僕の意識は、ゆっくりと現実へ引き戻された。
目を開けると、頬を一筋の涙が伝っていた。
隣を見ると、美琴も目を伏せたまま、静かに涙を流していた。
「……可哀想、ですよね」
彼女の声は、小さく、かすかに震えていた。
「うん……」
僕も、同じように震える声で答える。
こんな小さな子が、大きな寂しさを抱えたまま、この地に縛られていたなんて。
もう――
僕の目に映る誠也くんは、恐ろしい存在なんかじゃなかった。
膝の上で、誠也は目を閉じている。
木彫りの犬をぎゅっと抱きしめながら、穏やかな光に包まれていた。
「せいや……やっと、みんなに会える?」
そっと問いかけると、美琴が優しく頷く。
「うん。もう、大丈夫だよ」
祈るような声で、美琴は言葉を紡いだ。
「浄魂の祈り……汝、純なる魂よ――
浄土へ穏やかに還りなさい」
紅い光がふわりと広がり、誠也の身体をやさしく包み込む。
月明かりのなかで、その姿はゆっくりと揺らぎながら、淡く溶けはじめる。
『ありがとう……お兄ちゃん……お姉ちゃん……』
その言葉のすぐあと――
『あれ……みんなが……見える……』
誠也が、ぽつりと呟いた。
そして……
小さな両手を、そっと広げる。
まるで誰かに抱きしめられるのを、優しく受け止めるように。
その姿のまま、彼の身体は静かに揺らぎ、
月明かりの中に、ゆっくりと――完全に消えていった。
「いまのは…」
「きっと迎えに来てくれたんでしょうね…」
と美琴が天井を見上げてそう言った。
(そっか…彼はようやく、家族のもとへ帰ることができたんだ。)
僕の胸は、どこか満たされていた。
あの記憶を見てから、きっと――僕は誠也に同情していた。
だからこそ、彼が成仏できたことを、心から嬉しく思っていた。
美琴はそっと、床に落ちていた人形を拾い上げ、膝の上に置いた。
その仕草はどこか寂しげで、それでいて、あたたかかった。
僕は静かに息を吐き、床に手をつく。
そのとき、自然に言葉がこぼれた。
「美琴……今の力って……?」
あの紅い光。
記憶を映し、魂に触れるような不思議な力。
普通の人に…できることじゃない。
美琴が、ほんの一瞬だけ動きを止めた。
月明かりが横顔を照らし、彼女はゆっくりと僕のほうを見る。
「私は……巫女の血を引いています」
その言葉に、思わず息を呑んだ。
「巫女……?」
美琴は小さく頷いた。
「はい。ただし……“穢れた血”なんです」
その声は、夜の風に溶けるように静かで、どこか自分を責めるようだった。
「巫女が……穢れた血って、どういう意味?」
問いかけに、美琴は目を伏せたまま、静かに答える。
「私の先祖は……禁忌を犯しました。
だから、この力は“穢れたもの”なんです」
淡々とした声。けれど、その言葉の一つひとつが、胸に深く沁みこんでくる。
何を聞いてはいけないのか。
どこまで踏み込んでいいのか。
僕にはまだ、わからなかった。
だけど――
美琴が、ふっと微笑んだ。
「でも……それでも、私はこの力を使います。
この血が穢れていたとしても、誰かが助けを求めているなら」
その声はとても静かで、でもまっすぐだった。
月明かりの下で、美琴の横顔は、どこまでも儚く、どこまでも強く見えた。
僕はただ、その姿を見つめることしかできなかった。
──
掌に残る あの日のかたち
愛されしこと 忘れずとも 逢えぬ日々
ただ祈りを 胸に宿して
名を呼ぶ声 ついに届き
いまこそ 還りゆかん
――琴音