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7.夢だとしても


「……泰輔たいすけ?」


「ん……おう、景司けいじか。

 その様子じゃ、だいぶマシになったみたいだな」


 真っ正面から赤い陽光が射し込む窓の前――。

 何かをしていたらしい泰輔は、僕の呼びかけに答えて、こちらを振り向く。


 この部屋で見つけたものなのか、彼は大きめのサングラスをかけていた。


「サングラス? そんなのかけて何してたの?」


「いやあ、ちょっとな。

 あの鬱陶しい太陽が、実際どのぐらいの位置にあるのか……印でも付けといてやろうとか思ってさ」


 泰輔は身体をずらし、手に持っていた、これもまたどこかから失敬してきたものらしい黒い油性ペンで、背後の窓をこつこつと叩いて示す。

 太陽の光のせいで眩しくて分かり難いけど……どうやら、窓ガラスに直接、黒いペンで線が書き込んであるみたいだった。


「ああ悪ぃ、サングラス無いと眩しくて見えづらいよな。

 ……まあ、特別なことをしたわけじゃない。ただ単に、太陽の輪郭をペンでなぞってやっただけだ。

 でも、こうしておけばさ……万が一にも、あの太陽が少しでも昇るか沈むかしてくれたら――すぐにそれと分かるだろ?」


「ああ、なるほど……そうだね」


 泰輔の言いたいことはすぐに分かった。

 細かい観察とか計測とかの意味では、こんな適当な方法は論外だろうけど――重要なのはそんなことじゃない。


 太陽が、どちらにどれだけ動くか、という正確な量なんてどうでもよくて……。

 ただ、太陽が動くかどうかっていう、ただそれだけが僕らにとって何より大事なことだから、この方法で充分なんだ。


 あの太陽が動いてくれれば……それは、僅かでも、ゆっくりでも――時間が動いてるってことになる。

 つまり、僕らの置かれているこの状況が、決して永遠じゃないって証明になるんだ。


 ――それは、僕らが希望を持ち続ける上で、とても大きなことに違いない。


「ま、そんなすぐに結果が出るとも思えないし……実際ムダかも知れないわけだから、気休めみたいなもんだけど。

 でも、何もしないよりはマシかと思ってさ」


 泰輔はペンを近くの机の上に放り出すと、サングラスを外して、その横に置く。

 こうして休憩中に手が空いた者が、誰でもここへ来て確認出来るように――ってことだろう。


「……それで、わざわざ俺を捜しに来てどうしたんだ?」


「ああ、うん。

 今度は僕が交代して見回りとかするから、泰輔にも休んでもらおうと思って」


 僕が提案すると、泰輔はしばらく考えてから……首を横に振った。


「……いや、俺はまだ後でいいや。

 お前も調子取り戻したんなら、先に郷土資料館の方を調べに行こう。その後で、改めてのんびりさせてもらうわ。

 ……何て言うかな、やろうとしてることが中途半端なままだと、色々気になって却って休みにくそうでさ」


 ……そういえば、泰輔にはそういうところがあるんだった。

 マイペースで、なかなか腰を上げないけど、一度何かをやり始めると、今度は一転してなかなか途中で止めようとしない――そんなところが。


 だから、下手に無理強いしてもあまり効果は無いと思って、僕は彼の希望通りにすることにした。


 そうして2人で、一度みんなのところへ戻ろう――という段になってから。

 泰輔は急に……目を細めて、僕に1つの質問をぶつけてきた。


「なあ、ところで1つ聞いておきたいんだけどさ。

 景司、お前この状況になってから……夢を見たこと、あるんじゃないか? 本当は」


「え……」


 どきりとした。


 思わず、足を止めてしまい――そして、改めて言い繕おうにも、それら一連の動作が、既に答えを言ったも同じだということに気が付く。


 どれだけ辛辣な言葉を投げつけられるだろう。

 いや、もしかしたら、言葉だけでは済まないんじゃ……。

 そんな不安に、僕は思わず唾を呑む。


 けれど、泰輔は……まるで逆に、そんな緊張感を察し、そして和らげようとするように「違う違う」と、微苦笑混じりに手を振った。


「まあ、そうやって警戒するのも分かるけどな……。

 別に、少なくとも俺は、そんなお前を責めようとか、あまつさえ危険とみなして問答無用に殺してしまおうとか――そんなことを考えてるわけじゃないさ。

 ただ……図書館にいた連中のこともあるだろ?

