美琴の瞳が、深い紅に染まる。
まるで夕陽が最後に落とす光を閉じ込めたような、鮮やかで吸い込まれるような色。春の終わりと夏の訪れが入り混じる薄曇りの空の下、その赤が不思議なほど鮮明に映る。
僕は思わず息を呑んだ。
遠くの校庭では、サッカー部の掛け声とボールの跳ねる音が微かに響く。でも、この屋上だけは、まるで時間が止まったみたいに静かだった。
「綺麗な瞳の色…だね」
思わず呟いた。
美琴が一瞬だけ目を丸くする。でも、すぐに穏やかな笑顔に戻り、柔らかい声で言った。
「ありがとうございます、先輩」
その笑顔が、薄曇りの空の下で、小さな灯火のように感じられた。
体のだるさはまだ抜けないし、頭も重い。それでも、彼女の笑顔を見ると、少しだけ元気が湧いてくる。でも——疑問が浮かんだ。
「でも、過去を見せてもらった時、君の瞳って紅くなってなかったよ?」
美琴は静かに首を振る。そして、微笑みながら、紅く染まった瞳をゆっくりと瞬かせた。
「それには明確な理由があります。霊眼術を発動したとき、瞳が変色するこの現象——これは、同じ霊眼術を持っている者にしか見えません。霊が見える人と、見えない人がいるように、それと同じことです」
「なるほど……つまり、僕は今までそれを持ってなかったから、美琴の目の変化に気づかなかったんだ」
「ええ、そういうことです」
美琴が小さく頷く。彼女の声には、いつも通りの穏やかさの中に、どこか導くような優しさが混じっていた。
霊眼術——昨日、あの青い光に包まれた瞬間、僕の中で何かが変わった。それは、僕が今まで知らなかった力。
「霊眼術…それって、どんな力なの?」
美琴がそっと瞳を細める。
「先輩。霊には、“影”と呼ばれるものに色があります。それは、霊が周囲に纏っている気のようなものです」
「影……?」
彼女の言葉が頭の中に浮かぶ。でも、まだピンとこない。美琴はふふっと小さく微笑みながら、話を続ける。
「はい。霊眼術を発動した状態で霊を見ると、主に三つの“影”の色が識別できます。まず、白い影を持つ霊。こちらは基本的に無害な霊です」
「白い影……」
誠也は、どっちだったんだろう。僕の頭に、彼の笑顔がふっと浮かぶ。
「そして次に、黄色い影の霊。これは、警戒すべき霊ですね」
「黄色の信号みたいなもの?」
ぽろっと言うと、美琴がくすっと笑う。
「ええ、おっしゃる通りです」
彼女の笑顔が、屋上の静かな空間を温かく包み込む。遠くの校庭から、野球部の「ナイスバッティング!」という声が響いてきて、一瞬だけ現実に引き戻される。でも、美琴の穏やかな声がすぐに僕をまたこの世界に引き戻した。
「そして最後に、赤い影を持つ霊。これは敵意や悪意を持った霊——いわゆる“悪霊”と呼ばれるものに該当します」
「……悪霊」
思わず、喉が鳴る。トンネルの霊は、確かに不気味だった。でも、あの人は、悪霊とは違うように思えた。
「トンネルにいたあの人は…悪霊なの?」
僕の問いに、美琴は少しだけ表情を引き締める。
「いいえ…。ただ深い悲しみを残した人です」
そう言いながら、美琴の瞳がゆっくりと茶色に戻っていく。
彼女の言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
「そして、この瞳を使いこなせるようになれば、記憶や感情をよりはっきりと読み取ることができます」
「 ってことは、僕もいろいろ見えるようになるの?」
僕の頭の中に、昨日感じた霊の感情が蘇る。悲しみ、後悔、苛立ち——あれがもっと鮮明に分かるようになるってこと?
「それは、先輩の努力次第ですね」
美琴が、少し試すような表情で微笑んだ。
努力次第——そうか。特別な力を手に入れたわけじゃない。ただ、美琴のようになれるかどうかは、これからの僕次第。
屋上の風が吹き抜けて、フェンスが小さく軋む音を立てた。
「霊眼術についてはこのくらいです。」
「今度、またトンネルに行きましょう。その時、先輩の霊眼術の練習になれば……と私は思っています」
「えっ」
思わず声が裏返る。
また……トンネル?
昨日のことが頭をよぎる。あの冷たい霧、血涙の姿、苦しげな叫び声。でも、美琴がそばにいるなら——
「……分かった。練習、頑張ってみるよ」
僕がそう言うと、美琴がふふっと小さく笑う。
その笑顔が、薄曇りの空の下で、まるで一筋の光みたいに輝いて見えた。
屋上の静かな時間が、僕たちをそっと包み込む。
フェンスの隙間を通る風が心地よく、遠くの山が淡く霞んで見えた。
春の終わりと夏の訪れ——季節が移り変わる中で、僕もまた、一歩を踏み出そうとしていた。