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13.まだこれから


 徒歩でも、時間がかかってもいいから、家へと戻る――。



 何とかホテルを脱した僕たちが、その目標のためにと、本州への連絡橋に最も近い鐘森かなもり駅へと辿り着いた頃には……ホテルを出てから10時間近くが経過していた。


 もちろん、普通に歩けば、そこまでの時間はかからない距離だ。

 加えて、ミシカルワールドは鐘目島かなめじまの最も大きな観光スポットなのだから、道が整備されてないわけでもなく――。

 つまりこの10時間というのは、最大限に危険を避けて道を選び、慎重に行動した結果だった。


 ホテルで唐突に始まった混乱から逃れて街へ出てみれば……騒ぎになっているのは、そこに限ったことじゃないとすぐに分かった。

 僕らのいたホテルの他にも、人々が寄り集まっていた場所はいくつもあったのだろうけど――きっとそれらすべてで、同じような事態が起こったに違いない。


 『あの状態』になる人間が……一度に、大量に現れたんだ。


 それに伴って、どこもかしこも、この2日間ほどの静けさが嘘のような大きな混乱に見舞われていた。


 人が、人を襲い――人が、人から逃げる。


 何度も見てきたその構図の内側は……けれどいつしか、『あの状態』になっているかいないか、という単純な線引きだけでは表せなくなっていた。


 自分が逃げるために邪魔な他人を襲う人がいれば、いつ襲われるか分からないからと、周囲の人間を手当たり次第襲う人もいた。

 そうかと思えば、『あの状態』になった人間を、溜まった恐怖の捌け口にするように、集団で徹底的に打ちのめす人たちもいた。


 ……僕は今の状況を、これまで何度も地獄のようだと感じていた。

 でも、事ここに至って改めて悟ったことは――地獄の底なんて、まるで窺い知れるものじゃないということだった。


 これまでは、平穏だった日常との落差からそう感じていた程度で――本当の意味での地獄なんて、まだまだこれからだったのだ。


 ただ、だからって、今度こそ絶望に屈してすべてを諦めたかと言えば――そういうわけじゃない。

 まだ何とか、僕らは前を向いていられた。


 いや、もしかしたら、僕らは……適応し始めているだけなのかもしれない。

 どこまでも、そして何もかもが赤い、この世界に。



 ――そう。何せ生き延びるために、友達すら犠牲にしたんだ。

 地獄の中を生きる資格なら、充分過ぎるほどにあるはずだから……。




「……道路側から上ってくのは難しそうだ。

 駅の中抜けて、線路側から行く方がいいんじゃないかな」



 大通りに面した、元は見通しの良いオープンカフェのテラスだったところで、まとまって小休止を取っているところに……先の様子を見に行っていた岩崎いわさきが、戻ってくるなりそう報告してくれる。


