「で? 何がどうなってこうなったわけ?」
私の叫び声でエリシアまでも起こす事態になってしまい、少々気まずい空気で夜中にまた顔を突き合わせる私達。
「ぇっと、その、レインくんとロゼさんが話してるいのを聞いちゃって。
レインくんが一人で乗り込むって言うから、それなら私がっ、て飛び出したらこんな格好で……。
穴をください、私が入る穴を下さい」
「もぅ、相変わらずおっちょこちょいだなぁ、それが可愛らしさの秘訣なの?」
「そんなんじゃないもんっ! もとはと言えばエリシアが——」
「はぁい、そこまで! これ以上はおねぇさん怖いかもょ?」
「「はい、すいません」」
どこから出したのか刃物をちらつかせて微笑むロゼさんを前に二人してその場で小さくなる。
「とにかく、おねぇさんはあなた達に関わると決めた以上責任があります。そんな無謀で危険な場所に子供だけで向かわせるわけないでしょう? あまり困らせないでねぇ?」
ニコニコと、だが明らかに対照的な雰囲気を垂れ流すロゼさんは、とても怖かった。
「で、でもレインくんのお兄さんが」
「気持ちはわかるわ? でもそこまでのリスクを犯す確証もない、はっきり言って無謀すぎね」
ロゼさんの声色に冗談めいた雰囲気が感じられない、それだけ危険だと言う事だ。
「それでも、何か手掛かりはあるはずだ。
ルゥシィには悪いがあそこには俺一人で行く。お前はエリシアと一緒にこの国を出てくれ」
頑として引く様子のない彼は、私の方を見ることなく突き放すように告げた。
「そんな、足も折れているのに、無理して……。
私だって、レインくんの役に立ちたいよ」
「俺は、これ以上お前を巻き込むわけにいかな——」
「そんなの知らない!! 私は、絶対にレインくんを助ける! 私のことは私が決めるんだから」
彼の意見を遮って私は声を張り上げた。
彼が引けないように私も引けない、絶対に。
「ロゼさん、エリシア、ごめんなさい。
せっかく助けてもらったのに……だけどやっぱり私は行けません。 レインくんのお兄さんをどうしても助けたいから」
厳しい表情で目を細めるロゼさん、そして困惑するエリシアへ向かい私は思いを告げた。
エリシアは僅かに考え込み、しかし、力強く顔を上げる。
「ルゥシィ……あたしも行く! めっちゃ怖いけど、でもあたしだけ安全なところになんかいられるわけないじゃない!!」
そんな私達の様子を眺めながら、深々とため息を漏らしたロゼさんは「バカな子達」と呟きこぼした。
「はぁ、なんだかあなた達のおかげでとんでもない任務になっちゃったわね。いいわ、ルゥシィちゃんはともかく、あなた達二人はおねぇさんが守ってあげる」
「ぇ、じゃぁ」
「あんな所にあなた達だけでいかせられるわけないでしょう? この貸しは高くつくから覚えておいてね?」
ロゼさんは、肩を竦ませながら笑みを溢すと、私達に同行してくれると頷いてくれた。
「ありがとうございます‼︎」
「……俺も、礼を言わせてもらう」
「そうねぇ? お礼は、一晩おねぇさんにルゥシィちゃんを捧げると言うことでどうかしら?」
ロゼさんは舌舐めずりをしながら私に卑猥な視線を向けてくる。
肌を粟立たせて二人に助けを求めると、エリシアとレインくんは互いに頷き合い。
「「どうぞ」」
「ぇえ!? なんで息ぴったり!? 酷いよ? 酷すぎるよ?」
「あら? おねぇさんも命がけなのだから、それくらいは頂かないとね?」
「すいません、勘弁してください」
笑顔のロゼさんに泣いて懇願してみたが、受け入れられる様子はない。
さようなら、私の初体験。こんにちは、新しい扉。
「とにかく、今日は寝なさい? 決行は明日の夜、それまでに色々と準備するわよ?」
「はい、わかりました!」
気を引き締め直し、返事を返す。
私達はロゼさんの助力を得て、彼のお兄さん救出の計画を実行することとなった。
***
そして作戦決行の時は直ぐにやってきたのだ。
「いい? 絶対におねぇさんの指示に従うこと、わかった?」
「はい!」
「わかっている」
「うん!」