 あいつらの様子からすると、病気とかで人間が内側から変わった――ってよりも、やっぱり、何か外的な要因によるんじゃないかって思うんだ。

 だから、夢を見て、その上でこうして正常でいるんなら、お前も何か……手掛かりになるようなものでも見たことがあるんじゃないか、って思ってさ」


 泰輔のその態度に、僕は……。

 まず何よりも、夢を見ていたという秘密を暴露することによる、今まで何度も考えていた最悪の事態をひとまず免れたことに、安堵の息をもらさずにはいられなかった。

 そうしてその上で、落ち着いて泰輔の問いに対する答えを探す。


「それは……つまり、富永とみながさんが言ってたような、『小さい何か』のこと?」


「そうだな……そんな感じの。

 俺が見たわけじゃないんだから、何とも言えないけどな」


 僕が見て、そして覚えているのは彼女――金色のカタツムリが出てくる夢だ。

 そして彼女が、『小さいピエロ』というものについて、注意を促していたとは思うけれど……細部まで完全に思い出せるわけじゃないし、実際にそれが何なのかは分からない。


 ただ、小さいと言えば……小さな男の子がいたのも間違いない。

 それも、こうして改めて考えれば、夢とは別の記憶で、確かな見覚えがあるような……そして、なぜか恐ろしさを感じる子供が。


「……小さな男の子――は、見かけたよ。

 普通の子で、見覚えがある気がするのに……何だか恐ろしいと感じた。

 でも、それ以外に『小さい何か』に当てはまるようなものとなると……小さいピエロって言葉が出てきたような気がするぐらいで……」


「そっか――。

 まあ、富永もそうだったけど、どうもそいつを見ちまうとまともじゃいられなくなるみたいだもんな。

 こうしてまともでいるお前に聞いても、仕方なかったかな……」


「ごめん、役に立たなくて……」


 僕が謝ると、泰輔は気にするなと手を振る。

 そうして「夢見と言えば……」と呟きながら、もう一度太陽の方を振り返った。


「予知夢とか、白昼夢とか、夢にも色々あるけどさ……俺も、ガキの頃にすごいリアルな夢を見たことがあるんだ。

 目が覚めたとき、当たり前のように視界に入る自分の部屋の天井が、そのときばかりはまるで信用出来ないって言うか、むしろ、間違ってる――とか感じたぐらいに、リアルなやつをさ」


 太陽を見たまま言葉を続ける泰輔の背に向かって相槌を打ち、僕は先を促す。


「そんなことを思い出すと、今さらって感じだけど……この状況ってのはさ。

 俺たちのうちの誰かが、もしくは全員が、あるいはまるで関係のない誰かが――とにかく『何か』が見ている夢なんじゃないか……とか、ふと考えちまうんだ。

 夢か現実か、一瞬でも錯覚するようなこともあるんなら、今の状況みたいなこともありえるんじゃないか、ってさ。

 それに正直……夢だってことにしちまえば、この異様な状況のすべてが『夢だから』の一言で片付くしな」


「そうだね……。でも、例えこれが誰かが、あるいは『何か』が見ている夢だとしても――真っ直中にいる僕らにとっては、やっぱり現実なんじゃないかな」


 僕が思うままにそう答えると、振り返った泰輔は口元だけで笑った。


「まったくだ。言ってみれば俺たちが確かに現実だと信じてる現実だって、もっと大きな存在が見てる夢なのかも知れないわけだし。

 ――なんて、つまらない話しちまったな。そろそろ行くか」


「うん――あ、ちょっと待って泰輔!

 その前に、頼みがあるんだけど……」


 泰輔を呼び止めると、僕は、僕の夢見の話は出来れば他のみんなには今まで通り伏せておいて欲しいと頼んだ。

 正直なところ、泰輔はこうして柔軟に対応してくれたけれど……他の誰もが同じとは限らないからだ。


 ……結果として、泰輔はそれを快諾してくれた。

 僕の心配は、彼としても危惧するところだったらしくて――初めから、誰にも余計なことを言う気は無かったみたいだった。



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