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6.記憶が


「やっと、おさまった……」


「……ったく、鉄棒越しでも、殴りすぎてさすがに手が痛えや。

 返り血で汚れたし、さっさと顔でも洗って休憩したいよ」


「俺だってそうだ……でも、先に死体片付けようぜ。

 せめて一ヶ所にまとめておかないと、いちいち目について気分悪いからな」



 ……何とか、この場の、不快極まる『声』を発する『あの状態』の人間を全滅させた僕らは。

 すぐにでも休みたいぐらいに疲弊していたけど、泰輔たいすけの意見を受け、重い身体に鞭打って――。

 入り口前で倒れていたものも含めた10を超える人間の死体を、階層ごとに隅の方へ運び、長机や椅子を使った衝立で隔離する。


 そうして……死体の片付けが終わってから、改めてスマホで時間を確認してみれば。

 この図書館に足を踏み入れた頃から逆算して、たっぷり4時間以上が経過していた。


 その後、それぞれが洗面所へ行って顔と手、そして武器を洗うと……。

 閲覧用の机が並んでいる最下層の一角で、思わず眠ってしまったとき、誰かの目が届くように――みんなで大きく輪になって椅子に座り込み、思い思いに休憩する。


 ――誰もがぐったりしていて、すぐに次の行動に移ろうだなんて、考えもしないという風だった。


「しかし、この調子じゃ、新しい武器を作るか調達するかしないと保たねえな……。

 弾丸がそうそう手に入るわけじゃないから、銃にはあんまり頼ってられないし……」


「あ〜、オレもだ。さすがにあの鉄棒、そろそろヤバそう」


「身を守るために武器のことも大事だけど……みんな忘れてないわよね?

 まずはこの島を出るための手段を探るのが第一だって」


「分かってるよ、当たり前だろ。次は郷土資料館の方だな。

 けど……先に市庁舎ビルの方見て、休むのに使えそうなところ確保しておいた方が良くないか?」


 そんな、みんなの話を聞きながら……椅子に深く背中を預けて気分を落ち着けていた僕は。

 すぐ足下に、新聞の過去版がまとめられたものが落ちているのに気が付いた。


 何気なくそれを拾いあげ、開いてみて……。

 そして、まるで吸い寄せられるように目が留まった1つの記事に――僕は、息が止まるかと思うほどの衝撃を受けた。



 そこには……僕の名前があったのだ。



 いや、僕だけじゃない――。

 新聞から上げた視線を動かすと、ちょうどこちらを向いた、深く青い瞳と目が合う。


 ――そう。

 唐津からつ ユリ……彼女の名も、一緒に並んでいた。


 記事は、鹿毛鳥山かげとりやまにあるスキー場とその近辺が、雪崩に巻き込まれた事を報じるものだった。

 そして、雪崩によって連絡が途絶したホテルの宿泊客――その名簿の中に、あったのだ……僕らの名が。


「――――っ!?」


 ――目眩がした。

 それは一気に酷くなって、頭の中で、白と赤が激しく明滅する。


 視界と記憶を染めるそれら白と赤の閃光――その狭間に、何か別の光景が垣間見えた。



 白――壁の白。雪の白。そして、人の肌の白……。

 赤――床の赤。日の赤。そして、人の血の赤……。



 目まぐるしく移り変わるはっきりとしない光景が、いくつもいくつも……記憶を掻き回し、白と赤の光の中に、浮かんでは消えていく。

 目が回り、息苦しくて、姿勢を保っていられなくて……僕は過去版を放り出して、椅子の肘掛けに顔を伏せた。


 目を塞いでも、白と赤の光と記憶を掻き回す光景は、しばらくまぶたの裏でぐるぐると回り続けていたけれど……。

 やがて、酷い疲労感だけを残して……ふっと消えてしまう。


 結局、記憶に触れるものは……何一つ、はっきりと掴み取ることは出来なかった。


 でも、新聞の記事は――確かに、あったんだ。


 つまり、その鹿毛鳥山の雪崩が……僕がこうして記憶に悩まされるようになったきっかけの、一度死にかけて、忘れてしまった事故だってことなのか……?

 誰もが僕のことを気遣って詳しくは教えてくれなかった、下手に触れるべきじゃないとたしなめられ、そして僕も知ろうとしなかった事故なのか……?


 じゃあ、なんで……同じように巻き込まれた人間の中に、ユリの名がある?

 ユリも、僕と一緒に事故に遭ってたのか……?



 ちくりと――奇妙な違和感が胸を刺した。

 それはとても小さいけど、拭えなくて――



「おい――おい景司けいじ、お前……大丈夫か?」


 ふと顔を上げると、目の前には泰輔がいた。かがみ込んで、肘掛けにもたれかかったままの僕を心配そうに覗き込んでいる。


「すげえ具合悪そうだぞ……どうかしたのか?」


「泰輔……。

 ごめん、大丈夫。何て言うか、記憶が……ちょっと」


「……記憶が?」


「ねえ、泰輔……僕が遭った事故って、鹿毛鳥山の雪崩のこと?

 ユリも……一緒にいた?」


 泰輔の表情が険しくなった。何かを窺うように、じっと僕の目を見る。

 そして……おもむろに口を開いた。


「……そうだ。

 ユリとお前は、家族ぐるみで一緒に、鹿毛鳥山へ旅行に行った。

 そしてそこで、雪崩に巻き込まれたんだ。

 ……それで、他には? 何か思い出したのか?」


 僕は首を横に振る。

 すると泰輔は、大きく息を吐き……僕を労るように軽く肩を叩いた。


「そっか。なら、もうそれ以上無理に思い出そうとするな、事故の話もするな。負担になるだけだ。

 今、お前に倒れられても困るしな……。

 俺だけじゃない、他のみんなも、それにユリ本人だって――きっと、そう言う」


 泰輔のその言葉に、僕は素直に頷いた。


 確かに、こんなときに無理をするべきじゃないだろうし……ユリに余計な心配をかけたくもなかったから。




 ――それから後の数時間は、僕の体調が思わしくなく、また、みんなも疲れているということで……まず先にこの市庁舎内に休憩場所を確保し、休養を取るのに費やされた。


 そのために、一度市庁舎の本館の方へ戻り、職員用の休憩室があるフロアと、その周囲に危険が無いかを調べたのだけど……。

 あれだけ『あの状態』の人間が密集していた図書館に比べて、こちらは拍子抜けするほどに人気ひとけが無く、休憩室周辺の安全を確認するのに、思ったほど時間はかからなかった。


 簡素なソファやテーブル、大画面のテレビに、申し訳程度の観葉植物が置かれたこじんまりとした休憩室――。

 そこで、みんなに促されるまま率先して休んだ僕は、だいぶ元気を取り戻せたと実感出来たこともあって……また1人で見回りに出ているらしい泰輔に、交代で休んでもらおうと、彼を捜しに部屋を出た。


 役所としての窓口などがあるおなじみのフロアはもっと下層なので、ここはもっと別の仕事のためのフロアなんだろう……。

 一見普通の会社のオフィスのような雰囲気の、事務机が並ぶ部屋が続いている。


 ――そのうちの1つに、泰輔はいた。

 赤く焼けた日光が、真っ正面から射し込む窓の前に立って……何かをしているようだった。



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