朝──
快晴の青空から差し込む光が、カーテン越しにふわりと部屋を照らす。
風はなく、空気はぬるく湿っていて、夏の草とアスファルトが混ざったような匂いが、部屋の奥まで入り込んでいた。
目を開けた瞬間、頭の奥にずきりと鈍い痛みが走る。
体は重く、まるで布団に縫い付けられているみたいだった。
——昨日の、あの霊の声がまだ残っている。
白紫の肌。赤く滲んだ涙。震える指先と、掠れた言葉。
『……ごめん、なさい……』
耳の奥に、あの声が微かに響いてくる。
胸の奥が重たいまま、まばたきを繰り返す。
夢を見ていたような気もするけど、思い出せなかった。
喉が渇いているのに、何も飲み込めない。
「……休もうかな」
そう呟いた瞬間、ふと美琴の言葉がよみがえる。
『先輩、色々調べておきますので』
……彼女は、もう前に進んでいる。
このまま立ち止まっていたら、自分だけが置いていかれる。
そんな焦りにも似た感情が、じわじわと背中を押した。
ゆっくり体を起こし、制服に袖を通す。
ボタンを留める手が震えていて、鏡に映った自分の目が、どこか虚ろに見えた。
⸻
玄関を開けると、夏の朝の匂いが一気に押し寄せてきた。
ぬるい風。草と熱気とアスファルトの匂い。
遠くで蝉が鳴いていたけれど、どこか遠い世界の音に思えた。
空は、雲ひとつない快晴。
でも、僕の中にはまだ昨日の霧が残っている。
重たい足取りのまま、僕は学校へ向かった。
⸻
そして 放課後…ようやく1日が終わった…。
「お前、だるそうだなー」
翔太の声が、机に突っ伏していた僕に落ちてくる。
「……あ゛ぁ゛~……」
呻き返すのがやっとだった。
彼は苦笑しながら、隣の椅子に腰を下ろす。
「なんかあった? まーた変なとこ行ったんじゃないだろーな?」
冗談混じりの声。
でも、笑い返す気力もなかった。
昨日のことが、まだ胸の奥で燻っている。
その時、教室の空気がざわめき始めた。
「え、誰あれ……めっちゃかわいくね?」
「転校生?」
「誰か声かけろよ!」
騒がしい声に顔を上げると、茶色のポニーテールを揺らした制服姿が、静かに教室を見渡していた。
——美琴だった。
夏の光を受けて立つその姿は、どこか現実離れしていて、周囲の騒がしさを寄せつけない雰囲気があった。
そのまま、彼女は真っすぐ僕を見て、ひとことだけ言った。
「悠斗さんを呼んでいただけますか?」
教室中が、静まり返った。
翔太が肘で僕を突く。
「おい悠斗。……お前に、お姫様が来たぞ?」
⸻
屋上。
夕暮れが差し込む時間帯。
赤く染まった西の空が、校舎の影を長く伸ばしていた。
コンクリートはほんのりと熱を帯び、遠くから部活の声がかすかに聞こえる。
「体調の方は……どうですか?」
美琴が、柔らかい声で僕を見つめてくる。
その髪が、西日を受けて橙色に染まっていた。
「……身体が重い。すごく」
「それは霊眼術の副作用です。……数日で落ち着きます」
そう言われて、ようやく昨日の“目覚め”を思い出す。
「霊眼術……そういえば、昨日言ってたね」
「…霊の記憶や感情、痕跡を感知する力。それを私たちは“霊眼術”と呼んでいます」
美琴の説明とともに、昨日の感覚が胸の奥に蘇ってくる。
碧い光。流れ込んできた、あの悲しみ。
「あの時の記憶……あれが、霊眼術によるものなんだ…?」
「はい。先輩が、あくまで自然に発動させたんです」
「でも、美琴も……“誠也”くんのとき、同じことをしてたよね?」
そう尋ねると、美琴はふっと笑って、頷いた。
「ふふ、先輩の前では……二度ほど、使いましたよ。」
「二度……?」
「“誠也くん”の時と“トンネル”で、です。」
その瞬間、美琴の瞳がすーっと深紅に染まった。
夕陽に透けるその色は、
まるで、沈みゆく空に灯る静かな焰のようだった。