私たちはできる限りの準備を整え、町の中心に聳える大きな塔。
正直今まではただのシンボルみたいな感覚で政府の機関? 偉い人たちが集まっている場所? くらいの認識しかなかった。
ロゼさん曰くこの場所は国の心臓部であり、天職に関わる研究などもされているらしい。
ともあれ、今その塔をぐるりと囲む高い塀と同じ目線にある小高い丘に隠れ潜んでいた。
今日のロゼさんは、クレープ屋のお姉さんでも、刺激的な格好のお姉さんでもない。
真っ黒で丈の長い外套を羽織った、まるで別人のような出立ち。
外套の胸元には世界地図を交差するように貫く三つの剣を描いたエンブレムが刺繍されていた。
「レインくん、足大丈夫? 痛くない?」
「あぁ、おかげで問題なく動かせる、迷惑はかけない」
私が心配して彼に声をかけるていると、随分この空気に慣れてきたエリシアが唇を尖らせてレインくんに詰め寄る。
「まったく、無茶しないで留守番しておけばいいのに!」
「意固地な男の子って可愛くないのよね? もっと、触ったら壊れちゃいそうな儚い男の子がおねぇさんは好きだわ?」
「あなたの特殊な性癖は聞いてないわよ!?」
レインくんは、何度か留守番するようにロゼさんから説得されたが一歩も引かずに食い下がっていた。
観念したロゼさんは特殊な補強具を準備して彼の足を固定。
「普通に歩くのは支障ないでしょうけど、痛みはあるし無茶すると悪化するわよ?」
「あぁ、わかっている」
彼は決意を込めた瞳で頷き返す、その表情にロゼさんは呆れたように返した。
「はぁ、本当に困ったちゃん達ね? まぁ、いいわ? あなた達がいなくてもいずれこの場所には侵入する予定だったし」
「ルゥシィちゃんは自力でなんとかなるとして、とにかく二人はおねぇさんから離れないように‼︎ じゃぁ行くわよ?」
出来れば私も守る側に入れて貰いたいと潤んだ視線をロゼさんへと向けるが、にこりと微笑み軽く受け流された。
実は今日一日、準備をする中でロゼさんに少し戦闘訓練をしてもらったのだけれど、思った通り全く歯が立たなかった。
ロゼさんは私と対峙して、訓練も積んでいないのに何でそこまでの動きができるのかと首を捻っていたが、そんな事は私が聞きたい。
私たちは互いに頷き合う。
それを合図にその場を駆け出し手筈通りに塔への侵入を開始する。
まずロゼさんが魔装銃より一回り大きなサイズの『特殊な銃』をその場にセット。
塀をめがけて銃を放てばカギ付きのワイヤーが射出される。
この間に周辺の見張りがいた場合、私が制圧する予定になっていた。
「おかしぃわね? 重要拠点にしては警戒が薄すぎる」
「そうですね? いくら裏側とはいえ、こんなの簡単に忍び込めちゃうんじゃ? ぁ、みんな私を探しに出ているのかも」
「んー、まぁ楽に越したことはないものねぇ?」
正面には確かに見張りが三人ほど立っていたが、重要拠点の警備にしてはあまりに少なすぎる。
辺りを見回しても人の気配など全く感じられず、ロゼさんも拍子抜けと言った様子でワイヤーを固定していると、暗い影を落としたような表情の彼が呟いた。
「ここの見張りは人じゃない、訓練された馬鹿でかい犬だ」
どこか躊躇うように口を開いた彼は、ちらりとこちらへ視線を投げかける。
「大きな犬? なんか覚えているような——あの部屋で見た絵?」
はっきりとしない記憶を探る私を心配そうに彼は見つめていた。
「犬? 何よそれ、何か意味あるの? 吠えられると迷惑だけど」
怪訝な表情を浮かべながら首を傾げるエリシアに私は苦笑いを浮かべながら確認するようにロゼさんへと視線を向けた。
「ある意味人間より厄介な見張りかもしれないわね? とにかく行って確かめましょう?」
ロゼさんに促されるまま私たちはワイヤーへと腰ベルト付きのフックを引っ掛けた。
ワイヤーを滑るように伝い、塀の上まで移動を開始する。
——小さい頃、私とレインくんはここに来た? でもどうやって。
今の私達でも、特殊な器具を用いてやっと超えられるような高い塀の中に私達はどうやって忍び込んだのか?
