「わっ……!?」
ホテルのロビーから飛び出してきた女子とぶつかりそうになった僕は――。
慌てて身を退いたせいで転びそうになって、
「――おい、ちょっと待てよお前! 一言ぐらいは――」
驚いて何も言えずにいた僕に代わって、祥治はそのまま走り去ろうとしていた女子を呼び止める。
けれど、その女子が言われるまま足を止めて、こちらを振り返った瞬間……祥治の表情からは険が取れ、代わりに困惑の色が浮かんだ。
「って、お前――
祥治が言うように、その女子は確かに富永さんだった。
ついこの間まで一緒に行動していたんだから、間違えようもない。疑問形にする必要なんてまるでないぐらいだ。
だけど、祥治がそんな言い方をした理由も分かる。
何だろう……何というか、雰囲気のようなものが――まるで違って感じられたんだ。
「白、い……? 白い……! そんな、なんで……!」
僕らを見ていながら、だけど僕らなんて眼中に無いように――富永さんは祥治の問いかけに答えるでもなく、何かに怯えた様子でそんな独り言を呟いていたかと思うと……。
まるで逃げるように、通りの方へと走り去っていってしまった。
「富永さん……どうしたんだろう。何かあったのかな……」
「さあな……分からん。
ただ、アイツ自身、今の状況じゃ誰も信用出来ない――みたいなことを言ってただろ。
俺たちといるときもよそよそしかったし……独自に別行動を取るつもりになったのかも知れないな。
……とにかく、今はアイツにまで気を配ってやる余裕なんてないんだ……行こう」
僕らは、富永さんの行動に首を傾げつつも……。
これ以上ここで立っていても何が出来るわけでもないので、改めて壊れた自動ドアをくぐり、ホテルのロビーに戻った。
このホテル自体が、ミシカルワールドの開設に合わせて建てられたものなので、元は新しくて綺麗だったロビーだけど……今は地震や混乱の影響で随分と荒れてしまっている。
従業員の人も、逃げ出したり亡くなったりでほとんどいなくなったらしくて、当然もう業務なんて成り立つような状態じゃない。
けれどもやっぱり、僕ら学生も含めた宿泊客の一部が残り、人としての生活をしているためだろう。
本当の意味での荒廃の気配はまだ遠く……寄り集まって話をしている一団もいたりして、どこかしら活気があった。
祥治と、これからどうするかを話しながら歩いていると……耳に、そうして会話をしている一団の声が飛び込んでくる。
どうやら、僕らの同級生みたいだ。
何となく、早くも懐かしささえ感じる……昼休みや放課後の教室が思い出される。
「……聞いた聞いた、あたしも聞いたよー。
この
「え、ホントに? そんなに色んな話があんの?」
「前にテレビのそういう番組でもやってたしな。
他に、オレが聞いただけでもさ――」
何とはなしに聞いてしまった、その同級生たちの会話によると……。
この鐘目島という場所は、もともと奇妙な現象が多い土地柄らしくて、それが都市伝説や昔話のような形で、数多く残っているそうだ。
土地の気候とはまるで合わないのに、珊瑚が繁殖していたときがあったとか……。
買ったばかりで合わせたはずの時計が、次の日にはもうずれていることがあるとか……。
森が一部だけ、たった1日で枯れたことがあったとか……。
逆にたった1日で、植えたばかりの種が花を咲かせていたことがあったとか……。
突然前触れもなく精神に異常を来す人間が集中して現れたとか……。
測量を行う度に、ありえないような結果が出る地域があるとか……。
ラジオが妙な電波を拾うことがあるとか……。
ここへ来ると妙に鮮明な夢ばかり見るようになるとか――。
少しの間の立ち聞きだけでも、不思議な話がこれでもかとばかりにいくつもいくつも飛び出してくる。
まあ……あまりに多く出てくることを考えると、多分みんな、修学旅行ということで、夜に怪談話とかで盛り上がろうと……話の真偽については二の次にして、とにかく数だけは仕入れていたってことなんだろう。
ただ、今の状況からすると、鵜呑みに出来るほどの信憑性は無いにしても、時間にまつわる話なんかは何か関係があるような気もしてしまう。
僕と同じように話が聞こえているはずの祥治はどう感じているのだろうとその顔を見てみると……。
彼のことだから素直に驚いたりはしないと分かってはいたけれど、だからといって馬鹿にするでもなく、何かを考えるような表情をしていた。
「……まあ、ついさっき、現実的に考えるだけじゃどうしようも無さそうだってこと、見せつけられたばっかりだしな」
改めて歩き出しながら、祥治は島の不思議な話について、そう切り出した。
「もちろん、さすがにさっき聞こえた話、全部が全部を信じるわけじゃないが……。
ただ、この島がどうなのかはともかく、世界を見れば確かに、地磁気が異常に乱れる場所とか、奇妙なことと繋がりの深い場所ってのはあるみたいだしな。
それに……この島の名前の『鐘目』というのは、本来『要』の字をあてていたらしいって話を聞いたことがある。
――どっちも事実だとすれば、なるほど、昔の人間は、この島が奇妙な現象にほど近い、この世界と別の世界の境界線のような場所だってことを、本能的に理解してたのかも知れないよな……」
独り言のように言ってから、あまり気にするなと苦笑混じりに手を振って否定すると……。
祥治は階段を上って3階に辿り着いたところで、いざ別行動を起こすときのためにと、荷物を整理しに僕らの部屋へと戻っていく。
一方僕はと言えば、この間に、
女子の部屋は4階に割り当てられているので、祥治の後ろ姿を見送った後、1人でさらに階段を上ろうと足を踏み出す。
そのとき……階上から、大人の話し声が断片的に聞こえてきた。
先生じゃない、聞き覚えのない男女のものだ。
僕ら同じ学校の学生以外にもこのホテルに留まっている宿泊客はいたので、きっとそうした人たちだろう――と、特に気にすることも無く階段を上がろうとしていた僕は……。
「……どうなっているんだ!」
その大きな怒鳴り声に、思わず足を止めた。
「
「そんなこと――私にだって分からないわ」
男性の言葉に出てきた鹿毛鳥山という地名に……僕は自分でも驚くぐらい過剰に反応していた。
知らない地名じゃないけれど、寒い季節になるとスキー客などで賑わう観光地――という程度の、ごく普通の知識しかない場所だ。行ったことも無い。
……無い? そう、無い――はずだ。
僕自身の記憶に一部欠落があるとしても、これまで誰からもそんな話は聞かされていないのだから。
けれど……何だろう。
妙な引っかかりを感じて――心がざわつく。不安になる……。
「大方は範疇に収まると言うから、俺は……!」
「どうもあなたは誤解しているようね。
そういうものじゃないの、裏側は……」
……2人の声が、急に聞き取りづらくなる。
勢いを失った……というよりは、声が大きくなっていることに気付いて、意図的に小さくしたような感じがした。
「そんな……あいつらは……科学的に、理解を……。
不可能?……馬鹿馬鹿しい……」
「……科学的? 理解? 現段階では、それこそ……」
妙な不安感のせいか、会話の内容が気になってしまって――。
僕は少しでも聞き取ろうと息を潜めて階段を上り、声のする方へ近付こうとした。
けれど……
「とにかく……引き続き俺は、連絡……」
「ええ。……こちらも、あの……ユリの……」
「え――!?」
突然、何の関係も無いと思っていた人たちの会話に、ユリの名が出たことに驚き――僕は思わず、大きな声を上げてしまっていた。