しばらく折れ曲がった通路を歩き、次の分岐に出たところで――僕はふと思いついて、後ろにいた
「――そうだ芳乃、蛍光ペンって持ってなかった?」
「……蛍光ペン? 持ってるけど……」
怪訝そうにしながら、芳乃はブレザーの内ポケットからペンを取り出す。
「何でそんなの持ってるんだ?」
「パンフの地図に書き込みするためよ。
アトラクションの混み具合とか、近道とか、良さそうなお店とか――色々チェックしておいたら、明日以降、もっと時間を有効活用出来るでしょ?
……もっとも、こんなことになっちゃったら、まるで意味無いんだけどさ」
「ああ……で、
「うん。緊急事態だし、落書きぐらい気にしてられないと思って」
僕は借りたペンで、壁の平らな場所を選んで目立つように大きく、出口方向への矢印を書き込む。
矢印の光は、弱々しくぼんやりとしていたけど……薄暗い周囲との対比で、それなりに目立ってくれていた。
「こうして印をつけてれば、迷ったりしなくて済むもんね」
ユリの言葉に頷き返してから、僕らは改めて奥へと足早に進み始めた。
……その後も、分岐にさしかかるたびに壁や床に大きく印を残しながら、僕らは迷宮の奥へ向かう。
本来なら、大きな声で
呼びかけをしないわけじゃないけど、間を空けて、しかも普通の話し声よりも少し大きい程度の声で、でしかない。
理由はもちろん、美樹子本人じゃなくて、別の『誰か』に気付かれたりしないか、という恐れがあるからだった。
アトラクションそのものの音響効果は完全に止まっていて、迷宮内は、やっぱり僕ら以外は誰もいないと信じられそうなほどに静かだったけど……それが逆に、曲がり角の向こうや長い通路の暗がりの先に、何かが息を潜めて待ち受けているような不安も助長させた。
幸いにも迷宮の中には、今のところ入り口で見たような惨劇の痕跡は見当たらないものの……それだけでは安全が保証されたとも言えないのだから。
「……なあ、景司」
金属の杭を両手で握り締めながら、ぽつりと僕の名を呼ぶ康平。
ヘタに会話とかしたら、見つかってはいけない何かに見つかるんじゃないか――そんな心配があるにしても、だからといって美樹子に呼びかける以外ずっと押し黙ったままなのも精神的につらいんだろう。
彼は言葉少なに、心情を口にする。
「何か、とんでもないことになっちまったよな」
「……そうだね……」
僕も同じ心境だったので、康平の言葉には相槌を打つしかない。
――小学校の頃に仲良くなった僕らのグループは、高校生になっても、いつも一緒に行動するような仲だった。
それはこの修学旅行でも同様で、みんなで楽しい時間を過ごすはずだったんだ。
現に、夕方までは――あの惨劇を見るまでは、本当に楽しかったのに。
それが今では……とにかく凶悪で恐ろしい、得体の知れない暴力に曝される始末だ。
どこで、何が、どう狂ったんだろう。
何があれば、世界はこうまで大きく変わってしまうんだろう。
それとも……。
平穏で何も変わりないように見えて、実は少しずつ少しずつ……いずれこうなってしまうのも当然なぐらい、世界は歪んでいたんだろうか……。
「先生とか他の奴ら、どうなったかな……」
「……分からない。でもきっと、無事だよ」
言いながら、僕は自分で白々しいな、と思っていた。
少なくとも――美樹子がここへ逃げ込むぐらいのパニックを起こすきっかけになった、あの首だけにされた女子は、無事も何もあったものじゃないからだ。
でも、だからと言ってわざわざそんなことを口にして、場をさらに暗くするようなことは……したくなかった。
「あの子ね……ミキの友達だったのよ」
僕の心中を見透かしたような芳乃の言葉に、僕は思わず彼女の方を見た。
彼女は眉間に皺を寄せたまま、そんな僕に視線を返すでもなく続ける。
「同じ陸上部の……ね。
だから、本当にすごいショックだったんだと思う。
それは分かるけど……!」
金属の杭を握る彼女の手に、力がこもっているのが分かる。
……美樹子は多分に子供っぽいと言うか、甘えん坊なところが目立つことが少なくない子だ。
一番古い付き合いで、しかも性格的に正反対というか、逆に色々な面においてしっかりしている芳乃には、美樹子のそうしたところが癪に障ることが多々あるらしい。
今回のこともそうなんだろう。
一番の友達として心配は心配だけど、同時に、ただでさえ危険な状況だというのに、美樹子はみんなにまとめて迷惑をかけた――と、そんな風に飲み下し切れないわだかまりを感じているに違いなかった。
ただ、ここでわざわざそのことに触れたところで、芳乃の苛立ちを刺激するだけなのは、僕も数年来の付き合いで分かっている。
なので僕は、分岐点に印を付けながら、康平に別の話題を振ることにした。
「康平は……どう思う? 『あの状態』……何だと思う?」
思い出すのも嫌だとばかりに、康平は顔をしかめた。
「分からねえ、けど……悪霊とかに憑かれてるみたいだったよな。
でなきゃ、何かとんでもない病気みたいなもんなのかな。
あんな小さい子まで……いきなり、だったもんな」
康平の答えに、僕は「そうだね……」と相槌を打つ。
あの状態になった人間すべてを確認したわけではないけれど、少なくとも僕らが見たのは全員、事前に苦しんだりするような兆候なんてまるでなく、本当に突然豹変したのだから……。
それこそ悪霊とか悪魔といった超自然的なものか、恐ろしく強力なウイルスによる新種の病気とか、その辺りにしか想像が及ばない。
そこへ、僕の隣りに並んだユリが、青い瞳で僕の顔を見上げながら意見を口にした。
「まるであの人たち、悪い夢を見て、もがいてるみたいだったよ」
僕は思わず、苦笑いをもらす。
「悪い夢、か。
見てるのは、むしろ僕らの方じゃないかな……」
「何だ景司、どうかしたか?」
「ああ、うん。ユリが言ったことなんだけど……」
「――ユリが? 何を言――」
康平が、言葉を途中で飲み込む。
……その理由はすぐに分かった。
微かに……近くから、女の子のすすり泣くような声がしたからだ。