はっきりと思い出せない記憶にもどかしさを感じていると、眼下を見下ろしていたロゼさんの表情が途端に険しくなった。
「ロゼさん?」
違和感を感じた私は、その視線の先を追いかけ唖然とする。
それを『犬』と呼ぶにはあまりに巨大で凶悪な外見をした黒い赤眼の獣が悠然とこちらを見据えていたのだ。
「ここの連中はとんでもない化け物を育てているみたいね? 『ヘル・ハウンド』、あれは、犬なんかじゃない……『魔物』よ」
「魔物!?」
「ま、魔物って滅びたんじゃないの!? 確かに大きいけど、見た目は犬に——見えない」
「その認識で間違っていないわ? 魔物は滅びた。
正確には人間の脅威となるような魔物はね? でもあれは、別名『地獄の番犬』その昔、人間を恐怖の底に陥れた凶悪な魔物よ。
一匹で、数百の軍隊を壊滅させたと言われているわ」
眼下に佇む漆黒の獣を怯えた様子で眺めながら問いかけたエリシアへ、目を細め真剣に応えるロゼさん。
その表情にいつものような余裕は微塵も感じられない。
「地獄の……でもそんな魔物がなんでここに」
「噂では、このウォルテン王国が裏で危険な実験を行なっていて、その一つに魔物の復活を目論んでいるって。半信半疑だったけど……ほんと、なんて任務なのかしら」
頭を抱えながらロゼさんは呟く、本当に厄介な事態なのだろう。
でも私には、ただ動くことなくこちらを見上げている黒い獣がそこまでの脅威には思えず、彼も同じ気持ちであったのか、ロゼさんへ問い掛けた。
「魔物と言っても、ただのデカい犬とどう違うんだ? こちらには武器もある、対して問題にはならないんじゃないか?」
その通りだ、と思った。
幼い日の私達がどうなったかは分からない。
けれど、生きて出られたのだ、今の私達がそこまで苦戦するとは思えなかった。
だがロゼさんの表情は依然険しいまま、眼下の獣を見据えている。
「警備が薄い理由はその『犬』が、今の私たちにとって大問題だからょ? 魔物と動物の違いで決定的なのは『スキル』を使えるということかしら?」
「スキル!? 犬がスキルを使うの!?」
「ちょっと静かに、ね? だから『魔物』なのよ」
エリシアは驚きに声をあげ、それを片手で制すると珍しくロゼさんは余裕のない笑顔で応えた。
「一匹でも厄介なのに、それが二匹ねぇ……流石のおねぇさんも守りながら戦うのは難しいかな?」
「私達にできることは——」
「ないわね」
自分たちのわがままで、協力してもらっているのにロゼさんだけ危険に合わせるわけには——そう思い切り出した私の言葉。
ロゼさんは乾いたトーンでにべもなく遮り軽くため息を漏らす。
「心配しなくても、乗り掛かった船よ? それに『これ』を見ちゃったからには、おねぇさんとしても見過ごすわけにはいかないのよね? 残念だけど」
「ロゼさん」
「とにかく、おねぇさんがワンちゃん達を片付けるまでここで待っていて?」
ロゼさんはその瞳に柔らかな光を宿しながら私達を見つめて告げた。
「もし、おねぇさんが負けそうになったり、想定外の事態が起きたら……わかるわね?」
「拠点に戻って非常用の緊急連絡を使用して国を脱出する——でも私」
言いかけた私の頭をそっと撫でたロゼさんは片目を瞑り、ロープを下へとたらした。
「あなた達がおねぇさんの心配なんて、十年早いわょ?」
そう言い残して、颯爽と黒い獣が待ち構える地上へとロゼさんは降り立った。
「……」
「レインくん?」
その光景を遠い目で見つめる彼の姿は、悲しい思い出を重ねるように暗く静かだった。