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第20話

 走った状態で感覚を研ぎ澄ませる。そうしていると、蓮の声までも聞こえなくなる。かなり集中できてることに気づく。


 水銀で作ったものは、1本の片手剣だった。それは蓮が教えてくれた事だ。僕に見えなくても彼ならわかる。


 刃渡り約75センチメートル。あくまでも蓮が目算した長さだけど、それなりに扱いやすい。


 槍を常時生成。だけど、当たったような音がしない。足音が聞こえない。もっと、もっと細かい音に耳を傾ける。


 蓮が言った方向へと飛ぶ。けれども、景斗さんに近づいたと思っても逃げられる。足が速い。


 体感時間でもう30分。いや1時間近く戦ってるのに、僕だけが疲れていく。蓮と交代しても肉体的疲労は変わらない。


 まあ、彼ならゴリ押しで体力増強して暴れ回るだろうけど、景斗さんの目的は僕の実力向上。僕が戦わないと意味が無い。


 だんだん水銀武器の生成に慣れてきた。蓮は翠刻で生成する槍の〝〟が変わったらしい。


 きっと、槍も水銀に変わったのだろう。これも進歩のひとつだと考え、生成数を無理やり上げた。


 景斗さんに水銀の毒が効くかはわからない。あくまでも彼は不死身なので、そこまで効果はないのかもしれない。


 一瞬気配の音が切れた。景斗さんが手加減した可能性がある。それでも行動が読めないのは変わらない。


 誰にでも優しい――怜音がその性格を引き継いでいるが――総司令だから僕のためなのか。


 後方から痛いくらいの視線。前方は空白。いや蒼白色で様子が見えない。


「集中集中。魔力操作誤らないようにだよ」


「は、はい!」


 槍を生成できるとしたらあと1回。そして、分身を作るならあと2回から3回分。計画無しに使ったせいで残量がない。


「そうだ優人さん。特別に僕の弱点を教えてあげようか」


 どこからか景斗さんの声が聞こえる。今になって弱点を教えてくれるとは、どういう意味か。


 それだと、完全な勝利とは言えない。でも、彼はその優しさから承知の状態で明かそうとしているのだろう。


 見えない視界でも僕は頷く。すると、360度全体からエコーがかかったような声が響く。


「僕の弱点。どこだと思う?」


「え、えーと……」


「僕は今君の目の前にいる。そして、君のすぐ近くに僕の急所がある。それは、万人共通の弱点だよ」


(万人共通の弱点。もしかして)


