「失礼します……」
僕はゆっくり金の扉を開く。中ではカチカチという音が鳴り響いていた。景斗さんを見つけると、ギリギリ空いてるスペースに座る。
「ごめん。優人さん。入ってきて早々悪いんだけど、許可するまで廊下で待機してくれないかな?」
「すみません……」
「って、言うと思った?」
「え?」
景斗さんはパソコンを亜空間にしまうと、こちらを向く。そのまま、満面の笑みを浮かべて微笑んだ。
「レポートは完成済みだから安心して、あれくらい5分で出来上がるから」
「なるほどです。で、話せるんですか? 話せないんですか?」
「ん? 話せるよ。電線の修理も数分で完了させたし、潜水訓練も終始見てたし。この通りレポートも完成した。あ、一つ忘れてた」
景斗さんは亜空間を開くと、黒い塊を取り出した。しばらく前に蓮が喰らいついたものに似ている。
「もしかして……」
「これ、解析が終わったから蓮さんに返しといて」
「で、でも、蓮はまだ寝てて……」
「そうかな? 僕が見るには起きてるみたいだけど……。多分君に言えないことがあるのかもね。僕なら君の中の蓮さんを無理やり表に出させることもできるけど、どうする?」
ものすごく難解な質問だった。蓮を無理やり引き出すことなんて、できるはずがない。だけど、それで蓮とまた話せるのなら……。
「お願いします」
「わかった。ちょっと待ってねー。多分身体に負担がかかる可能性があるけど」
「え?」
景斗さんは亜空間から人が入れるくらい大きな機械を取り出す。これは、魔力発電エリアで見たものと一緒だ。
準備が終わると、中に入るよう催促される。その時の景斗さんの顔は、とても怖かった。
今からやること。それがまるで悪いことでもしようとしているかのよう。空気は張り詰め、ギスギスしてそうな微妙な温度が漂う。
「景斗さん。何を――」
「最終手段。とでも言おうかな?」
「最終手段? 開始早々にですか?」
「うん。君には魔生物の瘴気を体内に取り込んでもらう。多分それに反応して蓮さんが出てくる――かも、しれないってだけ」
信憑性というものがどこにあるのかすらわからない。だけど、自分でもやる価値はあると思った。
「景斗さん。瘴気ってなんですか?」
「ん? 前に龍戦で君が体内に取り込んだものだけど……。残骸から発せれる異質な空気っていうか……」
景斗さんでも説明が難しいなら、余計に信用できない。
たしかに僕の身体に魔生物の塊を溶かした液体を入れた時、一時的に蓮が起きた。
きっと、それと同じことを再現するのかもしれない。
「可能性としてはどれくらいなんですか?」
「えーとね。今のところ五分五分だね。瘴気ってものは、普通の人間が取り込むと自我を失い暴走する。これが、しばらく前に言った、〝魔生物感染症〟。通称・ゾンビ化症が発生する原因だね」
「そうなんですね……。でも、なんで僕だけ?」
「それは、君が魔生物の瘴気に対する耐性が強いから。だから、最終手段って意味で、やろうとしてるんだけど……」
成功して欲しい。それだけでも嬉しくて、頼れる味方が戻ってくるイメージ。僕は機械の中に入る。
直後、両腕両脚がロックされ、首枷まで装着された。完全に身動きが取れない状態だ。なんだか怖くなってくる。
「じゃ、扉のロックをして……。よし、完了。僕が集めた瘴気を全部流すからどんどん吸い込んでいって。多分これは君しかできない荒業だからー!」
「は、はい!」
直後内側が紫に染まる。呼吸をする。ほろ苦い何かが身体の中に入っていく。吸い込むのと軽く吐くのを繰り返す。
そうしていくうちに眠くなってきた。意識が遠くなっていく。自分の出番が終わったと告げるように。
ひたすら吸って吐いてを行う。肺の中が紫に染まっていく感覚がした。全身に流れる血液が活性化して、それから――……。
――『優人!』
「ッ!? 蓮!」
ここでようやく、目的の人物に出会えた気がした。蓮がこちらへ歩み寄り隣に立つと、僕の手を握る。
彼の手はとても冷たかった。まるで、亡くなった後の母みたいに。彼は僕の体温を奪っていく。それくらい凍りついている。
「蓮。返事はしてくれるって約束したよね?」
――『おん。したな。けど、こっちも忙しくてさ……。1週間寝てねぇんだ……』
「え? けど、僕には寝てるようにしか……」
――『わざとそうしたんだ。精神空間は夢世界と一緒。壁を隔てれば起きてるか寝てるかわからなくなる。んで、俺がやってたことだが……』
蓮は僕の手を解き、座り込む。僕も座ると、魔法式が浮かび上がった。これは景斗さんから貰った式だ。
「これ、何かわかるの?」
――『まあ、なんとなくな。これの式にコイツと追加してっと……。よし完成だ。名前は……』
「じゃあ、
――『すいこく? 意味はなんだ?』
「え、特にないけど……」
――『あはは、オマエらしいな。幻水と水壁も使う前に決めたんだろ? 偶然冷酷のやつと被ってさ』
