麗華さんに連れられ歪みの中を通ると、そこには血なまぐさいものが漂っていた。所々に傷があり、とても直視しがたい空間。
床はマットが敷いてあって、麗華さんに土足でいいのか聞くと、問題ないとの回答が来た。僕は人けを感じ、周囲を見回す。
だけど、人の姿はない。少し進んで居間らしき場所に着くと、そこには怜音と星咲先輩の姿。
麗華さんによると、彼らも魔生物討伐部隊・第一部隊のメンバーとのことだった。
「す、すごいですね……。僕がこんなところ入って良かったのかな?」
「そう言わずに自信をお持ちください。ここに在籍できるのは、この日本でほんのひと握りしかいないのです」
「そ。それは知ってますけど……」
最上位クラスよりも僕が部外者な気がして、思考が停止する。ここを乗り切ろうと蓮を呼ぶが、反応がない。
「そんなひと握りしかいない。それも、防衛部隊の最高位である第一部隊に来たのですから。少しは喜びなさい」
「え?」
「それに、知らない前提でお話致しますが……。貴方を推薦した人は、この部隊で一番強い人です」
「一番強い人――」
星咲先輩はたしかに学校で頂点に立つ人。そんな先輩はこの第一部隊でも最強。麗華さんは自分の右頬を擦りながらこちらを見つめる。
「貴方。星咲副隊長に圧勝したとお聞きしましたが……」
「は、はい……! だけど、実際に倒したのは僕じゃなくて……」
「貴方ではない? 星咲副隊長から見せられた動画には、たしかに貴方の姿が――」
どうやら星咲先輩は彼女に動画を見せたらしい。多分動画は永井経由だ。いつの間に連絡先を交換していただなんて。
きっと、星咲先輩は蓮に会いたい。そして決着をつけたい。ここなら蓮の熱を燃えさせることができる。それを可能にするため審査に通した。
だけど、一つ勘違いしないで欲しいことがある。
「麗華さん……あの動画に映る僕は、僕であって僕じゃないんです」
「『僕じゃない』? もっと具体的に説明して頂けますか?」
「具体的にって。今は言えません。僕の中の
僕がそう答えると、麗華さんは諦めの表情を浮かべる。本当は詮索とかをされたくない。周囲の空気が変わる。奥で怜音が星咲先輩を抑えている。
他にも数名。みんな僕を見ている。無風なのに髪がなびいた。心の中で揺れるなにか……。
――『ん? どうした?』
(蓮。やっと起きてくれた……)
――『もう一眠りしたいくらいだけどな。んで、俺に用ってなんだ?』
できるだけ怪しまれないように、僕は思考の中で会話する。実際には脳内で相向かいに立ってるイメージ。今の僕には彼が見える。
(蓮。この人たちに自己紹介をして欲しい)
――『は? まあ、別にいいけどよ……』
(あ、いいんだ……)
蓮が普通にオーケーを言ってくれたので、すぐに交代する。バックに移動すると、スクリーンに映る麗華の表情が変わった。
『顔のパーツが違う……』
『ん?』
『い、いえ、なんでもございません……。もしかして、もう一人の優人さんで合ってますか?』
画面が揺れる。蓮が頷いたらしい。
『俺は蓮。昨日名前付けて貰ったばっかでさ……。まだ慣れてねぇんだ』
『そうなんですね、蓮さん初めまして、麗華と言います』
『よろしくな。んてことで俺の出番はここまでだ。睡眠の続きをしてくる』
『かしこまりました。良い夢を……』
そうして蓮がこちら側に戻ってきた。僕が表に出ると、彼はほんの数秒で眠りにつく。寝るのが趣味。そう言ってもいいくらいのいびきをかいているくらいだ。
「見世瀬さん。おかえりなさい」
「た、ただいま……でいいのかな?」
「合ってますよ。ところで蓮さんは……」
僕は首を横に振る。
「もう寝ちゃいました」
「そうですか……。もう少しお話したかったのですが、仕方ないですね」
「まあ、そのうち起きる思います」
その言葉に麗華さんは少し不安げな顔をした。やっぱりほんの数分の会話では何もわからない。そもそも、僕自身蓮のことを知らない。
もっと早くわかっていれば制御もできただろう。だけど、一部の人に知られている。
「蓮になにか伝言はありますか?」
「伝言ねぇ。いつか手合わせ願いたいわ。星咲副隊長を倒したという実力をこの目で見たい。それだけですね」
「わかりました。あとで伝えておきます」
