さすがに専門的なものを自由に扱えるほどPCに詳しいわけじゃないし、何を調べればいいかもはっきりとしないのだから……僕は取り敢えず、前に使っていた人間の使用履歴に従って、資料を開いてみる。
最初に表示されたのは……何かの指示書きのようなものだった。
〈――対象の生命保護は重要だが、観察による情報収集が第一である。
対象の周囲環境への影響を考慮し、非常時以外の接触は厳禁とする〉
〈また、緊急時に限り、必要と判断した情報を開示することは認めるが、レベルⅣ以上についてはその限りではなく、絶対秘匿事項とする。
尚、この件については、レベルⅡまでの情報しか持ち合わせていない通常監視員に対しても適用される〉
〈追加で
ひとまず、指示書きの中で意味が分かるもの、読めるものはそれぐらいだった。
そこからさらに、リンクしてある追加の特別監視員とやらをクリックしてみると――表示されたのは、見知った顔と名前だった。
「エマ・ゴールドフィンチ……!」
まさか、と思った。
でも、それは間違いなく――ホテルで、そして市庁舎前で話をした……あのエマさんだった。
……じゃあ……あれは、やっぱり……夢じゃないのか……?
でも、それならたとえばユリはどうなるんだ?
ユリはずっと僕の側にいた――でもさっき思い出したじゃないか、彼女はずっと前に外国に行ったってこと……!
具体的に何に、というわけじゃなく――でも答えを明らかにしてくれる何かに縋る気持ちで、僕はタイトルをよく見ることもなく、次の資料を開く。
……そうしてから、気付いた。
それはレポートというよりも、日記のような体裁のもので……。
そのタイトルや本文中に出てくるのが、『
〈……鹿毛鳥山で発生した異変は、雪崩によるものとして処理されることが決定した。
事実、救助活動開始直前に再度起こった大雪崩が、当該区域のほぼすべてを覆ってくれたこともあり、死体の扱いさえ間違えなければ、世間を納得させることは決して難しくはないと思われる〉
〈……大雪崩の影響もあり、事後調査は難航したが、それでも時間と空間に異常が発生していたことの証拠となるであろう品が幾つか発見された。
当研究所他関連施設に収容されている、過去の被災者の発言統計から類推されていた通り、やはりここでも夕方に近い状態で、太陽が動きを止めていたようである〉
〈……一番の収穫は、極めて特殊な状態にある生存者が確保出来たことだろう。
一級観察対象であった
今後、裏側についての研究を円滑に進めるためにも、当所に隔離して経過観察すべきだと考える〉
「これ、は……」
――また、目眩がした。
はっきりとした光景が、記憶の中に何度も閃く――。
太陽に赤く彩られたホテルの廊下、赤いカーペット、そして――所構わず咲き誇る、赤黒い血の花……。
そこに、女の子の声……そう、幼いユリの声も混じり合って。
ずっと頭の中にわだかまっていた、あの白く塗り固められた場所から削り出されたそれらは――ようやく、記憶として確立されていく。
ただ……それでもまだ、断片的なものでしかない。
分かるのは、肝心なところが白いままだということ。
そこは他よりもずっと厚く、堅く、厳重に塗り固められている――ということだけだ。
「他には、何か……」
――さらに続く閲覧履歴は、同じ人物による、随分と先の日付の日記を残している。
取り憑かれたように、食い入るように、僕もまたその足跡を追う。
〈……本日付けをもって、特級観察対象を社会復帰させることが決定された。
隔離状態での研究・観察が概ね終了し、さらに、潜伏か沈静かは判然としないが、ともかく対象の各種計測値が通常レベルにまで下がり、ほとんどの面において常人と何ら変わりなくなったことも考慮すると、妥当な選択だと思われる。
今後は日常生活において、どのような影響を受け、また与えるかが、観察の中心となるだろう〉
〈……異変時、及び当所で行われた研究に関する記憶については、事故によるものとして、一切を封印処置することになった。