冷酷。たしか、少し前に彼は〝片翼〟という言葉を言っていた。この〝冷酷〟と〝片翼〟の関係は何なのか。
ひとまず、僕は魔法式を受け取る。これで僕も水中で活動――いや、その前に魔力を酸素に変える方法を教わらなければ。
――『魔力を酸素に変える方法……。俺は感覚でやってるからな。魔生物だった時も海や川をよく泳いでいた。ま、人間の泳ぎ方は知らねぇけどな』
「まあ、蓮は元々オオカミなんだっけ? かという僕も犬掻きしかできないけど」
――『って言っておいて、かなり深くまで泳いでたっての知ってるぜ?』
「たしかに、そうだね……。潜水技術に関しては僕の方が上かも、きっと蓮は溺れちゃうかもね」
――『はは、ごもっともだな』
久しぶりに蓮と長話した。落ち込んでいないようで嬉しかった。意識が引き戻されていく。
蓮も『積極的に話聞いてやる』と、改めて約束してくれた。心のどこかで何かが崩れる。きっと、分断していた壁が消えたのだろう。
現実で目を開けると、紫の煙は消えていた。念の為蓮に声をかけると、すぐに返事がくる。これで彼も完全復帰だ。
扉の前で景斗さんが微笑んでいる。僕を固定していた器具が外れ外に出ると、久しぶりに新鮮な空気を吸った感覚。
「おかえり、蓮さんとは話せた?」
「はい。おかげさまで」
「それはよかった。蓮も完全に覚醒したみたいだね」
景斗さんの作戦は無事成功した。だけど、あのようなゴリ押しはもう二度とやりたくない。
そのせいで気持ちが安定しないから。嬉しさよりも、景斗さんの行動がおかしいきがした。
「それで、今蓮さんって出てこられる?」
「はいできそうです。例のアレですね」
「そう。蓮さんの大事なものだから、ちゃんと返しておかないとね」
「じゃあ交代しますね」
僕は蓮とバトンタッチして、バックに移る。スクリーンに広がっている蓮が見てる世界。
景斗さんが魔生物の欠片を蓮に渡すと、勢いよくかぶりつく。さすがに僕がやったら変人と思われるだろう。
まあ身体は僕のものだから、蓮と知らない人でも変人と思われるはずだけど。
僕の聴覚が『じゅるり』という音を聞き取る。蓮個人でお腹が空いてたらしい。そういえば僕はお昼を食べていなかった。
臨時訓練の次は遅めの昼食なのに、寄り道した僕が悪い。とはいえ、お腹はあまり空いてないので、いつも通りの魔力水で済ませる予定だ。
さて帰ろうと蓮に伝え、身体の向きを変えると景斗さんに腕を掴まれる。振り向くとそこには僕が持つジョッキよりも大きな容器。
中に入っているものに魔力を感じたので、景斗さん特製濃縮魔力水ということがわかった。
すかさず蓮と交代して受け取る。一口飲むと、今までで一番濃い魔力が入っていった。あれからさらに濃縮したらしい。
「相変わらず美味しいですね……」
「ありがと。どうしても君に勝ちたくて、研究に研究を、改良に改良を重ねたんだ。だけど、その濃さが今の僕の限界でね……。それをクリアされると、正直困るんだけど……」
「え? 景斗さんならもっと濃いの作れそうですけど。どうして無理なんですか?」
「それはね。多分だけど魔生物の魔力を加えれば、人ができる限界値以上の魔力水を精製できる。でも、さすがにそんな危険なことはできないからね」
「つまり、僕が異常ってことじゃないですか」
「そうだね。もう1杯飲む?」
「え、えん……」
僕は必死に『遠慮します』と発音しようと口を動かす。だけど、身体は魔力水を求めていて、上手く言えない。
「本当は飲みたいんでしょ?」
「は、はい」
「じゃあ今すぐ作るよ。30秒だけ待って」
景斗さんは慣れた動きでカラの容器に魔力水を注ぐ。だけど、それは透明ではなく少し紫がかかったものだった。
さっき彼が言ったことの実演。もしかしたらそれをしているのかもしれない。『はい』と手渡されると、自分でも仰け反ってしまいそうな魔力を感じた。
「今回だけ特別だよ。僕でも限界なんだから……。今すぐにでも倒れそう……」
「景斗さん……。い、いただきます……」
「どうぞどうぞ」
僕は紫色の魔力水を飲む。異常すぎるくらいの膨大な魔力が流れ、脳に衝撃が走った。これが人間の限界値を超えた魔力水。
気がつけば飲み干していて、非常に満足してしまった。これだったら、毎日飲みたいくらいだ。
「景斗さん。この魔力水僕でも作れますか?」
「うん。作れるよ。というか、優人さんが作った方が早いんじゃないかな?」
「え?」
「だって、実際に瘴気操ってるじゃん。あのオオカミ」
「た、たしかにそうですけど……」
「はい、これ割合とレシピ。あとは自分で頑張って」
「ありがとうございます。では失礼します」
僕は扉を開けて外に出る。再び始まる蓮との生活。これで潜水訓練も楽になったらいいのにな。
でも、全体的に僕主軸だから、彼を頼らずに水中で活動できるようになろうと、僕は決めた。