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6.出られない


「うわああっ!?」「きゃああっ!!」



 空間ごと軋みをあげるかのような衝撃に、足を取られて床に尻餅をついてから――僕ははっきりと、地面が揺れていることに気付いた。


 いや、揺れている、なんて程度じゃない……!

 それはまるで、僕らのいるこの建物ごと、巨大な何者かが引っ掴んで揺さぶっているような――そんなレベルの揺れだった。


 通話の切れたスマホを握ったまま、反射的にその場にうずくまる。


 激しい揺れの中、周囲では何か固いものが落ちたり、砕けたりする大きな音がひっきりなしに響いてきて……そうしている間、まるで生きた心地がしなかった。


 けれど幸いにして、落下物に潰されることはなく、また、僕らを囲む壁や天井まで崩れてくることもなく……そして揺れそのものも、思ったより早くに治まってくれた。



 この場のみんなで、互いに怪我もなく無事であることを視線を交わして確認すると――今の内に一刻も早く外へ出た方がいいと、急いで来た道を戻り始める。


 かろうじてまだ生きている照明の下、ペンで大きく描いた印は、僕らに入り口への道を示してくれていた。


 改めて、少し手間でも印を付けていったのは正解だったと実感したけれど……小走りに通路を戻りながら、康平こうへいがそのことを手放しに褒めてくれるのは、こんな状況でもやっぱり少しくすぐったかった。


 だけど、ふと、印が指しているのとは逆の通路に目を向けたとき――僕は一転して、冷水を頭からかけられたような気分になった。




 少し離れた暗がりの中には――『僕』が立っていたんだ。


 こちらを向いて、じっと見ているんだ。……僕が、僕を。




「おい、どうした景司けいじ!」


 いきなり僕が足を止めたからだろう、後ろから投げかけられる康平の声に……僕はかろうじて「僕がいる」とだけ答えていた。



「は?……って、何だよ、おどかすなよな〜……」



 僕の視線から見ている方向を知って、確かめた康平は……そう言って大きく息を吐いた。


「ただのデカい鏡じゃねえか。

 ――らしくねえな、お前がこんなのに引っかかるなんてさ」


「え――鏡?」



 言われて改めてよく見ると、それは確かに鏡だった。

 僕だけでなく、僕の肩に手を置いた康平の姿も同じように映っている。


 ……おかしなところなんて、何もない――。



「しっかりしてくれよな、景司。

 俺もだけど、みんな、お前のことは結構頼りにしてんだからさ」


 ぽんぽんと肩を叩いてくる康平。

 その彼に「ほら、早く行こう」と促されるまま、僕はその場に背を向ける。



 ……そうだ、鏡だ。

 いきなりだから驚いただけで、僕が映ることには何の不思議もない。


 ――けれど……。



「ああっ、くそっ!」


 僕は頭を振って、余計な考えは振り払うことにした。


 気付けば、心配そうに顔を覗き込んでいるユリに、笑顔を作り大丈夫と返して僕は……入り口へと戻る、その行動に改めて集中する。


 それなりの距離を奥へ進んでいたはずだけど、迷いなく、まっすぐに来た道を戻るとなると、それほど時間はかからない。

 一緒に記憶も辿り、そろそろ泰輔たいすけたちと分かれた初めの分岐点に戻るはずだと考えていると……僕らの前に突然、角の向こうから人影が躍り出てきた。



「うわあっ!?」



 一応武器を持っていることなんてまるで意識の外だったのか、文字通り飛び上がるほどに驚いて後ずさる康平。


 何とか僕は踏み止まってモップを構えるも……人影の方もまた、康平と同じような反応をして壁際まで下がっていた。

 ――それで、気付く。



「――泰輔?」


「ったく、そんなに驚くなよ〜……こっちまでびびったじゃねえか~……!」



 泰輔も僕らと同じで急いでいたんだろう。

 そんな悪態をつく息も荒い。


「アンタだって! いきなり飛び出てこないでよ、もう……!」


「ああ、悪い悪い。

 ――お、美樹子みきこ? 怪我とかは……なさそうだな、よかったぜ」


 膨れる芳乃よしのの陰に隠れるようにして立つ美樹子に、泰輔は笑顔を向けた。

 ……空元気なのは明白だけど、それも彼なりの気遣いだろう。


「それで泰輔、どうしてこっちまで?