さらに事後処理として、心理療法に長けた者が記憶の誘導を行うことも決定している。これで問題はないだろう〉
〈……唐津 ユリの件については、対象の記憶に与える影響が著しく大きいと推測されるので、両親を失った後、ロシアの親戚の下へ引き取られたという世間一般に認知されている偽装を、周囲の環境も含めて、より徹底させるという案に落ち着いた。
妥当なところだろう――被害者本人の精神保護のためという理由を出せば、当人も、周囲も、敢えてそれを掘り起こすような真似はしないはずだ〉
――さらに閲覧履歴を追う。
やはり同人物による……今度は、鐘目島大災害からすぐの日付の日記が開く。
〈――概ね、期待通りの結果となったようだ。
ただ、救助活動の際、最優先とされた特級観察対象の確保について、かなり難しい状態にあるという報告があった。どうやら、頭部に銃弾を受けて危篤状態にあるらしい。
今回の異変によって、他に同等の存在が確保出来るなら話は別だが、その望みはまず無いという報告も来ている。治療に全力を尽くすしかないようだ〉
〈特級と共に確保された生存者の少年については、特級ではないものの精神的に正常なままという稀有な状態にあるため、新たな研究対象としてこちらに送られてくることが決まった。
今後の詳しい処遇については未定だが、世間に対して死亡扱いにし、隔離することは容易なはずであるし、若いので、長い時間を必要とするものも含めて、あらゆる実験に使うだけの猶予が充分にあり、非常に有用だと思われる〉
〈……特級については、最悪、あの実験を行うために脳だけでも回収出来れば、と考えていたが……。
先程もたらされた報告によると、緊急手術の結果、何とか一命を取り留めたようだ。
意識が戻る望みは薄いともあるが、奇跡的に脳に損傷らしい損傷も無かった幸運を鑑みれば、些末事に過ぎない。
尚、致命傷に至らなかったことが裏側に関係があるかは、現時点では判断しきれない。
今後の研究によって明らかにするしかないだろう〉
……鹿毛鳥山の事故……。記憶の封印処置……。
それに、頭部に銃弾を受けた……?
じゃあ、まさか、この特級観察対象っていうのは……。
どうしてか見覚えのあった、あの拘束されて芋虫のようにのたうつ子供は――!
「くそっ……!」
……導かれるのは、たった1つの可能性。
でも、それを認めたくなくて……僕は頭を振りながら、別の可能性を求めて必死にマウスを動かす。
――次の履歴は、『人為的強制回想実験について(抜粋)』と題された、レポートらしいものだった。
〈……記憶とは、様々な区分ごとに、一貫性はつけ難いまさしく千差万別な関連性を与えられ、その上で繋がり、整理されている。
そのため、本来記憶の整理を主とする夢は、過去のものでありながらその中での時系列には則っておらず、また脈絡も無い。
しかし逆に言えば、その整理の際に使われる『関連性』を一本化し、外部より信号として与えてやることにより、夢を、完璧とはいかないまでも、限りなく時系列に近い形での過去の記憶として再生出来るはずである〉
〈……これにより、そのほとんどが精神崩壊に追いやられ、まともな会話も成り立たない当事者が知るのみだった『裏側が侵食した空間』を、他者も閲覧可能なよう映像化し、記録とすることが可能となる。
中でも、特殊な状態にある特級観察対象ならば、その記録の中に、新たな研究の示唆を見出せることは間違いない〉
〈……実験は開始された。
特級観察対象の記憶再生は順調であり、実験が成功裡に終わることは最早疑いない〉
手が、止まった。視線も、そこで釘付けになる。
――つまり。
これらの資料が正しいのなら、つまり――
「あれは、現実で……。
同時に、現実を再現した夢でもある、って言うのか……?」
そんなことが出来るのなら。そんなことがありえるのなら。
じゃあ、そもそも夢と現実の区別なんて、どこにあるんだ……?