 ――連絡橋の道路側は本州の高速道路と繋がっているので、島に至ったところでランプウェイを通って一般道に下りてくる形になる。

 つまり、それを逆に上っていけば橋の上に出られるわけだけど……。

 ここから目抜きの大通りを見るだけでも、地震によって異常を来した道路の上に、それこそ屍のように事故車が延々と転がっているのが分かる。

 岩崎の言うように、ランプウェイを上っても、この調子だと事故車が邪魔で、先へと進むのは骨が折れそうだった。


「あ、まあ、下から見ただけでも確かに、結構事故車もあったんだけど……それだけじゃなくて、そもそもランプウェイが地震のせいで通れなくなってんだ。

 ……ああいや、崩れてるってわけじゃなくて、近くのビルの倒壊に巻き込まれたような感じなんだけど」


 岩崎の説明に改めて周囲を見渡し、なるほどと納得する。


 確かに、この辺りは高いビルも結構あるけど、同時に、倒れたものも少なくないみたいだ。

 それらは、ミシカルワールドに関わる最新の都市開発による建築物ではなく、昔からあるもののようだから……耐震構造が弱かったりしたのかも知れない。


「だから、か……。

 だから、こっちの方に流れてきた人たちはみんな、あそこに入っていくわけね……」


 そんな風に言いつつ、芳乃よしのが目をやったのは――こうして駅へと近付けば嫌でも目に入るほどに大きな、駅と一体化したショッピングモールだ。


 ミシカルワールドとこの島を繋ぐものと違い、本州へと続くこちら側の連絡橋は海峡をまたぐ長大なものなので、車と電車が通るようにしか出来ておらず、歩道は存在しない。

 つまり、渡るなら車道か線路のどちらかを歩いていくしかなくなるわけで……そこで車道が使えないとなれば、残る選択肢は電車の駅から線路に出る、というものだけになる。

 そうすると結果として……連絡橋へ上るには、どうしてもあの、駅ビルも兼ねたモールの中を通っていく必要があった。


「……大丈夫かな……」


 美樹子みきこがぽつりと不安をもらす。


 恐らくその不安は、地震による建物の崩落の危険性に、『あの状態』になった人間の存在、そして半ば暴徒化した普通の人間との遭遇まで……色んな意味を含んでいるんだろう。

 しかも屋内という場所は、そのどれからも逃げにくく、追い詰められて最悪の事態になる可能性も高い。心配するのもよく分かる。


 けれど……少なくとも今のところ僕らにとって、家へ帰る方法で一番真っ当なものはこれなんだ。

 ここで躊躇って、足踏みするわけにもいかなかった。



 結局、危険性は承知しつつも、誰が反対するわけでもなかったから――。

 小休止を終えた僕らは、モール前の広場を真っ直ぐに横切ると……砕けたガラスが散乱する、二重になった自動ドアの跡をくぐって、駅ビルの中へと入り込む。


 これだけ大きく広いと入り口はいくつもあるんだろうけど……僕らが入った場所は、左右に翼を広げるような格好に建造物が連なっている中で、ちょうど中央棟とでも言うべき建物だった。


 窓や壁の隙間から射し込む赤い光と、まだ生きている照明によって照らし出されているのは、3階層分ほどの吹き抜けになった、広いロビーのような空間だ。

 荒れ放題の現状からは想像するのが難しいけど、入り口近くの案内図によれば、様々なイベントまで催されていたスペースらしい。


 その場で視線を動かして周囲を窺ってみれば、生気を失い亡者のようになった人間や、店舗の跡に踏み入って何かを物色しているような人間が、ちらほらと見かけられる。

 そしてそれらが、僕らも含めて互いに、よほど親しい相手でなければ、襲われる危険性を考慮して接触を持とうとしていないのは、これまで見かけた他の人々と同じだ。


 一方、『あの状態』の人間はと言うと――幸い、ひとまず目に付くところにはいなかった。

 もっとも、こんな場所だ――本人にそうする気が無くても、姿が隠れるところなんていくらでもあるのだから……油断は出来ない。


 けれど、それよりまず問題として感じられたのは、地震の影響の方だった。


「崩れてきそうなところもあるね……」


 きょろきょろと視線を動かしながらのユリの言葉に、僕は相槌を打つ。

 吹き抜けから見える範囲だけでも、落下して床に突き立っている渡り廊下の残骸や、天井が崩れて埋まってしまっている通路などがあり、思っていた以上に被害が大きい。


「吹き抜け近くを上っていって、真っ直ぐ駅の方を目指すのが一番手っ取り早いんだろうが……。

 吹き抜け周りって、結構崩れてるトコ目に付くし、どうも構造的にヤバそうだよな。

 大丈夫そうな通路を選んで、回り込んでいくか」


 いざというときのためだろう、モールの案内図をスマホのカメラで撮影していた泰輔たいすけが、作業を終えてそう提案してくるのに……僕らは素直に頷いて同意した。



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