 僕は水銀剣を大体この位置だろうと思う場所に突く。すると、なにかが勢いよく噴射した。


 盲視術を解くとまずは自分を見る。お気に入りの服は真っ赤に染まっていた。景斗さんの方を見れば、左胸の中心に僕の剣が刺さっている。


「お見事。僕の心臓にしっかり刺さったね」


「だ、大丈夫なんですか?」


「問題ないよ。本当はもう少し強くやって欲しいんだけど……」


「不死身の特権……ですか……」


 景斗さんは僕の剣の刃を両手で握り、ゆっくり引き抜く。ドボドボと出てくる血は鮮やかな赤色だった。


 彼は普通に魔生物の残骸を食べる。だけど、それは血液には反映されていない。


 景斗さんが一体何者なのか、謎は深まるばかりだ。数秒後、景斗さんの左胸から流れる血は完全に止まった。


「初めて入ってきた時よりも、動きにキレが出てきてると思うよ。ただ、問題がいくつかあるね……」


「問題? 僕にですか?」


「うん。君途中から蓮さんに頼ってたでしょ。結局そこに行き着くのが、悪いんだと思うんだ。もし、優人さんの中から蓮さんが消えたら、自力で戦える?」


「わからないです……。大学初日では僕一人で……」


 景斗さんは僕の目をじっと見つめてくる。その眼光にはハイライトが入ってなくて、かなり怖い。


 少しして、観戦していた零夜さんが近づいてきた。手にはスマホが握られていて、1本の動画を見せられる。


「これを見ると、総司令が言ったように、少し戸惑ってるような感じのゆーとくんが映ってるね。この時蓮と話してたんじゃない?」


「え? あ、はい……。多分そうです……」


「そういうことだよ。優人さんは幼少期、他人に頼ることしかできなかったんじゃない? 考えられるとしたら、蓮さん一択だと思うけど……」


「覚えて……ないです……」


 僕は正直に答えた。池口先生から言われた〝見世瀬少年密閉樽閉じ込め事件〟。その被害者が僕なのは、蓮の証言から確定。


 だけど、その当時の記憶がない。あの時の僕のこと。それが思い出せない。


 零夜さんは僕を見ている。それもとても心配そうに。思い出そうとするあまり、脳が混乱し始めた。


「無理しなくていいよ。僕なら君の記憶を引っ張り出せるから」


「記憶を引っ張り出せる?」


「そう。この、僕がまだ大学生だった時に出会った友人の紋章でね」


 景斗さんは、右腕のところに刻まれた翡翠色の紋章を見せてくる。どうやら〝追憶の紋章〟と言うらしい。


 その紋章を光らせると、僕の額に右手を添えた。だんだんと、眠くなってくる。気がつけば、周辺ガイド真っ黒に染まっていた。


『オマエ。誰だ?』


『ぼ、ぼく? みよせ、ゆうと……』


『ふーん。ゆうとか、この世界には漢字ってもんがあるんだったな。漢字でどう書くんだ?』


『かんじ? た、たしか……。やさしいに、ひと……だったと思う……』


『なるほどな。優人か……。オマエとなら仲良くできそうだ……。ただ、今飢えてるんじゃないか? 外に出るのが怖いんじゃないか?』


『う、うん……』


(この記憶……僕の……?)


 真っ黒な空間での静かな会話。この時に蓮は僕の名前を覚えたのかもしれない。でも、これが本当の記憶なのかわからなかった。


 首を動かそうとするが、目線は固定。狭い空間に閉じ込められている。これが、現在進行形で起こっていた、密閉樽閉じ込め事件。


『なら、俺を使え。俺ならどんなに飢えてても耐えられる。主を交代しないか?』


『う、うん……。きみが言ってるように、僕は限界だから……。あとは……』


 ここで記憶が途切れた。きっと、僕の意識が完全に消えて、奥底まで沈んだからかもしれない。


 だけど、これが忘れていた記憶とは思えなかった。この時僕は、蓮のことを『きみ』と呼んでいた。


 言葉の意味も分からず交代し。そして、蓮は僕として行動をした。意識は現実に引き戻されていく。


「おかえり。どう? 満足できた?」


「い、いえ……。余計に頭がモヤモヤと……」


「ふふ。無理しなくていいよ。忘れた記憶はゆっくりと咀嚼していけばいいんだ。今すぐ受け止めてとは言わないよ」


「あ、ありがとうございます……」


 それでも、この密閉樽の中にいた時点から、僕は蓮を頼っていた。それが非常に申し訳なく思っている。


 同じ身体だからこそ、空腹も共有されているはずなのに、蓮は自然と見つかるまで待ち続けた。


 よく生きていられたと、思ってしまうくらいだ。あの記事の最後には『命に別状なし』と載っていた。


 蓮はきっと、何らかの方法で凌いでいたのかもしれない。


「じゃあ。今日の特別訓練はここまで。僕はこれから会合があるから留守になるけど……」


「つまり、それが停電した時の代役に僕を使う理由? ですか?」


「うん。そうだよー。今日の会合は君が隊長になるまでの流れの確認とか、色々あってね……。かなーり忙しいから、よろしくー。ってことでドロン!」


 その瞬間、景斗さんの身体が霧になって消えた。なんでもありにも程がある。


 やることがなくなった僕は、とりあえず零夜さんを自室に案内することにした。廊下にもリビングにも人がいない。


 部屋に着くと、自分用のジョッキと元々あって来客用になってしまった未使用のマグカップを用意する。


 時刻は昼の11時。今日のお昼をどう済まそうか悩む時間だった。

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