その後も、寝室エリアや調理室。食器棚など、色々教えて貰った。そして、一つ気になったのは、室内飼いしてる大型犬。
そういえば、怜音が『ペットの世話がある』っって過去に言っていた。もしかしたらそのペットなのかもしれない。
犬種を聞くと、どうやらシェパードという犬種らしい。細くキリリとしたフォルムがとてもかっこよく勇ましかった。
「名前はなんて言うんですか?」
「気になりますか?」
「あ、はい……」
彼女は教える気がなさそうにタレ目を作る。細くなった目尻は少し威圧感があった。
「名前はミセス。メスです」
「ミセスかー。面白い名前ですね」
「そうですか? 私はそうは思いませんが……」
犬にミセスってつけるのはアリなのだろうか? 普通はサクラとかそういうふんわりとした名前。だけど、意味がそのまんますぎる。
そんな僕自身の身体は、何故か拒絶反応を起こしていた。昔から犬が好きで、親が生きていた時はゴールデンレトリバーを飼っていたのに……。
だけど、自分は触りたいのに手が動かない。まるで、紐に括りつけられてるようで、触るなと操られている感覚。それに対して、僕には思い当たることがあった。
「もしかして……」
「はい?」
「ちょっと蓮呼んできます」
僕は自ら意識空間に潜り込み、蓮を探す。すると、縦に立てかけられた寝袋で彼は寝ていた。必死に揺らして起こすと、彼の顔が強ばる。
(やっぱり。蓮、犬嫌い?)
――『まあ……。嫌いっちゃ嫌いだな。小学生の時オオカミの魔物が噛み付いて来たんだ。バトルくらいなら問題ないが、友好的な犬系統は苦手だ』
(そうなんだね。ありがとう)
その後すぐ蓮は眠りに落ち、僕は意識空間から抜け出す。そこでは麗華さんが僕を端から端まで眺めている姿。変なことをしていなければ問題ない。
「おかえりなさい。蓮さんどうでしたか?」
「思った通りでした。犬……苦手みたいです」
「そうですか……。でも、ここで共同生活する以上犬慣れは必要ですね」
共同生活?
「共同生活って、僕ここで暮らすんですか?」
「ええ。そうです。本日より隊長命令で、魔生物討伐部隊・第一部隊正式加入を許可致します」
トントン拍子で理解が追いつかない。ここで暮らす? 寮生活は一体どうなるのだろうか? 状況が掴めてない。
加えてこんな物騒な場所で暮らすなんて、自分だったら嫌だ。だけどいつの間にか起きていたらしい蓮に、『別にいんじゃね』と興味なさげに言ってきた。
ここは僕が自分の力で獲得した場所じゃない、だけど、蓮にとってはものすごく煌めいているみたいだ。
麗華さんに連れられ、僕は自分の寝室に案内された。寮の部屋よりも一回り広い。冷蔵庫やキッチン、テレビまで。生活を豊かにするものが多く、不自由はなさそうだ。
ここはしばらく前に脱退したメンバーが約3年間暮らしていた部屋らしい。近くには机も置かれている。ベッドは寮よりも大きく、セミダブルサイズというらしい。
「本当にここで生活していいんですか?」
僕は麗華さんに質問するが空振りで、代わりに怜音が立っていた。
「もちろんさ。今麗華が君の元々の部屋にあったものを運んでるよ」
「え?」
「あと、学校にもここからの登校許可貰ってるから大丈夫。気にしなくていいよー。多分こっちの方が君には合ってるだろうしね」
本当は梨央が近くにいる寮で暮らしたい。今怜音の通帳を使わせて貰ってる分。バイト代は学費と寮費に消えてもいい。
別に何もありつけられなくてもいい。僕には特別な魔力水があるんだ。人生のほとんどをそれで繋いできたと言ってもいい。
今生活が変わったらどうなる。また神代辺りにつっこまれる。もう、僕は学生じゃない。完全に学校から弾かれた人だ。
あの学校は好きだった。通うことはできると……怜音は言っていたが、この先どうなるかわからない。
「――麗華? え? 優人くんの部屋に運ぶものがない? それは――」
「あ、多分僕の部屋。使い始めたばかりのままだと思います。運ぶものとしたら、コップと衣類、あと布団と枕くらいですかね」
「優人くん。よくそれだけで2年も寮生活できたね……。ボクじゃ到底できないよ」
怜音がそう言うと部屋の入口から麗華さんがやってきた。歪みから僕の荷物を取り出しセッティングを終わらせる。
