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第12話

「彼の指し示す先には、大きな樹木の切り株があった。」

緒方は言った。

「この発掘現場のことは、私などより君の方がはるかに詳しいだろう。ちょうど住宅街との間際、発掘現場の北のへりのあたりに、数本の大樹の痕跡が残っていた。樹木の種類や、それがなんで今でも残っていたのか、学術的な説明は、私にはできない。だが、とにかく残っていた。そしてC体の中指は、ほぼまっすぐにその位置の方角を指していた。」


「あそこには、大規模なミズナラの群落がありました。地面に落ちていたドングリの食べかすの種類で判定できます。縄文人が、とても好んで採集していた主食のうちのひとつです。」

「そのミズナラの樹の一本、特に幹の大きい奴のたもとに、面白いものが埋まっていたよ。」

緒方は言い、はるみはびっくりして聞き咎めた。

「発掘現場に、勝手に入り込んだの?それって、文化財保護法違反よ!歴とした犯罪だわ。それ以前に・・・人として最低のマナー違反だわ!」

「一言もない。突き出すのなら突き出したまえ。だが私は、違反せねばならなかった。あそこに分け入り、そして、掘らねばならなかった。なぜなら・・・いま世界中で縄文ファッカーなどと呼ばれている名もなき男の、1万年越しの無念を、私が晴らさなければならなかったからだ。」


「無断で入り込むだけでなく、掘り返したなんて・・・なんて人!」

はるみは畳みかけたが、緒方は一切それに構わず、こう言った。

「そして、見つけたんだ。まずは鋭利に削られた黒曜石こくようせきやじり。この時代に一般的な打製ではなく、縁が滑らかに研磨された精巧な磨製の鏃だ。それはまだ少し黒ずみ、君たちご自慢の研究室できちんと解析すれば、時を越えてなんらかの血液反応が出てくるのではないか、と思う。そして、それにはまだ綻びた皮革の紐のようなものがこびり付いていた。意味はわかるね?明らかにここには、最新式の弓矢を構えた遠隔狙撃者が潜んでいたんだ。


「至近距離で直接、なぐった訳ではなく・・・。」

「そうだ。そこは我々に予断があったね。当初は3体が近距離で直接格闘したと思い込み、フリップ・アップ・トラップを見抜いた君も、同時にそのことに囚われすぎ、C体には直接、手による打撃で止めを刺したと思い込んでいた。しかしよく見ればあの傷は、遠距離を、弧を描いて加速度をつけながら飛翔してきた鋭利な鏃が付けた傷だとすれば、合点がいく。3体とも、頭部の陥没痕に幾つか小さな穴が空いていただろう?当時の縄文人の成人男子がどれほど筋骨隆々だろうと、人力による石刃や石斧の打撃では、ああした傷はできにくい。ともかくも狙撃者は、あそこの樹の影から、罠にかかった哀れな犠牲者たちを狙っていたんだ。」


「そして、狙いをあやまたずに見事命中させ、あとで矢だけを回収した・・・。」

「その通りだ。なぜ一本だけを狙撃地点に残したのかは謎だが、私はもうひとつ面白い物を見つけた。土偶の欠片だよ。無茶無茶に割られ、ばらばらに砕けた赤土の塊だ。だがそれらはかつて、よく練って綺麗に整形され高温できちんと焼成されていた。なめらかな菱形の顔を持つ、とても嫋やかな身体の、明らかに女性を象ったと思われる美しい土偶の欠片だった。砕けた後であるにしても・・・それはとにかく、美しかった。」


「その土偶の欠片が、C体の指さす先にまだ埋まっていたわけね。たしかに発掘現場の境界線まぎわ、そして一帯がミズナラの群落のへりだったことが判明していたから、誰もそれ以上調査しようとしなかった。そして貴方が掘り返した。いまそれを持っているのね。」

「いや。」

「え?どういうこと?」

「私はもう持っていない。欠片をその場で並べて継ぎ合わせてみて、美しい土偶であることを確認し、そして、鏃とともにそのまま埋め戻した。」


「なんですって!」

はるみは叫んだ。

「そうだ。埋め戻した。だから鏃とその土偶の欠片は、あそこを掘ればすぐに出てくるよ。まったく私は、とんでもないことをしでかしたものだ。まさしく、あの悪名高い“ゴッドハンド”と同じ罪を犯してしまったのだからね。これは我々の歴史と、真摯な研究者たち全員に対する、最悪の冒瀆ぼうとくだ。」

「自分で言ってりゃ、世話ないわ!全く、なんてことをしでかしてくれたのよ!」


「だが、いますぐ発掘主任者の君が独断であそこを掘れば、私が埋め戻したということは、永久に、誰にもわからない。」

緒方は、ゆっくりと言った。

「そして君は、A体、B体の死の真相を暴くだけでなく、C体の無念をも晴らすきっかけを作ることになる。君は、君の望む通り、考古学会において重要な発見を成し遂げ、そのあと自分の一生をかけて追い求めるに足るテーマを得ることになる。」


「あなたいったい、なにを言ってるの?私が犯罪の隠匿行為を幇助ほうじょするとでも?」

「まあ、そのことはいい。君の好きなようにしたまえ。それよりも、その土偶の意味するところだ。C体は、我らが縄文ファッカー君は、明らかにその土偶のある位置を指さして、そしてこと切れた。もちろん、そこから犯人に撃たれたことを彼は訴えかけたかったのだろう。だが彼は同時に、この土偶をさし示していたようにも思えてならないんだ。1万年前、おそらくは究極の絶望と孤独のうちに死んだ男が、最後の力を振り絞って指さした、女の姿形をした美しい焼き物。これはいったい、どういうことなのだろうか?」


「わかるわけがないわ、古代人の考えなんて!」

「君はさっき、自分にはすべてわかるといった風に、堂々とそのことを語っていたように思えたがね。」

「ええ、そう思ったわ。でも、これで訳がわからなくなった。また一から考え直しよ!」

「そういうことになるな。」

緒方は同意した。そして、感慨深げにこう付け加えた。

「そしてそれがおそらく、さっき言った、君が残りの人生を捧げて追いかけていくべきテーマ、そのものになる。」


はるみは、黙った。

黙って、考えた。たしかに、そうだ。


それは緒方の考えではない。自分の考えですらない。

目の前に倒れた、この1万年前の男の骨が、無言のうちに自分に託した仕事なのだ。

1万年前、ここでなにが起こったのか、彼はなぜ死なねばならなかったのか。

それは陰惨な人間狩りの風習によるものだったのか、なにかまだ知られざる儀式の生贄だったのか、あるいはもっと巧緻な謀略によるものだったのか。それとも、ただのよくある痴話喧嘩の類だったのか。


彼の死の理由については、まだ、なにもわからない。


しかし、なにもわからない・・・・・・・ということがわかった・・・・時点で、これはひとつの大きな進歩ではないだろうか?


緒方は、きっと身を挺して禁を犯し、このことを私にわからせてくれたのだ。そしてその仕事を、私の手に託そうとしている。1万年前の名もなき男と、かつてなにか大きな間違いを犯し、いまだその記憶にさいなまれている令和時代の老人が、大きなバトンを手渡して、私の前を去ろうとしているのだ。


悟ったはるみは、心の底から緒方に感謝した。




でも同時に、こうも思った。

もし仮に・・・いまの私が両腕に、姿なき狙撃者同様の、弓と矢とを同時に持っていたなら。


私は悠々と矢をつがえ、向こうをむいてうつむく、この訳知りじじいの脳天を、グサリと射抜くことだってできるのに。


<了>

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