「……けど、ここを出たらもう安全、てわけでもないんだよな……」
非常口の階段を上りながらの、
彼の言う通り、外に出ればひとまず、建物の倒壊による下敷きの脅威からは解放されるものの……この事態を打開する根本的な解決になるわけじゃない。
いや、むしろ、僕らが
「これからどうするにしても、ここを出たらまず、外と連絡を取るのがいいんじゃないか?
警察には、園内にいた誰かがとっくに通報してるだろうが……それでも改めて連絡すれば、何か教えてもらえるかも知れない」
「それはあたしも賛成ね。先生にだって、一応連絡を入れとくべきでしょうし。
……もっとも、向こうは向こうで、あたしたちのことなんて気にしてられないような状況かも知れないけどさ」
とにかくひたすら逃げ通しだったから、僕なんて恥ずかしいことに、そうした基本的な行動にまるで考えが至らなかったけど……重要だからこそ基本なわけだし、改めて言われてみると、確かにそれは踏んでおくべき手順だと感じる。
泰輔も僕と同じなのか、しきりに頷いていた。
「そうだなあ。そうやって状況を探りながら、とにかく入場ゲートの方へ戻るしかない、か。
……なあ、
「うん……。
救助が来るのが分かっているなら、どこかに隠れて待つっていう選択肢もあるだろうけど……その案にしても、来場者全員ともなると凄い数だから、救助の順番を待っている間に何が起こるか分からないっていうのもあるしね。
それに――」
僕は一呼吸置いて、先程から気になっていたことを口にした。
「さっきの地震で、
さすがにまだ崩れ落ちたりはしてないだろうけど、それにしたって、時間が経てば経つほど危なくなるのは間違いないはずだから。
そもそも、また大きな地震が起きないとも限らないんだし――。
うん……だから、いざ自力で園外に逃げなきゃならなくなったときのためにも、とにかく入場ゲートの方へ近付いておくべきだと思う」
そしてその意味を改めて理解したのか、今度は難しい顔をして唸ったり俯いたりした。
そんな2人を励ますためなのか、それとも事実と思っていることを口にしただけなのかは分からないけれど……。
階段を上りきった祥治は扉の取っ手に手を伸ばしながら、「連絡橋はまだ無事だ」と言い切った。
「まだ造られてから新しいし、耐震構造なんかには特に気を遣ったとニュースでも報じていたからな。
それこそ手抜き工事でもない限り、そう簡単に崩れたりは――」
祥治の言葉が、ふっと急に途切れる。
見ると、取っ手を掴むはずだった彼の手は……しかし何も掴んでいなかった。
扉の方が、彼の手を避けるように、ゆっくりと……向こう側に逃げていたからだ。
いや――違う。
開けられたんだ、扉の向こう側から。彼がそうするより先に。
「そこ……危ない――!」
まず聞こえてきたのは声。
続けて、扉の隙間から姿を見せたのは……このパークに来てから何度も見かける制服を着た、若い女の人だった。
スタッフの人に間違いない。
「あ……」
逃げ遅れた人を探しに来たんだ――反射的にそう安堵したのは僕だけじゃないだろう。
けれど……その希望は、ほんの数秒と持たずに跡形もなく上塗りされた。
――恐怖に、どす黒く。
「危な・イ・から――危・ナいか・らラらァぁ!!」
……急に声を荒げて顔を上げた女の人の瞳は、『あの動き』をしていたのだ。
激しく痙攣して焦点などまるで定まらない、それこそ悪魔でも憑いているような、総毛立つほど気味が悪いあの動きを――!
「………っ!?」
みんな息を呑む中、女の人は、近くにいた祥治に向かって手を振り上げる。
扉の影に隠れていたその左手は、見ると手を繋いでいた――彼女のものと同じ制服を着た、
「危ナ・いィカら・ラらぁァぁーーっ!!」
「うああああっ!」
人の腕をまるで棍棒のように叩き付けてくる女の人――。
僕は反射的にその顔に向かって、思いきりモップの柄を突き出していた。
柄を握る手に、硬さと柔らかさがない交ぜになった、生暖かい感触が伝わる――。
ぐちゃり、とか、ぶちゅり、とか、そんな弾力のあるものを圧し潰す嫌らしい音が、僕の脳内に直接響いた気がした。
仰け反る女の人の白い顔が、鮮血に赤く染まる。
異常に長く感じる一瞬の中で僕は、自分が突き出したモップが、彼女の目を――人の目を潰したということを、実感させられた。
それで体勢を崩しながらも、女の人が乱暴に振り下ろした人の腕は……目標から逸れ、閉まったままの扉の片側を強打する。
それで響き渡った、ぐわんというドラのような重い音が呪縛を断つ合図だったように――僕らは誰ともなく「逃げろ!」と叫び、慌ててきびすを返して走り出した。
途中で曲がって、もと来た通路からアトラクションに戻るという選択もあったんだろうけど……。
女性の恐ろしい叫び声と、追いかけてくる足音からとにかく距離を取りたくて、僕らは振り返ることなく一直線に、地下へと続く階段を飛ぶように駆け下りる。
そして先頭にいた康平が、体当たりをしてぶち破るかのような勢いで扉を押し開くと、立て続けにみんなして内側に雪崩れ込み――。
最後尾にいた僕と祥治の2人ですぐさま扉を閉め、体重をかけて押さえ込んだ。
「……どうだ? 追いかけて……きてるか?」
息を荒げながらの祥治の質問に、声を出すのも辛かったので、僕はただ首を振って答えにする。少し待ってみても、扉の向こうに何の動きも感じられなかったからだ。
けれど――。
そうして、僅かに気を抜いた瞬間。
それを待っていたかのように突然、扉に、何か重いものが叩きつけられたような強い衝撃がはしった。
その勢いで弾かれそうになったのを何とか踏ん張って、扉を押さえ直す。
「くそっ!」
様子を見た泰輔と康平が慌てて僕らを手伝ってくれる。
だけど、ずっとこうしているわけにもいかない……。
僕は二度、三度と続けて加えられる恐ろしいまでの衝撃に耐えながら、持っていたモップを扉の取っ手の中に、
泰輔も僕の意図を理解してくれたらしく、さらにもう1本、自分のモップも差し入れる。
それで強度が増したお陰もあったのか、さらに2回ほど何かが叩きつけられるのを耐えていると……衝撃は急にぴたりと止んだ。
たださっきのこともあるので、そこですぐ気を緩めず、なおも息を殺して様子を窺う。
数分か、それとも数十秒程度だったのか――とにかく緊張感の続く限りそうしているとやがて、扉の向こうの不規則な足音が、ゆっくりと遠ざかっていくのが聞こえた。
それが完全に聞こえなくなって、それでもさらにしばらく待ってから……。
僕らは誰からともなく、向こうがひとまず諦めたらしいと判断して、そのまま力無く座り込む。
……とにかく、心臓がどうにかなりそうだった。
今になってようやく、呼吸という行為そのものを思い出したように……僕らは酸素を求めて、激しく息をついた。