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一話 トンネルに響く声


風が冷たくなってきた夕暮れ。

桜翁の境内で、美琴と並んで立つ。


そして、彼女はいつもの制服姿とは違い私服だった。


ジーンズジャケットに、ベージュのフレアスカート。

黒のニーハイソックスに、同じく黒のショートブーツを合わせている。

落ち着いた色合いながら、どこか可愛らしさを残した、美琴らしい私服だった。


美琴がそっと髪をかきあげて、横目で微笑む。


「それでは行きましょう」


美琴がそう言った時、彼女の声には微かな緊張が混じっていた。

僕は小さく頷く。


「うん。……ところで、美琴。今回の心霊スポットの噂、知ってる?」


「はい。髪の長い女の人がトンネルを彷徨い、通行者を事故に巻き込む……そんな話でしたね」


落ち着いた声だったけど、どこか寂しげな響きがあった。


「それって……本当なの?」


「いいえ。そうなってしまった“原因”は確かにあります。でも、彼女自身が望んだ結果ではないと思います」


彼女は視線を落とし、地面を見つめる。

その横顔がどこか切なくて、胸が少しだけ締めつけられた。


「彼女は……後悔を抱えたまま、さまよっている霊です。特に“あの出来事”を……ずっと悔いていて。この場所以外では、あまり目撃されないと思います」


「……後悔、か」


その言葉が、静かに胸に落ちる。


誠也のときと同じだ。

きっと、彼女にもまだ“誰にも言えなかった想い”があるんだ。


美琴と出会ってから、霊に対する見方が、少しずつ変わってきているのが分かる。


─────────────────────


トンネル前。

あたりはすっかり薄暗くなっていた。


コンクリートの古い入り口には苔がこびりつき、蔦が垂れている。

まるで異界への門みたいだ。ひんやりとした湿気が肌にまとわりつく。


「すごい……本当にそれっぽい」


僕がぼそっと呟くと、美琴がくすっと笑った。


「ふふ……でも実際に、“います”から」


その笑顔に少し救われるけど、すぐに真剣な表情に戻る。


「ただ……今この時間には、まだ気配がありません。きっと、どこかを彷徨ってるのでしょう」


その言葉に、廃病院で感じたあの“圧”を思い出す。

あのときは、足を踏み入れた瞬間から何かに取り囲まれるような気配があった。


でも今は――静かだ。


風は冷たいけど、ただの廃墟のような空気。

“まだ何もいない”……そういう感じだった。


「どうしますか? 少し……待ちます?」


「うん。確かめたいんだ」


僕の答えに、美琴は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべる。

でもすぐに、柔らかな笑みでうなずいてくれた。


「分かりました。先輩がそう言うなら、そうしましょう」


横に並んで、ふたりでトンネルを見つめる。

少しだけ冷たい風が吹いたけど、その隣にいる彼女の存在が、心を温かくしてくれる。


─────────────────────


十分ほど経った頃――


「……来ましたね」


美琴の言葉と同時に、トンネルの奥から濃い霧が這い出してきた。


ひやりとした空気が頬をなでる。

肌にまとわりつくような霧の気配は、どこか異質だった。


「これ……霧?」


「ええ。でも、ただの霧ではありません」


美琴がゆっくりと歩き出す。その背中は、まるで何かを受け入れるようにまっすぐで、静かだった。


「僕も……行くよ」


「はい」


並んで、僕たちはトンネルの中へと足を踏み入れる。


カツ、カツ……足元の石が乾いた音を立てる。

冷たい湿気と、緊張感が体にまとわりついてくる。


そして、中央付近まで来たとき――


何かが、目の前でゆらりと揺らめいた。


最初は輪郭が曖昧だったそれは、徐々に“形”になっていく。


不自然に白い肌。

青い痣の浮かぶ手が、顔を覆って震えている。

泣いているような、弱々しい気配を放ちながら、ゆっくりと、こちらに近づいてきた。


『……ごめん、なさい……ごめ……ん……なさい……』


すすり泣くような声が、トンネルの中で木霊する。


その声は悲しくて、苦しくて――

どこか、許しを乞うような響きをしていた。


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