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12.こうすればよかった


 金色のカタツムリが、見えた。

 真っ赤な風景が、見えた。

 誰かが、言った。


 『ゆめからだよ。あれは』


 赤い色が、どんどん赤くなるのが、見えた。

 金色のカタツムリが、見えた。

 誰かが、いた。


 見た。見てしまった。

 何かを、見てしまった。


 ますます赤い。赤くなる。


 『うらっかわ。だめだよ』


 金色のカタツムリは、いない。


 見られる。

 誰かに、見られる――。




 ――見ら、れる……?


 そうだ、見られる……何かに、夢、原初の――



「――景司けいじ! 起きろ景司!! 手ェ貸してくれ、早くッ!!」

「ヒッ、やめ――! わ、アアアアァァーーーッ!!??」


「――っ!?」


 誰かの怒鳴る声と、それに続く絶叫が、唐突に激しく僕の頭を打ちつける。


 寝起きに朦朧とする間もなく――それこそ文字通り、視界に飛び込んでくる現実の光景。


 けれど、それが確かな現実だと認識出来て、そして目の当たりにしているのに――それでも僕は、すぐには何が起こっているのか理解出来なかった。



 床に倒れた康平こうへい

 その上に馬乗りになった古宮こみや


 そして、そんな古宮を康平から引き剥がそうと、必死にしがみつく祥治しょうじ泰輔たいすけの2人――。



 ……なに、これ。なにが、どうなって――。



「――え」


 ぶしっ、という音が聞こえた。

 目一杯振ってから開けた炭酸飲料みたいに、飛沫しぶきが噴き上がる。


 康平の頭の辺りから――赤い飛沫が、勢い良く。


 そして部屋に響き渡る、人が出すとは思えない恐ろしい悲鳴――そこに、場違いなまでに嬉しそうな、古宮の声が重なった。



「ヨ・かったァ……!

 よか・っタよ! こ・こうす・レばい・い・いイぃッっ!!」



 ようやく、僕は理解した。


 ――いや、違う。

 理解していながら、否定していただけなんだ。

 こんなことあるはずがない、あっちゃいけないって――。


 でも、現実は違った。

 今は、そんな甘えにしがみついてる場合じゃなかった――原因なんて何にも分かっていないのに、友達だから大丈夫なんてわけがなかった!



 古宮が――になったんだ!



 ソファを蹴り、急いで泰輔たちに加わって、僕も古宮を康平から引き剥がしにかかる。


 古宮の下で半狂乱になりながらもがく康平は、耳を片方無くしていて――それは、血にまみれた耳は、古宮の右手に握られていた。


「古宮! やめろ! 正気に戻れよ、古宮ッ!!」


 僕に続いて岩崎いわさきも加わり、古宮の腕を押さえつけようとする。


 だけど古宮はそれをまるで意に介さない恐ろしい力で、ちぎった耳を手放し――空いた右手を、康平に向かって再度振り下ろした。


「こ・こォおす・レば・いイいんだ! こう・す・れバぁァ!!」


 4人がかりでもまるで勢いを止められない古宮の右手は、僕らを引きずったまま康平の顔を鷲掴みにする。

 そして、その5本の指が、まるで熟し切った果実にそうするように、泣き叫ぶ康平の顔にぞぶりと沈み込んだ、その瞬間――


「てめえええぇぇッ!!」


 獣のような怒声を発したのは、ベルトに挿していたモンキーレンチを思い切り振りかざす泰輔だった。


 相手は同じ人間。しかも、同級生の友達……。


 そうした倫理観に縛られて、僕らの内の誰もがどうしても踏み込めなかった領域に、泰輔は踏み入ろうとしていた。

 康平を救うために、これまでの人生で培ってきた、良識と理性をかなぐり捨てて。


 その目に、明らかな殺意を宿して――彼はモンキーレンチを古宮の頭に叩き付けた。

 鈍い音がして、古宮の頭が大きく揺れる。血が飛び散る。


 だけどそれでも、古宮の凶行は止まらない。

 異常な動きの目に、形だけ嬉しそうな表情を浮かべて……嬉しそうに喋りながら、康平の顔に埋めた五指に力を込めていく。


 そして――。


 泰輔に続けざまに殴打されながらも、そのままぎゅっと拳を握り締めて……康平の目を抉り、鼻を削り、口を引き裂き……顔の半分を、握り潰してしまった。


 ただただ痙攣するばかりの康平は、もう悲鳴すら上げていない。

 それを理解した瞬間……。


 ――僕の中でも、何かが切れた。


「ヨ・かったァ! こレで・い・いいぃよ!

 こオし・テ・いぃ・ケばァあ!」


 自らも頭を血に染めながらそう叫ぶ古宮が、縋り付いていた僕らを振りほどき、今度は泰輔に飛びかかるのを尻目に……僕は休憩室を飛び出す。


 芳乃よしの美樹子みきこか、女子の誰かが呼び止めたような気がするけど、そんなものを気にしていられなかった。


 僕は、無我夢中だった。

 無我夢中で、休憩室向かいの道具置き場に飛び込むと、奥の棚に置いてあったものを無造作に引っ掴み、すぐさま休憩室に取って返した。


 そして――倒れた泰輔に、さっきと同じように馬乗りになろうとしている古宮に、思い切り体当たりをぶちかます。

 不意打ちの上、ちょうど体勢が不安定だったせいだろう――その一撃で古宮は床に転がった。

 そこへ、今度は僕が馬乗りになる。


 頭から滴る血にまみれた凄惨な顔で、それでも古宮の表情は嬉しそうだった。

 まるで変わらず嬉しそうに、言葉じゃない言葉を吐き出し続けていた。


「駄メ・だってェ……! こうシ・た方がい・いん駄・から!

 こう・シな・きゃ、いイ・いケな・いん・ダからァぁ!」


「そうだよ――こうしなきゃいけないんだ!!」


 古宮の痙攣する両目の間に、持ってきた小型電動ドリルの先端を押し当てると――僕はそこに全体重をかけながら、一気に引き金を引き絞った。


 ドリルの震動とともに、コンクリートを相手にしているような固い感触が手に伝わる。

 けれどもそれは、徐々に、徐々に――下へと沈み込んでいく。

 歯医者で虫歯を削られているときみたいな、甲高く耳障りな音を掻き鳴らして、僕の聴覚と……そして思考を麻痺させながら。


 ――古宮は、抵抗らしい抵抗はしなかった。

 眉間を貫き、頭蓋骨を貫通して根本まで埋まったドリルが、脳内を乱暴に掻き回すのを、嬉しそうな顔のままに受け入れる。

 生理的反射だろうか、身体は反応して激しく波打ち、のたうつけれど……それでも、その表情が変わることはなかった。


 やがて、目鼻に口、耳と、頭のあらゆる場所から、泡立った色濃い血が溢れ出すに至ってようやく――不気味な痙攣を続けていた両の瞳が、白目を剥いた状態で動きを止める。


 そうなっても、僕はしばらくドリルから手を離せなかった。

 憑かれたように引き金を引き続け、ひとしきり脳を掻き回し続けて……そしてやっと、ドリルから手を引き剥がすことが出来た。


 力を失った古宮の頭が横を向き、突き立ったままのドリルが床に落ちて立てた、ごとんという大きな音で……僕はようやく、我に返って。


「はーっ、はーっ、はーっ…………うえ、うええっ――!」


 モップで人の顔を突いたとか、そんな程度じゃない。


 今度こそ、僕は吐いた。

 なり振り構わず、こみ上げてくるものを這いつくばって吐き出した。


 ……僕の頭の中まで、一緒にドリルで掻き回されたようだった。



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