怜音が景斗さんに連絡すると、すぐに通路が開いた。そこをくぐると、第一部隊の拠点へと着く。
ちょうど第一部隊の隊員たちは、仕事へと向かうところだった。自室に戻った僕は、自分のスマホを確認する。
バイト中に検証依頼が来たのは驚いたけど、こんな機会は逃したくない。僕は今日の日程チェックをすると、景斗さんの部屋へと向かった。
希望時間は9時でその時間まであと40分くらいある。さっきステーキを食べたのに、何故かお腹が空いていた。
景斗さんの部屋に行くと、もう既にゲートが開いている。彼の机には、魔生物の残骸と手紙。宛先は僕宛てだ。
〝実験に参加する前に食べておいてくださいい。僕は先に現地へ行って待ってます〟
そう言われたなら食べるしかない。僕は残骸を手に持つと、躊躇うことなく食べた。小腹を埋める分にはちょうどいいと、蓮も言っている。
「よし、蓮行くよ!」
――『おう!』
ゲートに飛び込むと、第二部隊の拠点へ到着した。長い机の上には今回使用する魔生物専用の水銀。
初回ではあるが、僕の希望で10本用意してもらっている。量はたしか200ミリグラムだったはずだ。
普通の水銀の場合、200ミリグラムから400ミリグラムが致死量とされているらしい。
しかし、今回使う魔専の水銀は魔生物のみに作用し、人体に影響は出ない特殊なものだ。
「零夜さん! 今日はよろしくお願いします!」
「よろしく。ゆーとくん。今は総司令がいないからできないんだけど、ちょっと待っててもらってもいい?」
「はい!」
それから零夜さんから色々聞いた。梨央がバイトを始めた理由も教えてもらった。そして、零夜が景斗さんと出会ったきっかけも。
「自分は彼に拾われたんだ。7年前の事件でね。年齢的に自分は孤児院に入れなかったから、梨央が羨ましかったよ」
「そうなんですね……。思えば零夜さんは何歳なんですか?」
「自分の年齢? えーと、たしか28だったかな? 一応この第二部隊研究員の中で最年長だよ。自分の上が池口指揮官だから」
「なるほど……」
世間話を始めて約10分。ようやく景斗さんがやってきた。彼の手には追加の水銀が握られている。
「待たせてごめんね……。調合に時間かかってた。追加の1本用意したから、優人さんはベッドに横になって」
「わかりました」
景斗さんに促されてベッドによじ登り、横になる。そして右腕を差し出した。腰と脚、首には暴れないようにするための拘束具。
一回経験したことで拒否感はない。むしろありがたいくらいだ。零夜さんが最初の水銀を手に取る。だが、中々投与しない。
「始める前に自分から意図説明をするよ。ゆーとくんも総司令もわかってると思うけど念の為ね」
「『はい』」
「今回はゆーとくんが魔生物側なのか人間側なのかを判断する実験。第二部隊の記事にも書いたけど、ワクチンの開発が停止したのは事実。ワクチン材料となるゆーとくんの血液が魔生物由来ってことがわかったから、安全性を確認するためのもので。この魔専水銀は普通の人間に投与した場合、血液と完全に溶け合って消える。しかし、魔生物に投与すると、魔生物特有の細胞と結合できない分。その細胞が破壊され死に至る。けれども、普通の水銀との共通点として、直接触れると皮膚が爛れるのは人間と魔生物共に同じ。加えて生産性も悪いのが難点で――」
「ちょっと、零夜さん。研究者魂が燃えてるよー」
「す、すみません……総司令……」
熱量をもって語った零夜さんが、たった一言で静かになる。いよいよ本題だ。景斗さんが僕の袖をめくった。
そして、水銀が入った容器に針を取り付けて、関節部の血管に差し込んだ。ゆっくり押し入れられてくものをただ見つめるだけ。
1本目、変化なし。2本目も変化なし。3本目を刺した時に全身が火照り出した。星咲副隊長の炎よりも熱いと思う。
心拍数が上がっていく。4本目。ついに身体が悲鳴を上げ始め、全身に激痛が走る。
身体が完全に固定されているため、暴れることすらできない。ただただ、痛みに耐えようと心でもがくだけ。
「優人さん。無理だったら無理。限界だったら限界って言ってもいいんだよ?」
景斗さんが優しく声をかける。だけど、僕が決めた本数なんだ。何も考えることなく首を横に振った。
5本目。激痛がさらに酷くなる。心拍数もより一層速くなっていて、呼吸が安定しない。それでも、投与は止まらない。
6本目。思考が回らなくなってきた。頭痛も酷い。僕が魔生物であることが証明されてしまう。そうなると、国民を危険に晒すことになる。
それだけは絶対させない。たとえ、結果が協会に伝わって、僕が隊長になれなかったとしても、せめてワクチン開発だけは――。
――『優人!』
(……)
――『優人!』
(……)
――『見世瀬優人! 目を覚ませ!』
(蓮……?)
