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12.呼んでる


 泰輔たいすけが、案内板の側で拾いあげたのは……スマホだった。

 それも、見覚えのある――。



「これ、祥治しょうじのだぞ……。

 ほら景司けいじ、発信履歴にお前の名前が残ってる……!」



「――ねえ、ちょっと、こっち! 血の跡が……!」


 スマホから顔を上げて、芳乃よしのが示す方を見ると……。


 案内板の裏側辺りの草むらに大量の血が飛び散っていて……さらにそこから、ここからはよく様子が窺えない、背の高い草花が生い茂っている場所の方へと、何かを引きずったような血の跡が続いていた。


「まさか、祥治が襲われて……?」


「いや、祥治のスマホを拾った誰かかも――」


 僕らが推測を口にしていると――その血痕の向こうから、くぐもったような、舌足らずなような、聞き取りにくい声が響いてくる。

 それは、獣が無理矢理、人の声真似をしているような……でも何か、聞き覚えのあるような感じもする声で――。



「あ、あれ……! あれって呼んでる、呼んでるよ……!

 あたしたちの名前、呼んでる――ッ!」



 いきなり耳を塞いでうずくまりながら、美樹子みきこがそんなことを口走った。

 まさか、と思いながらも耳をよく澄ませてみると――それは確かに、僕らの名前のように聞こえてきた。


 いや、それだけじゃない……この声、この声は、まさか――!



「おい景司、これって……!」


 泰輔も気が付いたのだろう、真っ青な顔で僕を振り返る。


 そんな僕らの気配に気付いたのか――まるで疑問に応えるかのように、背の高い草花で影になっている茂みの向こうから、ぬっと、大きな人影が姿を現した。


 ひっ、と芳乃が息を呑む。

 美樹子は必死にうずくまって見ないようにしているけど、それが彼女にとって一番いいのは間違いない。


 僕だって、こんなの――見たくなかった……!



こうへい……」



 現れたのは――康平だった。

 あのとき、古宮こみやに殺されたと思っていた友達だった。



 だけど……再会の喜びなんて、微塵も無かった。

 あるのはただ、嫌悪と、そして――恐怖だけだ。


 僕らの名前らしきものを延々と口にするその声が、面影は残しつつも別物のようになっているのは――古宮によって顔の半分が潰されたせいなのか。

 それとも――残った片方の目、激しく痙攣する焦点の合わないその瞳が物語るように、人とは別のモノになってしまったからなのか……。


 康平は右手に、地震で崩れたどこかの建物から持ってきたのだろう、コンクリートの塊が付いたままになっている鉄の棒を持ち、そして左手で……。


 左手で、ぴくりとも動かない祥治を――祥治の身体を掴み、気怠げに引きずって、ゆっくりとこちらへと近付いてくる。


 恐らく、相当な重量がある右手の鉄の棒で、思い切り殴ったんだろう――祥治の頭は、熟れすぎた柘榴ざくろのように……ぱっくりと弾けていた。



「祥治の奴……きっと部屋から窓越しに、こいつを見つけたんだな……」



 泰輔の一言に、僕は無言でただ頷く。

 ……それなら、荷物の残されていたあの部屋の状況も納得がいく。


 死んだはずの康平の姿を見かけたとなったら、いくら普段冷静な祥治でも――いや、彼だからこそか、とにかく確認しようと駆けつけてしまうだろう……。


「そりゃ驚くよな、当たり前だ……!

 けど――けど、こんなときだからこそ、もうちょっと注意しろってんだよ、ちくしょう……ちくしょおぉッ!」


 泰輔は悔しそうに唇を噛む。

 その間にも――僕らの名前らしきものを繰り返しながら、康平は徐々に近付いてくる。


 あのとき、まだ少しでも息があったからこうして『あの状態』になったのか、それとも死んだ後でもなってしまうのか――どちらなのかは分からない。

 ただ、僕らの名を延々と呼び続けるその様子は……あるいは改めて彼を目にしたからわき上がる、助けられなかったという罪悪感のせいなのか――僕らへの悲しみと怨みが積もりに積もった、呪詛のようにすら感じられた。


「に、逃げないのかよ……?」


「そういうわけにもいかねえだろ、この状況じゃあよ……!」


 岩崎いわさきの問いに答えて、泰輔はちらりと女子たちの方を見る。


 意外に芯の強いところがあるユリはまだ大丈夫そうだけど、美樹子は耳を塞いでうずくまったままだし、芳乃にしても膝が笑っていて、まともに動ける状態じゃなかった。


 何とかするしかない――すぐ前まで迫ってきた康平を見上げてそう心に決めた矢先。

 康平は祥治を放り出して、いきなり僕に向かって鉄の棒を振り下ろしてきた!


「――っ!?」


 すんでのところで何とかかわしたものの、体勢を崩して地面に転がってしまう。

 よっぽどの力が込められていたんだろう、側にあった案内板を粉砕した上で地面にめり込んだ鉄の棒もまた、根本から折れてしまっていた。


「景司、銃だ! 使え、早くッ!!」


 ……そうだ、そんなものがあった……!

 あまりに慣れないものだけに、すっかり存在を忘れていた武器を指摘されて――僕は手製の槍を手放して起き上がりながら、慌てて拳銃を抜こうとする。


 けれど――それよりも早く、康平が僕にのしかかってきた。


 そして、自分がされたことの意趣返しだと言わんばかりに、その大きな手で僕の頭を鷲掴みにする……!

 みしみしと、頭蓋骨が軋む音のようなものが、直接脳内に響いて――!


 ……痛い……痛い、痛い痛い痛い――ッ!!


「た――たいすけっ、じゅう、しょうじの……っ!」


 祥治が持っているはずのもう1挺の銃を示して助けを求めようにも……悲鳴が優先されて、言葉が上手く続かない。


 僕を責めるためか、それとも――その痙攣する瞳が、僕を嘲笑うためか。

 半分潰された無残な康平の顔が、間近に迫る。


 頭が締め付けられるそのあまりの痛みに、今にもすべての感覚が消えてしまいそうな僕の――視界いっぱいに。



 ――そのとき。


 パァン、と――すぐ近くで、何だかひどく軽い破裂音がした。



 同時に、すぐ目の前にあった瞳の痙攣が、ぴたりと止まったかと思うと――じわりと滲み出た血が、涙のようにしたたり落ちてきて。

 力の抜けた康平の大きな身体は……僕の上から、横倒しに倒れ込んでいく。



 そうして、開けた視界には……。

 細い煙を立ち上らせる拳銃を手に、大きく肩で息をする泰輔が――いた。



「……大丈夫か、景司……?」


 声を震わせながらの泰輔の問いに、僕はただ、必死に呼吸をしつつ……何度も頷いて応える。

 今になって、全身からどっと冷たい汗が噴き出て――九死に一生を得るとはこのことだと思った。


 泰輔はどこか達観したような表情で、そうか、とだけ答えると……康平を見やる。


 至近距離から頭部を撃ち抜かれた康平は――もう、ただ僅かに身体を痙攣させただけだった。


 そして続けて彼は、地面に投げ出されていた、祥治へも視線を向ける。

 僕らが、もう少し上手く立ち回れていたら……救えたかも知れない、祥治へも。


 そんな、変わり果てた友人たちに、泰輔は――。

 誰にも聞こえないような小さな声で、別れと謝罪を告げていた。


 僕も、必死に息を整えながら……金色に紅い空を見上げながら。

 それに、倣った。



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