 もう入り口へのルートは通り過ぎてるよ?」


 僕が素朴な疑問を口にすると、泰輔の表情は一転して険しくなった。


「……それなんだけどな……今、入り口の方見てきたんだよ。

 そしたら、さっきの地震のせいだと思うけど……ほら、入り口の上の方に、デカい――何て言うかな、アトラクションの看板みたいなやつあっただろ?

 それがまるごと落ちてきやがったみたいで……」


「あれが? それじゃ……」


「ああ、入り口周りは完全に塞がってる――というか、潰れてるってところか。

 とにかく、あっちからは外に出られそうにない。

 ……あーあー、待てって、だからって他に出口がないわけじゃねえんだ。それを報せようとこっちの方まで来たんだからさ」


 入り口が塞がっているという事実に、誰にともなく今にも嘆きや怒りや不満をもらしそうだった芳乃や康平の機先を、泰輔は上手く制した。


「実は俺たちが行った方の奥まったところに、関係者用の通用口らしいものを見つけたんだ。

 そっちからなら、多分出られると思う」


「それはいいけど……祥治しょうじは?」


「今言った通用口、非常口の表示もあったし、外には出られるはずだけど、もしかしたら入り組んでたりするかも知れないだろ?

 だから祥治は今、エントランスで、スタッフ用の案内図みたいなやつを調べてる。取り敢えずまずは、アイツと合流しよう」



 泰輔の言に従い、僕らはさらに道を戻る。

 ……果たして祥治は、既に最初の分岐点で僕らを待っていた。



「……お、来たな。避難経路図とか誘導案内を確かめたが、大丈夫だ。

 非常口から外への裏口までは、別にややこしい道筋でもなかった」


「……そりゃそうよ、当たり前でしょ。でなきゃ非常口の意味ないじゃない」


 素っ気なく言って、芳乃は肩をすくめる。


 彼女の物言いは、基本的に少しきつめだ。

 そのせいで彼女自身にそんなつもりはなくても、相手は言葉以上の悪い意味を感じ取る場合がある。


 今回なら、その発言は「無駄なことをして」というようなニュアンスにも取れるし……そして事実はともかく、少し不機嫌そうになった表情を見る限り、祥治自身はそう受け取ったらしい。


「そうは言っても、一応調べておいた方がいいだろう?」


 突き放すように言い返して、みんなを案内するとばかりに背を向けて歩き出した。


 通路に印を付けておくという発想は泰輔たちにもあったようで、行く先々の床に、硬い物で引っ掻いたような傷跡が残っていた。

 祥治の持っている金属の杭の尖った先端で、床を削ったんだろう。


 そしてその印が示す道筋から、彼らも僕らと同じく、探す場所が重ならないようにと、最初に決めた方向を守って分岐を選んでいたことが分かる。

 現に、祥治に従って進んでいる間、僕が付けた蛍光ペンの印に出会うことはなかった。


 そうして、床の傷跡を辿った僕らは……やがて一つの袋小路に行き着いた。


 目線よりも高い場所に、非常口と書かれた緑の照明が点灯しているものの、一見しただけではそこは、気味の悪いツタが絡みついたただの行き止まりにしか見えない。


 だけどよくよく見てみると、ドアの切り込みはもちろんドアノブすら、ツタの装飾の一部となって隠れるようにデザインされていて……アトラクションの雰囲気を妨げないよう、程良く風景に溶け込ませてあるのが分かった。


 ドアの向こう側はというと、途端に何の装飾もない無機質な空間になるかと思ったら、その小さな部屋も、アトラクションのセット風の造りになっていた。

 迷路の中で見かけたツタや骸骨といった装飾と同じ物が、きちんと分類されて隅の方に置かれているところからしても、ちょっとした倉庫のような役割もあるんだろう。


 そしてさらに、そこから別のドアを抜けた先、奥へ続く細い通路も、まだ迷宮内のように演出されていた。

 通路の行き当たりは左右に分かれていて……左側には下りの、右側には上りの階段が延び、その先にはそれぞれ、同じような両開きの扉がある。



「ここを上れば、このアトラクションの横手に出るはずだ」



 そう案内してくれる祥治に従い、僕らは適当に固まって上り階段へと足を踏み出した。



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