それも、見覚えのある――。
「これ、
ほら
「――ねえ、ちょっと、こっち! 血の跡が……!」
スマホから顔を上げて、
案内板の裏側辺りの草むらに大量の血が飛び散っていて……さらにそこから、ここからはよく様子が窺えない、背の高い草花が生い茂っている場所の方へと、何かを引きずったような血の跡が続いていた。
「まさか、祥治が襲われて……?」
「いや、祥治のスマホを拾った誰かかも――」
僕らが推測を口にしていると――その血痕の向こうから、くぐもったような、舌足らずなような、聞き取りにくい声が響いてくる。
それは、獣が無理矢理、人の声真似をしているような……でも何か、聞き覚えのあるような感じもする声で――。
「あ、あれ……! あれって呼んでる、呼んでるよ……!
あたしたちの名前、呼んでる――ッ!」
いきなり耳を塞いでうずくまりながら、
まさか、と思いながらも耳をよく澄ませてみると――それは確かに、僕らの名前のように聞こえてきた。
いや、それだけじゃない……この声、この声は、まさか――!
「おい景司、これって……!」
泰輔も気が付いたのだろう、真っ青な顔で僕を振り返る。
そんな僕らの気配に気付いたのか――まるで疑問に応えるかのように、背の高い草花で影になっている茂みの向こうから、ぬっと、大きな人影が姿を現した。
ひっ、と芳乃が息を呑む。
美樹子は必死にうずくまって見ないようにしているけど、それが彼女にとって一番いいのは間違いない。
僕だって、こんなの――見たくなかった……!
「
現れたのは――康平だった。
あのとき、
だけど……再会の喜びなんて、微塵も無かった。
あるのはただ、嫌悪と、そして――恐怖だけだ。
僕らの名前らしきものを延々と口にするその声が、面影は残しつつも別物のようになっているのは――古宮によって顔の半分が潰されたせいなのか。
それとも――残った片方の目、激しく痙攣する焦点の合わないその瞳が物語るように、人とは別のモノになってしまったからなのか……。
康平は右手に、地震で崩れたどこかの建物から持ってきたのだろう、コンクリートの塊が付いたままになっている鉄の棒を持ち、そして左手で……。
左手で、ぴくりとも動かない祥治を――祥治の身体を掴み、気怠げに引きずって、ゆっくりとこちらへと近付いてくる。
恐らく、相当な重量がある右手の鉄の棒で、思い切り殴ったんだろう――祥治の頭は、熟れすぎた
「祥治の奴……きっと部屋から窓越しに、こいつを見つけたんだな……」
泰輔の一言に、僕は無言でただ頷く。
……それなら、荷物の残されていたあの部屋の状況も納得がいく。
死んだはずの康平の姿を見かけたとなったら、いくら普段冷静な祥治でも――いや、彼だからこそか、とにかく確認しようと駆けつけてしまうだろう……。
「そりゃ驚くよな、当たり前だ……!
けど――けど、こんなときだからこそ、もうちょっと注意しろってんだよ、ちくしょう……ちくしょおぉッ!」
泰輔は悔しそうに唇を噛む。
その間にも――僕らの名前らしきものを繰り返しながら、康平は徐々に近付いてくる。
あのとき、まだ少しでも息があったからこうして『あの状態』になったのか、それとも死んだ後でもなってしまうのか――どちらなのかは分からない。
ただ、僕らの名を延々と呼び続けるその様子は……あるいは改めて彼を目にしたからわき上がる、助けられなかったという罪悪感のせいなのか――僕らへの悲しみと怨みが積もりに積もった、呪詛のようにすら感じられた。
「に、逃げないのかよ……?」
「そういうわけにもいかねえだろ、この状況じゃあよ……!」
意外に芯の強いところがあるユリはまだ大丈夫そうだけど、美樹子は耳を塞いでうずくまったままだし、芳乃にしても膝が笑っていて、まともに動ける状態じゃなかった。
何とかするしかない――すぐ前まで迫ってきた康平を見上げてそう心に決めた矢先。
康平は祥治を放り出して、いきなり僕に向かって鉄の棒を振り下ろしてきた!
「――っ!?」
すんでのところで何とかかわしたものの、体勢を崩して地面に転がってしまう。
よっぽどの力が込められていたんだろう、側にあった案内板を粉砕した上で地面にめり込んだ鉄の棒もまた、根本から折れてしまっていた。
「景司、銃だ! 使え、早くッ!!」
……そうだ、そんなものがあった……!
あまりに慣れないものだけに、すっかり存在を忘れていた武器を指摘されて――僕は手製の槍を手放して起き上がりながら、慌てて拳銃を抜こうとする。
けれど――それよりも早く、康平が僕にのしかかってきた。
そして、自分がされたことの意趣返しだと言わんばかりに、その大きな手で僕の頭を鷲掴みにする……!
みしみしと、頭蓋骨が軋む音のようなものが、直接脳内に響いて――!
……痛い……痛い、痛い痛い痛い――ッ!!
「た――たいすけっ、じゅう、しょうじの……っ!」
祥治が持っているはずのもう1挺の銃を示して助けを求めようにも……悲鳴が優先されて、言葉が上手く続かない。
僕を責めるためか、それとも――その痙攣する瞳が、僕を嘲笑うためか。
半分潰された無残な康平の顔が、間近に迫る。
頭が締め付けられるそのあまりの痛みに、今にもすべての感覚が消えてしまいそうな僕の――視界いっぱいに。
――そのとき。
パァン、と――すぐ近くで、何だかひどく軽い破裂音がした。
同時に、すぐ目の前にあった瞳の痙攣が、ぴたりと止まったかと思うと――じわりと滲み出た血が、涙のようにしたたり落ちてきて。
力の抜けた康平の大きな身体は……僕の上から、横倒しに倒れ込んでいく。
そうして、開けた視界には……。
細い煙を立ち上らせる拳銃を手に、大きく肩で息をする泰輔が――いた。
「……大丈夫か、景司……?」
声を震わせながらの泰輔の問いに、僕はただ、必死に呼吸をしつつ……何度も頷いて応える。
今になって、全身からどっと冷たい汗が噴き出て――九死に一生を得るとはこのことだと思った。
泰輔はどこか達観したような表情で、そうか、とだけ答えると……康平を見やる。
至近距離から頭部を撃ち抜かれた康平は――もう、ただ僅かに身体を痙攣させただけだった。
そして続けて彼は、地面に投げ出されていた、祥治へも視線を向ける。
僕らが、もう少し上手く立ち回れていたら……救えたかも知れない、祥治へも。
そんな、変わり果てた友人たちに、泰輔は――。
誰にも聞こえないような小さな声で、別れと謝罪を告げていた。
僕も、必死に息を整えながら……金色に紅い空を見上げながら。
それに、倣った。