僕は一瞬固まった。この世界で最大の脅威とされた魔生物の見た目。これには、蓮も心当たりがあるらしい。
その魔生物は三龍傑との戦いで残骸となって散らばった。体長は旧東京都を覆うくらいの巨大さだったようだ。
そのことはこの本にも書かれていた。しかし、見た目に関しては書かれていない。この世界にいる魔生物はどれも小さい。
それなら、巨大な魔生物は存在しないのではと思ってしまう。つまりは、強さを説明する上で、このような表現になったのかもしれない。
(蓮、もしかして……)
――『多分だが……。俺かもしれないな……』
(蓮が、脅威の元凶……?)
――『ああ。たしかに俺はたくさんの犠牲者を見てきた。中には俺が動いただけで亡くなった人もいた。魔生物もたくさん犠牲になった。俺は迷っていた』
(……)
蓮は元々魔生物だった。それは知っている。だけど、彼が脅威とは知らなかった。僕の中にある心臓。それは彼のものだ。
(僕って……、人……なのかな……。魔生物……なのかな……)
――『さあな。前に怜音が言ってただろ? 自分に誰って問いかけるのは間違ってるって』
(それはそうだけど……。蓮の心臓を持ってる僕は。きっと差別に遭う。ううん。今までも差別されてきたと思う)
――『優人……』
意識空間で話してる中。池口先生は僕の目の前にやってきた。僕はどう答えればいいのかわからず、彼の目を見る。
『答えがない』それを悟ったのか、先生は離れていった。だけど、やっぱり事実を伝えたい。
――『もし、バレたら……。バイトはどうするんだ?』
(怜音に頼んで今日1日だけやらせてもらって。バイト辞めるよ。今は第一部隊でお金も間に合ってるから)
――『そうか……。けど、俺は無理だと思うな。たしかに俺も言いたいさ。先生の問いの答えは俺だからな。しかし……。昨日から今朝にかけての情報伝達速度を見ればわかるだろ? この大学で真実を伝えれば、バイト先にも悪評がつく。オマエはちゃんとそこまで考えたか? 考え無しに言っても被害者を増やすだけだ』
たしかに、蓮の言う通りだ。僕は無計画に真実を伝えるところだった。だけど、それでいいと思う自分がいる。
僕なら食事が摂れなくても生きることができる。その知識というかほとんどが勘だけど、長期間に渡って食事をしなかったことを踏まえれば問題ない。
こんな僕は、この世界に生きていちゃいけないんだ。結局は紛い物。いや、紛い物にされた被害者だから。
ふと、高校の廊下で梨央と話したことを思い出す。亡くなった両親の分まで生きる。けれども、僕は親に裏切られた側。
それを梨央に伝えれば、きっと僕を手放してくれる。一人でいたい。こんな世界とは別れたい。
自分の気持ち、誰にもわかりはしない。わかるはずがない。理解者はいない。景斗さんから伝えた方がいい。
でもそれだと景斗さんへの悪評がついてしまう。第一部隊は、僕のせいで崩壊する。それは、誰にも変えられない。
視界が歪む、身体から力が抜けていく。ふらり。ふらり。重心が揺れる。――ガタン。どうやら僕は椅子から落ちたらしい。
「見世瀬さん!」
「優人!」
どんどん声が小さくなっていく。自分の意識が泡のようにはじけて消えていく。視界は真っ黒に染まり、自分だけが孤立していく感覚。
目を覚ますと、そこは広大な平原だった。樹木も何も無い、芝生だけの緑に包まれたそれだけの場所。
僕はそこを歩く。なぜここに来たのか。さっぱりわからない。これは走馬灯。いやそんなことはない。では夢か……。
しばらくして、僕は一人の子供を見つけた。容姿は自分によく似ている。黒髪で前に毛が垂れている。
体型は細身で、骨ばった身体。唇は異様に青く血の気が引いたような白い肌。僕の思い出の写真はもうない。だけど、これが僕自身ということはわかった。
僕の前に立つもう一人の自分。彼は背を向けて走っていく。それを追いかけると、また同じようなフォルムの子供の姿。
そちらも僕にそっくりだったが、顔や肌は黒ずんでいて、瘴気を纏っていた。これは、魔生物としての自分……。
どちらを選ぶか。どちらの未来を望むのかを言葉を介さずに迫られる。僕は人間でいたい。みんなと一緒がいい。
最初の子供のもとへ足を運ぶが、追いつけない。後ろから草を踏む音がした。振り向くと瘴気を纏った子供が走って来ている。
人を追いかける僕。僕を追いかける魔生物。人には追いつけない。対して魔生物には追いつかれる寸前。
やっぱり、僕は魔生物として歩むしかないんだ。内心諦めている自分に、呆れてしまう。生きる意味。生きる道はもうどこにもないのに……。
暗い。暗い。黒い。光を返さない漆黒。そんな中で優しく光るものは、人間としての自分が発するもの。
手を伸ばす。掴みたい掴めない。そのもどかしさが、精神を削る。僕のせいで最強部隊の第一部隊を壊したくない。
それだけで、つらいのに。なんで、僕が次期隊長に……。
「優人! 優人起きて!」
「り、梨央……。ここは……?」
「医務室。池口先生が景斗さんを呼んでくれて、運んでもらったんだよ」
「そ、そうなんだ……。あ、ありがとう」
次に景斗さんが説明してくれる。やはり僕は意識を喪っていたらしい。
原因は考えすぎと、自己否定が必要以上に行われたことでの精神疲労。
景斗さんは亜空間から紫色の塊を出すと、それを食べるよう言ってくれる。
何度も見たことがあるので受け取るが、このタイミングで食べていいのか。
