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6.さすがにもう


 金色のカタツムリは、何度も何度も訴えていた。

 僕に。見てはならない、と。


 ……なにを? なにを見てはいけないの?


 金色のカタツムリは、何度も何度も訴えていた。

 僕に。見られてはならない、と。


 ……なにに? なにに見られてはいけないの?


 彼女は応えて言った。

 それは真っ白のっぺりなピエロだ、と。

 とても小さくて見えないものだ、と。

 でも――見えるのだ、と。


 真っ赤な・・・・ペンキを手に、自分を白く白く・・・・塗りたくりながら、僕は思った。



 ……もう、遅いのに――。



 どろりとしたペンキの感触が、あまりに生々しく、途方もなく恐ろしくて――払い除けようと手を振ると。


 視界に映り込む光景は……どこかの部屋の天井に切り替わっていた。



「おい、大丈夫か景司けいじ!?」



 はっと身体を起こすと――ベッドの側にいたらしい祥治しょうじが、僕の顔を覗き込む。



 ……そうか、夢だったんだ……。


 そう気付いた途端――。

 夢の光景も、何に怯えていたのかも……まるで錯覚だったように、すっかりと分からなくなってしまう。


「そうだな、うん……名前、言えるか?

 俺は? お前は?」


 祥治の問うままに、僕は名前を答える。

 それに満足したのか、彼はふうとため息をつきながら、隣のベッドに腰を下ろした。


「どうやら、大丈夫らしいな」


「うん……ごめん、驚かせたみたいで」


 祥治を見る限り、どうも僕は、結構大げさに夢に反応していたみたいだった。


 少し気恥ずかしくなって、窓の方に視線を逸らす。

 ……射し込む太陽の光は、依然、夕日のような色だった。


 枕元のスマホを手に取ってみると、これも相変わらずで……現在は79時を指していた。


 先生に連れられて、このホテルに戻ってきたのが、確か28時頃だったと思うから……少なくとも表示時間の上では、実質、丸2日は経過していることになる。


 ふと、一応そのことを記録しておこうと思い立って。

 ベッド脇に置いたバッグから、メモ代わりにと持ってきていた小さめのノートを取り出し、ボールペンで日数を書き込んでいると……。


 祥治も同じようなことを考えていたのか、「もう、丸2日は過ごしたわけだな……」と呟いていた。



 ……この2日間、僕らは眠る際には一応、起きて見張りをする役を立てて、何かあったときのために備えていた。

 けれど幸いにも、僕らはもちろん、周囲で誰かが『あの状態』になったりするようなことはなくて……一応は、平穏無事とも言える時間を過ごせていた。


 もっとも、窓を開けていたりすると、どこからともなく小さく悲鳴が聞こえることは何度かあったから……あの状態に陥った人間そのものがいなくなった、というわけじゃないんだろうけど――。


泰輔たいすけの推測は間違ってたのかな……」


「だから言っただろう? それはただの偶然だって。

 眠ったらどうにかなるなんて、さすがにいくら何でも考えすぎだ、そんなの」


 言って、祥治は苦笑する。


 泰輔と僕の、眠っているときにあの状態になるのではないか――という考えについて、祥治は話したときから否定的だ。

 もっとも、動かない太陽や時計の異変についても、異常気象みたいなものとか、きっと何か科学的に明確な根拠があるはずだ――って主張するような彼のことだから、否定的な意見に回るだろうとは予想出来ていたけど。


「まあ、景司、今さっきのお前には、さすがに俺も驚いたけどな……。

 実際のところは、夢を見てただけなんだろう?」


「うん……まあね……。

 あ、そういえば泰輔は? いないみたいだけど」


 僕は部屋を見渡して尋ねる。

 ここは、僕、泰輔、祥治、康平こうへい――と、ちょうど幼なじみの4人が一緒になった部屋だったけど、今いるのは僕らだけのようだった。


芳乃よしのたちの様子を見に行ってる。

 こうやって少しでも休めた分、多少は落ち着いたようだから……大丈夫だとは思うけどな」


 それから祥治が、「ちょっと散歩に出ないか」と提案するので……僕も一緒に、ホテルの外の様子を見に行くことになった。



 ホテルの周囲、いわばミシカルワールドのお膝元の街並みは全体的に、訪れる観光客にとってメインである、パークのイメージに合うようにデザインされていて……。

 もちろん道は公道だし、居並ぶ商店もパーク直営ばかりというわけではないから、控えめなものではあるのだけど……それでも訪れる人間の気分を、否応なく高めてくれる明るい雰囲気がある。


