「おい、まさか、
「い、行き違いじゃないの?
あたしたちの部屋の方に来ようとして……」
そうだとすれば……持ち出し用にと、最低限必要な荷物を詰め込んだ小さなナップサックを、こうしてベッド脇に置きっぱなしにしているはずがないんだ――。
そして祥治のベッドを調べていた泰輔も、そこについさっきまで人が寝ていた形跡を見出して唇を噛んでいた。
祥治はきっと、自分の荷物をまとめ終えて、一休みするつもりで横になっていたんだろう。
だけど――。
脳裏を過ぎったのは、そんなはずがないと信じていた友達が、
「夢に、見られた……?」
ふと僕の口をついて、そんな言葉が外に出た。
ほとんど無意識のうちに。
だけどそのことを改めて考える暇もなく……部屋に、誰かが息せき切って慌てて飛び込んでくる。
――
「ああ、お前ら……! 大変だ、おかしくなる奴らが一度に出始めて……!
早く――早く逃げないと!」
見てきた状況をそうしてまくし立てる間に、彼は僕らの中の欠員に気付いたのだろう――声を落として、祥治のことを尋ねてくる。
それに、泰輔が頭を振って答えた。
「……祥治の話は後だ。
――岩崎も! 何か荷物あるなら速攻で持って来い、とにかくここから逃げるぞ!」
僕は頷いて、バッグの横に置いておいたナップサックに、テーブルの上に出しっぱなしにしていたメモ用のノートを詰め込むと、肩に掛ける。
何かあったときのためにと、早いうちに荷物をある程度分けておいたのは正解だったらしい。
泰輔は泰輔で、自分のナップサックを背負うと……この2日の間に彼が作っていた、2つの手製の槍のうち1つを、僕に投げて寄越す。
切り込みを入れた木製モップの柄に、ミシカルワールド地下通路の工具置き場から持ち出してきた金具や道具を使って、包丁の刃を頑丈に組み合わせたものだ。
一方、僕らが用意をする間に部屋を飛び出した岩崎も、予め準備はしていたんだろう、すぐに小さなバッグを手に戻ってきた。
「お、岡本が、今そこで、き、木村を……っ!
いや――と、とにかくそこまで来てる、急ごう!」
切羽詰まった岩崎に急き立てられるまま、僕らは部屋を出る。
岩崎の言った通り、廊下の向こう側からは同級生の岡本が近付いてきていた――ゆらゆらと不安定に身体を揺らし、はっきり聞き取れない怒声を喚き散らしながら。
その向こうの壁には、腐った果実を思い切り叩きつけたような、放射状に広がる赤い染みと、その下にずるずると前のめりに崩れ落ちる、制服姿の、頭の無い人影があった。
「くそ、こっちだ!」
――あちこちから聞こえる悲鳴やら泣き声は、広がる混乱そのままにどんどん大きくなる。
小さいホテルではないし、人の数そのものが減っているので、人波に呑まれるようなことは無いけれど……それでもあまりもたもたしていると身動きが取りにくくなるのは間違いないだろう。
特に、みんながみんな向かっている方向――ロビーへの階段を目指すとなるとなおさらだ。
運が悪いと、あの、パークのレストランのときのようになるかも知れない。
別の脱出路を探した方がいいんじゃないか――。
そう考えた僕の頭に閃いたのは、フロアの隅の方にある非常階段だった。
普段ならホテルの非常口案内なんてまるで気にしないけど、パークでの経験から、念のためにと確かめておいたのが役に立った。
「泰輔! 回り道になるけど、非常階段の方に行こう!
この調子じゃ、正面ロビーの方はどうなってるか分からない!」
「そういや、フロアの隅にあったな――よし、そっちだ!」
僕らは、直線的に出口を目指す人の流れから外れて、別方向へと走り出す。
薄汚れた廊下には新たな血糊と、悪夢がそのまま形になったような人影、そして今まさに繰り広げられている惨劇が、至る所に存在していた。
――言葉通りの、阿鼻叫喚が。
その中を、あの状態になった人間に見つからないよう、様子を見、方向を選びながら廊下を進む僕ら。
そのとき――。
「っ!?」
泰輔とともに先頭にいた僕のポケットの中で、スマホが突然震動を始めた。
思わず足を止めた僕に合わせて、みんなも何事かと立ち止まる。
取り出したスマホは、着信を告げていた――
その事実に、みんな、びくりと身を竦ませる。
「まさか、電話なんて出来るのか? あんなになっても……?」
僕の手の中で震え続けるスマホを前に、泰輔が喘ぐように呟いた。
「もしかしたら、大丈夫だったんじゃないかな……?」
ユリが、僕の顔を見上げながらそう告げる。
続けて、美樹子も声を上げた。
「そうだ、きっと無事なんだよ……!
ただ部屋を出てただけで、それで――!」
「そんなわけあるかよ……! ドアは開けっぱなし、荷物だってそのままだった!
何かから必死で逃げたんだとしても、俺たちがいた方へ来なかったのはおかしいじゃねえか……!」
電話に出たとき、向こうから響いてくるのは希望か、絶望か……。
どちらとも決めかねて、それでも、出ればすべてがはっきりすると決心して通話ボタンをタップしようとした瞬間――。
スマホの震動は、止まった。
安心したような、悔やまれるような……何とも言えない感情に包まれながら、スマホをポケットに戻す。
みんなも同じような感覚の中にいるのか、誰もが複雑そうな表情をしていたけど……後方、近い場所から聞こえた悲鳴に、一斉に現状を思い出して我に返ったようだった。
とにかく、このままここにいたら危険なことだけは間違いない――。
僕らは気を取り直して、すぐ先に迫った非常階段へと向かう。
隅の方へ向かって逃げるというのは、追い詰められる感じがして本能的に避けるものなのか――。
僕らが辿り着いたとき、非常階段の近くにはまるで人気がなかった。
ただ、僕らより前に誰かがここを使ったのは間違いないようで……外に迫り出した階段へ続くドアは、開いたままになっている。
ホテルの外壁に沿ってつづら折りになっている非常階段は、先の地震のせいだろう、ところどころ不安定な様子だったけど、使えないほどじゃなさそうだった。
僕らは間に女子を挟むような形で一列になって、階段を下りていく。
その先は、どうやら中庭の方へ出るようだった。
よく手入れはされているけれども、場所柄、厳格な庭園というわけじゃなく……マスコットやオブジェがほど良く飾り立てられた、まるで公園のような雰囲気のある中庭だ。
僕らの部屋からは窓越しに良く見えたので、案外馴染みがあるし、どちらへ行けば敷地外へ出られるかも何となく分かる。
もっとも、不確かな記憶に頼らなくても、非常階段が繋がっているんだし、近くに案内図ぐらいはあるだろうけど。
「……それで、ここを出てどこに行くの……?」
階段を下りながら美樹子が誰にともなく投げかけた質問に、芳乃が答える。
「モノレールの線路を辿って、本州との連絡橋の方へ行きましょ。
何がどうなってるのか分からないけど、とにかく、家には戻りたいじゃない。
――みんな、そうでしょ?」
芳乃の問いかけには、誰もが口々に肯定の言葉で答えた。
「徒歩じゃどれだけかかるか分からねえけど、来ない助けをじっと待っているよりはずっと建設的だしな――ん?」
階段を下り、そのすぐ側にあった、非常時の避難経路も含めた案内板に近寄った泰輔は――そこで屈んで、何かを拾い上げた。