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五話 紅く染まる瞳

朝──


快晴の青空から差し込む光が、カーテン越しにふわりと部屋を照らす。

風はなく、空気はぬるく湿っていて、夏の草とアスファルトが混ざったような匂いが、部屋の奥まで入り込んでいた。


目を開けた瞬間、頭の奥にずきりと鈍い痛みが走る。

体は重く、まるで布団に縫い付けられているみたいだった。


——昨日の、あの霊の声がまだ残っている。


白紫の肌。赤く滲んだ涙。震える指先と、掠れた言葉。


『……ごめん、なさい……』


耳の奥に、あの声が微かに響いてくる。

胸の奥が重たいまま、まばたきを繰り返す。

夢を見ていたような気もするけど、思い出せなかった。


喉が渇いているのに、何も飲み込めない。


「……休もうかな」


そう呟いた瞬間、ふと美琴の言葉がよみがえる。


『先輩、色々調べておきますので』


……彼女は、もう前に進んでいる。


このまま立ち止まっていたら、自分だけが置いていかれる。

そんな焦りにも似た感情が、じわじわと背中を押した。


ゆっくり体を起こし、制服に袖を通す。

ボタンを留める手が震えていて、鏡に映った自分の目が、どこか虚ろに見えた。



玄関を開けると、夏の朝の匂いが一気に押し寄せてきた。


ぬるい風。草と熱気とアスファルトの匂い。

遠くで蝉が鳴いていたけれど、どこか遠い世界の音に思えた。


空は、雲ひとつない快晴。

でも、僕の中にはまだ昨日の霧が残っている。


重たい足取りのまま、僕は学校へ向かった。



そして 放課後…ようやく1日が終わった…。


「お前、だるそうだなー」


翔太の声が、机に突っ伏していた僕に落ちてくる。


「……あ゛ぁ゛~……」


呻き返すのがやっとだった。

彼は苦笑しながら、隣の椅子に腰を下ろす。


「なんかあった? まーた変なとこ行ったんじゃないだろーな?」


冗談混じりの声。

でも、笑い返す気力もなかった。

昨日のことが、まだ胸の奥で燻っている。


その時、教室の空気がざわめき始めた。


「え、誰あれ……めっちゃかわいくね?」

「転校生?」

「誰か声かけろよ!」


騒がしい声に顔を上げると、茶色のポニーテールを揺らした制服姿が、静かに教室を見渡していた。


——美琴だった。


夏の光を受けて立つその姿は、どこか現実離れしていて、周囲の騒がしさを寄せつけない雰囲気があった。


そのまま、彼女は真っすぐ僕を見て、ひとことだけ言った。


「悠斗さんを呼んでいただけますか?」


教室中が、静まり返った。


翔太が肘で僕を突く。


「おい悠斗。……お前に、お姫様が来たぞ?」



屋上。


夕暮れが差し込む時間帯。

赤く染まった西の空が、校舎の影を長く伸ばしていた。

コンクリートはほんのりと熱を帯び、遠くから部活の声がかすかに聞こえる。


「体調の方は……どうですか?」


美琴が、柔らかい声で僕を見つめてくる。

その髪が、西日を受けて橙色に染まっていた。


「……身体が重い。すごく」


「それは霊眼術の副作用です。……数日で落ち着きます」


そう言われて、ようやく昨日の“目覚め”を思い出す。


「霊眼術……そういえば、昨日言ってたね」


「…霊の記憶や感情、痕跡を感知する力。それを私たちは“霊眼術”と呼んでいます」


美琴の説明とともに、昨日の感覚が胸の奥に蘇ってくる。

碧い光。流れ込んできた、あの悲しみ。


「あの時の記憶……あれが、霊眼術によるものなんだ…?」


「はい。先輩が、あくまで自然に発動させたんです」


「でも、美琴も……“誠也”くんのとき、同じことをしてたよね?」


そう尋ねると、美琴はふっと笑って、頷いた。


「ふふ、先輩の前では……二度ほど、使いましたよ。」


「二度……?」


「“誠也くん”の時と“トンネル”で、です。」


その瞬間、美琴の瞳がすーっと深紅に染まった。


夕陽に透けるその色は、

まるで、沈みゆく空に灯る静かな焰のようだった。



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