花柄の布団と枕。これも昔梨央が買ってくれたものだ。愛用のコップと、緊急時のジョッキも持ってきてくれたらしい。
ホコリまみれのジョッキを洗い、魔力水を入れる。麗華さんはそんな僕を見つめていた。
「麗華。彼が入れた魔力水。割合どれくらいだと思う?」
怜音が言った。
「人が飲む用でしたら、水の割合が多いのでは?」
「残念。水は入ってないみたいだよ」
「ッ!?」
直後、床を強く踏む音がした。僕がいつものように飲もうとした瞬間、麗華さんに止められる。
「貴方は馬鹿なんですか!」
「えっ? えっ?」
「『えっ?』ではありません。そんな高濃度なものを飲んだら、体調崩しますよ」
これが僕の普通なのに、麗華さんは飲ませてくれない。精神的疲労の時は、魔力中毒覚悟で魔力水をたくさん飲む。それでも僕は問題ないのに……。
「麗華。飲ませてあげたら?」
「ですが! 入ったばかりの彼が入院でもしたら、元も子もありません!」
「あはは……。それはたしかにそうだね。でも、彼は魔力水を飲むことが日課のようなものなんだ。好きにさせるのも、隊長の役目じゃない?」
僕のジョッキに触れかけた麗華さんの手が止まる。怜音から今のうちと言われ、一気に飲み干した。普通なら一気飲みはしないのに、魔力が勢いよく流れていく。
「ぷはぁ……。僕は大丈夫ですよ。今までもこの魔力水と、学校の無料スープ。そして、バイト先のまかないくらいしか口に入れて来なかったので」
「そういう優人くんは、最近普通の食事に戻ったんだよね」
「はい。まだ魔力水だけの方が楽ですけどね」
僕の発言に麗華さんは目を見開いた。怜音は今のうち今のうちと、急かしてくる。その後も、2杯目3杯目と飲んだ。
魔力オーバーというのは、5杯目辺りで気がついた。だけど、気持ちが落ち着かないため、最終的には10ほど。
気分がよくなってきたので、ジョッキを片付けると、麗華さんの提案で魔力量を測ることになった。
第一部隊に常備されている計測器は、学校にあるものとは違った。測ると数値が液晶に表示される仕様らしい。
「優人くん。あとは学校でやった方法と一緒だよ」
「わかりました」
僕は計測器に手をかける。自分が持ってる魔力を流すと、計測不能と表示された。
「結果が表示されない……」
「表示されませんでしたね。麗華さん」
「『されませんでしたね』って貴方何者なんですか!」
自分でも驚いているのに、麗華さんの方が大きかった。彼女は一歩また一歩と下がっていく。僕は何者でもない人間だ。だけど、周囲とはかけ離れている。
「麗華。これでわかったでしょ。これが普段の優人くんだから」
「わかりました……。優人さん、この後12時に昼食です。必ず――」
「あ、いらないです。ちょっと蓮に話したいことがあるので……。それと、今日土曜日だったんですね」
完全に登校日だと思ってた僕は、制服の羽織りだけを脱ぐ。ベッドに横たわると、部屋のドアが閉まった。
一人だけの空間。明後日からの学校。そして新生活。たった数日で色々なことが起こった。僕は蓮を呼ぶ、するとすぐに出てきてくれた。
「蓮。誰が僕をここに入れようとしたの?」
――「まあ、知りたくなるよな。先に謝っておかないといけねぇな」
「謝る?」
脳内にいる彼は、首筋をポリポリと掻きむしる。一体僕に何を隠していたのだろうか。僕は、口篭りかけそうな彼を待つ。
――「あのな。実は俺が斬に提案したんだ」
「え?」
――「あいつの怒りは全部演技。まさかあんな本気で怒ってくるとは思わなかったけどな」
じゃあなんで周囲の人は……。
――「孤児院の時。俺が隠れて行動してたっていったろ?」
「うん」
――「あれはオマエがトラウマを抱えないようにするためだった。本当の俺はもっと暴れたかったんだ。だけど、オマエの母ちゃんと父ちゃんは、すぐ目の前で亡くなった」
そうだ……。僕の両親は僕の目の前で食い殺されて亡くなった。蓮はそんな僕を思って、ずっと我慢してくれたらしい。
「本当は僕も怖いよ。今度は梨央が、消えちゃうんじゃないかって今でも思ってる」
――「だよな」
「だけど、もう大丈夫だよ。今の僕には蓮がいる。蓮が本当にこの第一部隊で戦いたいと言うのなら、僕はもう怖がったりはしない」
だから――。
「蓮。僕と一つになろう」