ、『心配した、何をしていたのか』と、心にもないわかりきった台詞を口々にいうのだ『あなたのため』『仕方のない事』、だから腕輪を。
——それだけは、いや。
全身が拒絶する。
あの腕輪をしてはならないと本能が訴えかける。
「まだ見つからないのか!」
「申し訳ありません、隈無く探しているのですが」
「話によれば天職は『暗殺者』らしい〈スキル〉が覚醒する前になんとしても——おい」
「はい、なんでしょうか」
「
どんどん、と頭上で足を数回踏み鳴らす音が響いた。
「いえ、まだ捜索しておりません」
数名の足音が響き、傾斜を降る音が私のもとへと近づいてくる。
「————っ⁉︎」
このままでは見つかってしまう、私は逃げようと足に力を入れる。
——体が動かない。
冷え切った下半身は、立ち上がる力を失い、硬直した身体はただ震えていた。
だんだんと迫り来る足音。
無駄な抵抗もここまでかと、まぶたを閉じた私は、できる限り身体を縮め石壁に身を寄せる。
——神様……こんな仕打ち、あんまりだよ。
私のもとに迫る足音に身を硬らせ、恐怖に強く目をつむった、その時。
「誰だ君は? 学生か? そこをどきなさい」
「あっちだ」
「ん? なんだって?」
「逃げている奴、あっちで見た」
「それは本当か? どのあたりだ?」
「検問所、人を襲っていたから早くいった方がいい」
どこかで聞いたことのある、なぜか安心できる、声だった。
「なんだと⁉︎ いつの間にそんなところまで——おい、いくぞ! 急げ」
「……」
大勢の足音がその場から遠ざかっていくのがわかった。
そして、一つだけその場に残った足音がゆっくりとこちらへと近づき、恐怖に目をつむっていた私の前で立ち止まる。
「大丈夫か?」
優しげにかけられた声に、私は恐る恐る片目を開けて目の前に立つ人物の顔を確認する。
「——レイン、くん?」
「……」
「助けて、くれたの?」
「余計な世話だったか?」
「いやっ全然……そんなっ、事ない。ありが、とう」
「……」
『レイン』彼の事はその名前とエリシアが好きな人、という事くらいしか知らない。
クラスでも一度か二度話した事がある程度。
無表情でどこか周囲より大人っぽい雰囲気を持つ彼に、積極的な関わりを持とうとも思っていなかった。
——でも、レインくんがなんで。
そんな疑問をぶつける前に、緊張と恐怖から開放された私は遠のく意識を掴みとる事ができず、視界が真っ黒に染まっていった。