 ――いや、あった、だろうか。


 地震の影響がパーク側よりもマシだったのか、ともかく僕らの泊まるホテルも含めて、完全に倒壊するような建物は少なかったようだけど……。

 それでもゼロというわけではないし、砕けて道路に散らばった店先のガラスや、落ちた看板や装飾物、そして至る箇所に走る亀裂を見ていると、元がいかにもな明るい雰囲気だった分、余計に何か寂しさのようなものを感じてしまう。

 見かける人も、そのほとんどが生気を感じさせず……まさしく、ゴーストタウンという形容がしっくりくるほどだ。


 もちろん、街の被害はそれだけじゃない。


 明らかに地震とは関係ない死体と、おぞましい血飛沫の彩りは、ここでも様々な場所に存在したし……。

 さらには聞くところによると、『あの状態』にはなっていないはずの人たちまでが、自暴自棄の果ての破壊だったり、あるいは混乱に乗じての略奪のために、商店とかを襲ったりすることが起きているらしい。

 僕らの後からホテルに戻ってきた同級生の中には、現にそうした人たちに襲われかけた子もいたみたいだ。


 そんなわけだから、僕と祥治も、散歩程度の外出だったけど、適当な道具で最低限の武装をしている。

 もう、このたった1日2日程度の間に、それが長年の習慣のようにすらなっていた。


 ……僕らは特に何かを話すでもなく、ホテルに沿った歩道を歩く。


 そんな中、車道を挟んだ向かいの歩道に、血の海に沈むように倒れている死体を見た祥治は……。

 眉間に皺を寄せて立ち止まり「まさかと思ったが」と、苦々しげに呟く。


 どういうことか僕が尋ねると、その表情のまま、祥治は答えた。


「さすがにもう、現実的な考えをするのにも限度があるのかと思ってな……。

 見ろ、あの死体。

 あれは俺たちがホテルに戻ってきた頃にはもうあったんだが……おかしくないか?」


 さすがにあまり近付いてまじまじと見たいものでもないので、ここから観察するだけだけど……おかしいと言えば常識的には充分におかしい死に方だという以外、僕には変わったところは見つけられなかった。

 むしろ、今僕らが置かれている状況の中では、ごくありふれた死に方だとすら思ってしまうぐらいだ。


「死に方とか……そういうんじゃないんだ。

 今、6月だろう? 真夏ってほどじゃないが、それでももう初夏だ。

 なのに――時計の表示からすれば、そう、丸2日間は外に放置されていたはずなのに、何も状態に変化が無いなんて……いくらなんでもおかしいだろう?」


 ……祥治の言う通りだった。

 死体は、ここから見るだけでも、まさについさっき命を落としたばかりのように、ある意味『きれい』だ。

 だけど確かに、常識的に考えるならそんなはずはない。

 腐敗とまでいかなくても、そうなる過程にあって当たり前のはずなんだ。


 僕は思わず、一向に動かない太陽の方へ目を向けていた。



 ……そう――。

 時間そのものが、固まってしまっているのでなければ。



「……映画やらドラマやらで、時々『時間が止まってしまえば』なんて台詞は聞くが――」


 小さなため息混じりに、祥治は足下の小さな瓦礫を蹴り飛ばすと……それを追いかけるように歩き出す。


「実際にそうなってみたら、こんな最悪の状況だ。いい皮肉だよ。

 ……で、結局そんな馬鹿げたこと願うような奴に限って、こんなとき、あっさりと生きるのを諦めてたりするんだろうな」


「まさか、祥治……?」


 自嘲気味にそんなことを言う祥治がふと心配になって、足を速めて隣に並ぶと……彼はいかにも心外だとばかりに、「バカにするなよ」と鼻を鳴らした。


「それこそまさかだ。

 確かにもう現実的な考えなんてまるで通用しないかも知れないが、だからといって諦めてたまるか。

 俺だって、まだやりたいこととか――」


 話しながら、何かを見つけたのか――ふと、立ち止まったかと思うと。

 祥治は急に、道路を挟んだ向かいの歩道の方へと走り出した。



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