風が冷たくなってきた夕暮れ。
桜翁の境内で、美琴と並んで立つ。
そして、彼女はいつもの制服姿とは違い私服だった。
ジーンズジャケットに、ベージュのフレアスカート。
黒のニーハイソックスに、同じく黒のショートブーツを合わせている。
落ち着いた色合いながら、どこか可愛らしさを残した、美琴らしい私服だった。
美琴がそっと髪をかきあげて、横目で微笑む。
「それでは行きましょう」
美琴がそう言った時、彼女の声には微かな緊張が混じっていた。
僕は小さく頷く。
「うん。……ところで、美琴。今回の心霊スポットの噂、知ってる?」
「はい。髪の長い女の人がトンネルを彷徨い、通行者を事故に巻き込む……そんな話でしたね」
落ち着いた声だったけど、どこか寂しげな響きがあった。
「それって……本当なの?」
「いいえ。そうなってしまった“原因”は確かにあります。でも、彼女自身が望んだ結果ではないと思います」
彼女は視線を落とし、地面を見つめる。
その横顔がどこか切なくて、胸が少しだけ締めつけられた。
「彼女は……後悔を抱えたまま、さまよっている霊です。特に“あの出来事”を……ずっと悔いていて。この場所以外では、あまり目撃されないと思います」
「……後悔、か」
その言葉が、静かに胸に落ちる。
誠也のときと同じだ。
きっと、彼女にもまだ“誰にも言えなかった想い”があるんだ。
美琴と出会ってから、霊に対する見方が、少しずつ変わってきているのが分かる。
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トンネル前。
あたりはすっかり薄暗くなっていた。
コンクリートの古い入り口には苔がこびりつき、蔦が垂れている。
まるで異界への門みたいだ。ひんやりとした湿気が肌にまとわりつく。
「すごい……本当にそれっぽい」
僕がぼそっと呟くと、美琴がくすっと笑った。
「ふふ……でも実際に、“います”から」
その笑顔に少し救われるけど、すぐに真剣な表情に戻る。
「ただ……今この時間には、まだ気配がありません。きっと、どこかを彷徨ってるのでしょう」
その言葉に、廃病院で感じたあの“圧”を思い出す。
あのときは、足を踏み入れた瞬間から何かに取り囲まれるような気配があった。
でも今は――静かだ。
風は冷たいけど、ただの廃墟のような空気。
“まだ何もいない”……そういう感じだった。
「どうしますか? 少し……待ちます?」
「うん。確かめたいんだ」
僕の答えに、美琴は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべる。
でもすぐに、柔らかな笑みでうなずいてくれた。
「分かりました。先輩がそう言うなら、そうしましょう」
横に並んで、ふたりでトンネルを見つめる。
少しだけ冷たい風が吹いたけど、その隣にいる彼女の存在が、心を温かくしてくれる。
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十分ほど経った頃――
「……来ましたね」
美琴の言葉と同時に、トンネルの奥から濃い霧が這い出してきた。
ひやりとした空気が頬をなでる。
肌にまとわりつくような霧の気配は、どこか異質だった。
「これ……霧?」
「ええ。でも、ただの霧ではありません」
美琴がゆっくりと歩き出す。その背中は、まるで何かを受け入れるようにまっすぐで、静かだった。
「僕も……行くよ」
「はい」
並んで、僕たちはトンネルの中へと足を踏み入れる。
カツ、カツ……足元の石が乾いた音を立てる。
冷たい湿気と、緊張感が体にまとわりついてくる。
そして、中央付近まで来たとき――
何かが、目の前でゆらりと揺らめいた。
最初は輪郭が曖昧だったそれは、徐々に“形”になっていく。
不自然に白い肌。
青い痣の浮かぶ手が、顔を覆って震えている。
泣いているような、弱々しい気配を放ちながら、ゆっくりと、こちらに近づいてきた。
『……ごめん、なさい……ごめ……ん……なさい……』
すすり泣くような声が、トンネルの中で木霊する。
その声は悲しくて、苦しくて――
どこか、許しを乞うような響きをしていた。