気がつけば、僕は意識空間にいた。真っ黒な司令室兼監視室。蓮が表にいる際の見慣れている風景だ。
なのにかなり薄暗い。スクリーンはついていない。これだけで、目を閉じてることがわかった。
「蓮……ぼ……」
――『無茶しすぎだ! 今俺が毒素中和に全意識を向けてるが、魔生物専用の水銀も……! はたまた普通の水銀も初めてで苦戦してんだよ! このままだと俺たちは死ぬぞ!』
「だ、だけど……。これで僕が魔生物ではないことを証明しないと、ワクチンが……」
――『はぁ……。オマエなんもわかってないな……。オマエは何があっても、
「ッ!?」
僕はもう二度と人間にはなれない。蓮から聞かされた事実に僕は崩れ落ちた。普通でいたいのに、いられない。それがようやく理解できた。
「蓮。毒素の中和は僕に任せて。かなり時間はかかると思うけど」
――『わかった』
「じゃあ、僕は戻るよ……。ゆっくり休んでて」
僕は意識空間から離れる。目を開けると、心配そうに見つめる景斗さんと零夜さん。机の上の水銀は全て消えている。
「意識が回復したみたいだね。良かった。10本分の投与は終わったけど、これで疑惑は晴れそうだね」
「まだですよ。総司令。これで一時間待って、水銀の毒素が完全に分解されているかを確認して初めて、彼の安全性が決まりますから」
「おっとそれは失礼」
一応、最初の工程は終わったようだ。自分が生きてることに少し嬉しくなる。押さえの留め具が外され、身体の自由が戻ると、軽く身体を動かした。
僕による解析は空間を移動する時に完了済み。だるさはそこまでない。ただ、働きが鈍くなった脳を使ったので、気持ちは重かった。
解放されて20分。自分でそろそろ大丈夫だろうと考え、零夜さんを呼んだ。僕の血液を取る時、彼はこう言う。
「もし魔専水銀が溶けきってなければ、魔生物。溶けきっていれば君は人間側に近いということがわかる。まだ投与から一時間経ってないけど……」
「大丈夫です。お願いします」
「わかった。さっきの場所で椅子に座って」
「了解です」
僕はベッドの方へ移動する。近くの椅子に座ると、左腕を台に乗せた。バンドをはめて、採血をする。
血液は相変わらず真っ黒だった。でも、水銀に見えるような銀のモヤがない。無事に分解が完了したようだ。
「血の色は魔生物のもの……。だけど魔専水銀の残り香がない……」
「そうですね……。これでなにかわかったことは……」
「魔生物であることは間違いないんだけど。ゆーとくんは多分、魔専水銀への耐性を獲得した……。そう考えることしか……できない……」
「魔専水銀への耐性……。それってつまり……」
「ゆーとくんは、弱点がなくなったことに近い。きっと普通の水銀でも効果がないと思う。一研究者の推測ではあるけどね」