魔生物の残骸。なぜ景斗さんがこんなにもたくさん持ってるのかわからない。加えて、この残骸を好むのは僕ではなく蓮だ。
「早く」
「は、はい……」
蓮は表に出られない。だから僕が食べる。一口、また一口。ガリ、ガリという、食べ物とは思えない音。
味はそこまで美味しくはない。食べたことはないけど、腐った両生類を口にしているようだ。
具体的に考えると気分が悪くなる。想像もしたくない。なのに、自然と馴染んでいくのはなんで……。
すぐに食べ切ると、気持ちが落ち着いた。景斗さんに何度も質問を繰り返す先生。けれども、正体を明かすことはない。
「景斗さん。ありがとうございます。助かりました」
「どもども。今のところ君の場合の対処法はこれしかないからね……。市販の精神安定剤は多分効かないと思うから」
「そ、そう……ですね……」
景斗さんはもう一つ用意してくれた。僕は静かに食べていく。再び、ガリ、ガリという音が、静寂の中響き渡った。
2回目は最初と違い、なんだか口に入れやすい。自分が――身体が求めていたものはこれなんだ。
そう考えたならば、『もう人間には戻れない』と、人間でありたい僕を否定されたような。
黒い塊を食べる。ガリッ。ガリッ。歯が欠けるのではないかという、絶妙な硬さ。それが癖になって、手が止まらない。
「総司令、これは一体?」
池口先生が景斗さんに5回目の質問をした。景斗さんはまだ押し黙っている。研究員は知りたがり屋だ。ここは僕が伝えるしかない。
「池口先生が言ってるのは、僕が食べてるこれですか?」
「はい。妙に禍々しくて、到底食べ物には見えないので気になりまして……」
「そう。ですよね。これ、魔生物の残骸なんです。僕の友人の好物で。ただ、今は出てこれないので僕が代わりに食べているんですけど……」
「なんで、友人がいるのに、キミが食べて……」
(これも伝えておこう)
「僕の友人は僕の中にいるんです。彼の方が戦闘能力高いし、計算速度も早いですよ。梨央と同等の大親友です」
池口先生は僕が持ってる塊を持つ。そして口に入れようとするが、景斗さんの素早い反射で止められた。
「普通の人間は食べないことをおすすめします。魔生物感染症になる可能性が高いので……」
「で、では。彼はなんで大丈夫なんですか?」
「彼には――が埋め込まれているんです」
「そんな……。ということは彼があの実験での生存者……」
「はい。そして、優人さんは僕の血縁者です」
景斗さんも説明を終えると、塊を食べ始める。彼は僕と違うのに普通に食べている。魔生物の気配はしない。
「景斗さんも?」
「ううん。僕はこの通り普通の人間だよ。でも、僕は総司令だから隊員たちの特性を自分でも試さないとってね」
たったそれだけの理由で、魔生物の残骸を食べてしまうのか。命知らずの総司令はかなり強い。
視覚と聴覚を失っても、きっと攻撃は正確だ。どんな攻撃でも当てていくだろう。
強いからなんでも試す。探究心は第二部隊を超えている。だけど、僕以外にも――実際は蓮だが――魔生物の残骸を食べる人がいるのか……。
そこは少し嬉しくなった。ただ、池口先生の残骸への興味は尽きない。次から次へと出てくるそれを、何度も食べようと試みている姿は、まるで蓮を具現化したかのよう。
僕も『食べない方がいいですよ』と伝えるけど、言葉が届いているかすらわからない。
すると、残骸が少し欠けた。池口先生は床に落ちた破片を口に入れたが、その味の悪さに吐き出す。
「これ、食べ物ではない……んですね……」
「普通の人はそう感じると思うよー」
「そうですね……。これは……〝
池口先生はそう言って部屋から出ていった。梨央はいつの間にかいなくなっていて、ここにいるのは僕と景斗さんだけ。
白紙に染まったような、真新しい空間。そこにあるベッドに寝かされた身体。天井を見れば、キッズルームにいるかのような晴天の絵画。
外は見えない。見えるけど、相向かいの建物で風景が塞がれている。景斗さんは、最後に一番大きな残骸を取り出した。
「今なら蓮さん出られるよ」
「そうですね……」
「交代する? そろそろ飽きてきたんじゃない? 実際これは魔生物が身体に取り込むものだし……」
「大丈夫です……。きっと、僕も魔生物の部類だと思いますから」
「そう。じゃ、エスカレートすると困るから、これは一旦片付けておくね」
「お願いします」
景斗さんは、大きな残骸を亜空間にしまう。今考えてみれば、蓮にも食べさせてあげればよかったと、後悔した。
「優人さん。身体。動かせるかな?」
僕は、身体をスライドさせてベッドから降りる。少し関節が固くなっていたが、問題はなさそうだ。
「は、はい。大丈夫……です。感覚も戻ってきたので」
「そう。でも、一応リハビリはしないとだね。昨日麗華さんと一緒に潜水訓練やる予定だったらしいけど、できなかったんでしょ?」
「はい。すぐ寝てしまったので」
僕は景斗さんに昨日のことを伝える。それよりも、あのパーティーには景斗さんは参加してなかったと思う。
参加してたのは麗華さん、星咲副隊長。怜音。あとは、第一部隊の隊員だけだったはずだ。
このなんでも知っているような彼が怖くなった。これが、第一部隊での情報伝達・開示速度に反映されているのだろう。
「じゃ、僕と一緒に訓練する? たしか、今日バイトだよね? えーと時間は……」
「20時から翌の7時です」
「了解。早退手続きは終わってるから、こっち来て」
「わかりました」