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三話 碧い瞳

「彼女は居なくなってしまいましたし……先輩、彼女の過去を見てみますか?」


美琴がそう言い放つ。霧がゆっくりと広がり、彼女の茶色の瞳が静かに僕を見つめる。どこか穏やかな表情。だけど、そこには覚悟のようなものが滲んでいた。


「うん。」


気になる。なんであんな霊になってしまったのか。何を引きずってこんな場所をさまよっているのか。知りたい。その気持ちが、胸の中で膨らんでいく。


美琴はゆっくりと手をかざし、目を閉じる。トンネル内の空気がわずかに震え、何かが集まるような感覚が広がっていく。彼女の指先から、赤い光がぽうっと滲み出た。まるで血のように濃く、脈打つように揺れる。それは霊の未練と後悔を映し出す光。


「先輩、手を握ってください。彼女の想いを……感じてあげてください。」


美琴の声が、夜の湿った空気に溶けていく。


一瞬、迷いがよぎる。だけど、美琴がそっと手を差し出すその姿が、不思議と背中を押してくれる気がした。


「……わかった。」


そっと、彼女の手を握る。指先は少しひんやりしていたけど、その奥に確かな温かさを感じた。


その瞬間――


ドクンッ。


胸の奥で何かが脈打つ。


まるで心臓が一瞬止まって、また動き出したみたいに。熱が体の奥からじわりと広がり、視界がぐにゃりと歪む。次の瞬間、僕の意識は現実から引き剥がされ、闇の中へと落ちていった。



滲む記憶


「なんで結婚を認めてくれないの!!」


怒りと悲しみが入り混じった叫び声が、頭の中に響く。まるで目の前で繰り広げられているみたいに、鮮明に聞こえた。


目の前には、クリーム色のトレンチコートを着た彼女――が立っていた。手には、あのシルバーの指輪が光っている。


「男なんて皆同じさ!! すぐ裏切って、お前を傷つける!!」


年配の女性――彼女の母親の声が、強く返された。


トンネルの外、車が停まった近くでの言い争い。


彼女は拳を握りしめ、唇を噛んでいた。


「彼はそんな人じゃない!!」


「いいや!! みんな同じだね!! あんたにゃそんな思いはしてほしくないんだよ!!」


「お母さん!! お願い、話を聞いて!!」


「嫌だね!! 男なんてろくでもないもんだ!!」


「もう知らない!! あたしはもう出て行く!!」


彼女の声は震えていた。


それは怒りだけじゃない。


涙の気配が混ざっていた。


悲しみと、母親をどうしても説得できないもどかしさ。


詩織しおり!!」


母親が叫ぶ。


彼女は振り返らなかった。


クリーム色のトレンチコートが風に揺れた。


その瞬間――


光が弾けたように、僕の意識が現実へと引き戻された。




「っ……!!」


息を呑んで目を開く。


喉が乾いていた。


肌が冷え切って、心臓が早鐘を打っている。


でも、それ以上に――


頭の中に彼女の声が、彼女の記憶が焼き付いて離れなかった。


「先輩……?」


美琴の声が聞こえた。


ふと顔を上げると、彼女が僕をじっと見つめていた。


「先輩!? その目……っ!」


「え……?」


驚いた声にハッとして、自分の顔に手をやる。


涙が止まらない。


そして、視界の端で気づいた。


僕の黒い瞳が、淡く碧く光っていた。




まるで深い海のような色が、トンネルの暗闇の中で揺れていた。


懐中電灯の光が、その青を映して、美琴の顔に驚きが広がる。


「これ……なんだ……?」


自分の体じゃないみたいだった。


僕は、ただ霊の記憶を見たんじゃない。


彼女の後悔を、その感情を、すべて背負ったみたいな感覚だった。


胸が苦しい。


まるで、詩織さんの感情が、僕の中に流れ込んできたみたいに。


「彼女の後悔が……僕の中に流れ込んできた……感じがする……。」


「先輩……」


美琴の声が、どこか遠くで響く。


「先輩…あなたは……」


彼女が小さく呟く。


その言葉の意味を聞く余裕はなかった。


僕はただ、トンネルの冷気を感じながら、肩で息をしていた。


青く滲む視界の奥で――


詩織さんの姿が、ぼんやりと揺れて見えた。

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